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筑波海軍航空隊百里原分遣隊教員室 か?2021年08月03日 21時33分39秒

浅川さんのネガの中に、百里原の教員室で撮られたのではないかと思われるものが数点ありました。



これは浅川三雄教員(乙2)ご本人。
ポーズから、同じときに連続して撮られたものと思われます。



乙3期の金子光夫教員。
善行章2線、二等航空兵曹。

同じときでしょう。撮影者のポジションもほぼ同じようです。





この真新し気な板壁の部屋を「教員室」と判断したのは、下の2枚の写真からです。



ネガ袋の書き込み「中村氏」。
善行章2線、一等航空兵曹。
特技章は残念ながら桜の上の部分しか見えていないので飛練か操練かわかりません。


ネガ袋の書き込み「杉尾氏」。

おお! 宮崎県出身の乙5期の戦闘機乗り・杉尾茂雄さん(戦後生存)ではないか!

善行章1線、三等航空兵曹。




後ろの板壁に引っかけてあるノート拡大。これから「教員室だろう」と判断しました。
どうやら昭和14年の第四分隊の分隊人事日誌、消耗品請求簿。
中が見たいですね~(・∀・)

分隊人事日誌の方は拡大したら上下二段に氏名らしきものが並んでいるのはわかるのですが、何と書いてあるかまでは見えません。残念!( ;∀;)
壁には他にもプリント類が貼ってある様子。
マリコさーん、拡大鮮明化頼む!(笑)







「中村氏」ですが。
昭和14年に善行章2線・一等航空兵曹ということであれば、飛練だと乙1か乙2でしょうか。
乙1に中村氏はいません。
乙2には3人いるのですが、卒アルから全員お顔がわかります。該当者なし。
ということは操練かな?
操練21期の中村克男さん、操練24期の中村土五郎さん(艦攻操)、操練26期の中村辰男さん(艦攻操)あたりが候補かなと思うのですが、これ以上は不明、ということで。
※中村氏に関して訂正があります。
後ほど訂正します。→訂正記事書きました



杉尾さんは『日本海軍戦闘機隊2』【エース列伝】によれば、飛練卒業後、12空、本土帰還、12空、3空、202空、海口空、神ノ池空、201空、筑波空、となっています。

この中の「本土帰還」ってところに百里原教員時代が入るのだと思います。

同期生・角田和男さんの『修羅の翼』(光人社)によると、
「(昭和14年12月15日の)翌日、百里原航空隊行の十一名はトラックで送られた。わたしはすでに一分隊に編入が決まっていた。山口兵曹長、西川一整曹、大坪一空曹、原田二空曹等、世話になった教員方が多かった。分隊長は関衛大尉、分隊士青木予備中尉、篠原空曹長、一色空曹長等の錚々たるメンバーに引き合わされた。飛行隊長は後に世話になった玉井浅一少佐であった。
百里原空は開隊されたばかりで、先着の杉尾茂雄や井上朝夫は、飛行場整理の土方仕事もだいぶ長くさせられたとのことだった」


玉井さんが飛行隊長だったということなので、「お! 写っているのかな?」と思って、浅川さんの集合写真を探したのですが、よくわかりません。
ウィキペディアに掲載されている写真の人を探しているんですが、写っていないんじゃないか?


土方仕事は全員でやったのか、乙5が隊で若輩扱いで主にさせられたのか(^^;)
写真ではわからなかったですが、開隊早々はそういうご苦労もあったのですね。



※画像は浅川さんご家族ご提供

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