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乙8期 渡辺禎夫さん2022年02月01日 21時53分18秒

真珠湾攻撃時、加賀艦攻隊の電信員をしていた乙8期の渡辺貞夫さん。

真珠湾直前の加賀艦攻隊集合写真より。


以前、『予科練外史』(倉町秋次)で紹介されていた真珠湾前夜の渡辺さんの所感を紹介しました。
『前夜は眠れた
同期生と特別糧食の葡萄酒を呑み、(「加賀」の八期同期生は渡辺、町元、田中、甲斐の四名)予科練、飛練の思い出を語り合った。
夢も見なかった。誰のことも思い出さなかった。
遺書は二日前に書いておいた。戦死しても力を落とさないように、父母の御恩を感謝する、ということを書いた』
※実際の加賀8期生はあと久恒吾市さんと西森俊雄さんがいる




この渡辺さんの個人写真が、知人Mさんに見せてもらった7期生のアルバムに貼られていました。

柔道着姿で何か持っています。


「渡辺禎夫
日本傳講道館柔道ノ修行ニ精力ヲ盡シ大ニ其ノ進歩ヲ見タリ依テ貳段ニ列ス向後益々研磨可有之者也
昭和十三年三月廿四日
講道館師範嘉納治五郎」


講道館のサイトによると、13年3月12日に嘉納治五郎さん、「国際オリンピック委員会にて第12回オリンピック大会の東京招致に成功する」、13年5月4日「氷川丸船上にて肺炎により御逝去」とのことなので、渡辺さんの段証書(段位状?)の日付の日はオリンピック委員会出席のため、日本にはおられなかったようです。
5月4日に亡くなられているので最晩年の嘉納治五郎さんからの証書ということになるのでしょうか。


わたしは柔道のことはまったく無知で、柔道二段がどういう段なのかよくわかりません。
(いちおう講道館のサイトを見ましたが、渡辺さんの「二段」は戦前の話ですしねえ・・・・(^^;))

なので人間関係の面から話をしたいのですが、どうしてこの7期生が渡辺さんの写真を貼っていたのかもよくわかりません。

同郷というわけでもないし。

7期生も柔道着を着ている自分の写真を貼っていました。
写真には手書きで「初段」と書かれていました。予科練で柔道部に入り、熱心に取り組んでいたのかもしれません。

もしかしたら渡辺さんも柔道部で、部の先輩後輩だったのかなと想像しています(一緒に写っている写真はなかったけれど)。
二段というのは先輩の7期生から見ても「すげえじゃん!」って段で、この写真を自分のアルバムに貼っていたのかな?


8期生同期生会誌にも、
「貴様は柔道ではクラス一だったな」
「十九年夏雁之巣飛行場待合室で柔道三段の堂々たる体躯に短剣姿も凛々しく・・・・」
という思い出が寄せられています。



20年2月28日  931空  東シナ海


※画像は9期生ご遺族、Mさんご提供

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