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新井正美さんと片翼帰還2021年10月19日 22時10分28秒

9期戦闘機搭乗員の新井正美さん。




ずいぶん前になるのですが、新井正美さん(台南空)の片翼帰還のエピソードを紹介したことがありました。
吉田一さんが壊れた零戦の前に新井さんを立たせて写真を撮った話とその後日譚。

その時撮られた写真が土浦の雄翔館に飾られていたという話も書いたと思います(わたしはこれは吉田さんが撮ったものとは別ものと思っていました)。


そのときはどんな写真か説明するために、自分で作った零戦プラモに登場してもらったり、

適当なトレースをしてみたり。




『司令もまた、可愛いわが子の腕白ぶりでも思い出したふうに目を細めていた。
「昨日だったら面白い写真が撮れたんだがね。上海で樫村のやった片翼帰還ほどではなかったが、まず特ダネだね」
残念がった司令の話は、昨日のモレスビー上空での空戦で、片翼のフラップを敵弾にもぎ取られた若い搭乗員が、いまにも分解しそうな飛行機で、スタンレー山脈を越え、あえぐようにここまで帰り、フラップなしで立派に着陸した沈着な技量を讃える話だった。
私はさっそくその飛行機を見にいってみた。なるほどフラップどころか翼の四分の一も素ッ飛ばされている。傍らにいた整備員に、この搭乗員を呼んでもらうと、まだ子どものように若い新井三飛曹が、面映ゆそうにはにかんでやってきた。
飛行機の前に立たして写真を撮り、彼の姫路の住所をメモすると、
「こんなことが新聞に出るのですか」と目を見張った。
「多分ね」と私が答えると、
「じゃさっそく、家に手紙を出します。みんなで新聞を見るように・・・・」
はじめて彼の顔に押さえ切れぬ喜びの色が浮かび、額から両頬にかけて、派手に吹き出たにきびが、いっそう赤みを帯びてきた。そして、「帰ります」と、上官にでもするように、カチンと飛行靴の踵を合わせ、眉間までまっすぐな敬礼をして走り去って行った。
この可憐な紅顔の少年搭乗員も、それから間もなくソロモン海にはかなく消えてしまったが、その後私は、姫路の彼の父から一通の手紙を受け取った。
その文面のどこにも、子どもの戦死に関していささかの悔やみの色もみせてはいなかったが、ただ私の撮った写真を一枚送ってくれぬか、立派に死んだ子どもの形見とし、また子孫に残して誇りにもしたい、といった意味の文意がしたためられていた』
                         吉田一『サムライ零戦記者』光人社NF文庫








ご覧の通り、新井さんはカメラの方を見ていないので、てっきり吉田さんは新井さんの視線の先にいて、新聞に載った写真、そしてお父さんに請われて新井家に送った写真は新井さんを正面からとらえた写真が他にあるのだと思っていました。

しかし、どうやら、これが吉田さんが撮った写真のようです。

なぜ新井さんがカメラの方を見ていないのかは謎のままです。


※画像は9期生ご遺族ご提供