飛練の水戸行軍? ― 2021年06月07日 14時51分01秒
浅川さんの残されたネガの中から乙8期の飛練の水戸行軍らしき写真が出てきました。
この場所は見覚えがあります。水戸の偕楽園。背後は好文亭。

8期の中練百里原組20名と引率の教員・教官たち。
修業記念写真には教員は10名写っています。ここに写っているのは7名。お留守番の方もいるのでしょう。ちなみに浅川教員は前列右から2人目。
浅川さんはわかるのですが、他の方はちょっとお顔がわかりません。はっきりはわからないのですが、8期だと思います。
中仮屋さんは後列右から5人目かな?
なんで顔がよくわからないのに8期だと思うのかというと――
練習生のみのバージョンがあったからです。

上から教員・教官たちがのいた練習生のみ20名のバージョン。
ちょっと入れ替わりがありますが、おおざっぱに見ると上の写真とまあ同じような位置取りで並んでいます。
めっちゃ楽しそうです。
あんまり笑われると照合が大変なのですが、楽しそうなのでよしとしましょう。
先にこちらの写真の中仮屋さんに息子さんが気づいてくださったのです。

上の写真では後列で立っていますが、こちらでは前列右端でしゃがんでいます。
他にも水戸行軍らしき写真があったのですが、1枚は操練っぽいです。左袖に原隊でもらった特技章をつけているように見えます。
善行章もつけている人がいたり、つけてない人もいたり。

浅川さんが見当たりません。左の方に、地面に何かあったのか下を見ていて顔が写っていない人がいます(教員2人、練習生1人)。この中にいるのかな?
操練だとやっかいなことに下士官の練習生がいる可能性があるので、どの人が練習生であるとはっきりわかりません。
あとはお顔も見えないとか、袖もよく見えないとかでよくわからない写真もありました。

たぶん常磐神社。
常磐神社さんは以前、戦前の状態を確認するために問い合わせをしたことがあるのですが、めっちゃ親切でした。
この石段の戦前の写真(ネットに出せません、スイマセン)を見せてくださったのですが、これ↑も同じ場所だと思います。
鳥居のたもとに腰かけているのは教員でしょう。ふたりとも操練の特技章をつけているように見えます。左の人3空曹、右の人2空曹。
練習生は元気一杯?石段を登っていますが、年寄りの教員(といっても二十代前半ぐらいか?)はひと休みしないと石段に立ち向かえないのか。
練習生の人数が多いので8期ではなさそう。
これも水戸行軍のひとこまなのか? それとも個人的に遊びに行ったときの撮影なのか?

梅林? 偕楽園でしょうか?
左の方はわからないのですが、右は乙2の工藤修さん(戦闘機)ですね。
9期の操偵検査時もお世話になった教員です。
左袖にはっきりと飛練の特技章が見えています、ちなみに左の人の特技章は操練です。
工藤さん、右肩に細い紐が見えています。他の写真でポシェットみたいなものを下げている人がいるので(工藤さんか? よくわからない)、それかも。
練習生がたすき掛けにしているのは水筒です。
水戸行軍の写真に写っている教員は基本的に手ぶらです。冬とはいえ、教員たちが水分を携帯していないのが気になります。
練習生たちが教員の荷物も持たされているのか? いえいえ、見た感じ2人分の水筒を持っている練習生はいないようです。
教員はのどが乾いたら茶店に入って水分補給していたのでしょうか?
「一人前の搭乗員は半日ぐらい水分補給しなくても大丈夫!(鍛錬の一部)」
ってことはないですよね?
え? ありうる?(^^;)
※画像は浅川さんご家族ご提供
百里原海軍航空隊の教員 ― 2021年06月08日 17時09分05秒
浅川さんの百里原時代の写真、ホントに興味深い写真がたくさんです。
「あの人のあんな姿が!?」
みたいな写真もあったりして毎日のように驚かされています。
今日は百里原のどこかで撮られたらしき2枚をご紹介。

これは浅川三雄教員。
階級章は1空曹。組んだ腕の下にちょこっと見えている名札にも「一空曹」という文字が見えています。

こちらは「萩原氏」という注記があった一枚。
この写真を見る以前にいつものKさんから、百里原の教員の中に「操練39期の萩原末二さんが教員でいるかもしれない」と連絡をいただいていたのです。
萩原さんのこと、ここに書いていないんですね。検索しても出てきません。
「わたしが直接」ではないのですが、ちょっとご縁がある人です。
6期の山岸昌司さんが南太平洋海戦で戦死されたとき、同じ翔鶴艦攻隊にいてその最期を目撃されていたのが萩原さんです。戦後、その時のことを手記に書かれています。
そんなご縁で、数年前に山岸さんのご遺族の方が萩原さんのお宅(お墓?)にお線香をあげに行かれているんです。その話を聞いていたので、
「あの萩原末二さんか!」
と海軍航空隊の狭さに驚いたのです。
Kさんは親切に萩原さんの写真(飛曹長時代の一種軍装)まで一緒に添付してくださっていたのですが、集合写真から探し出せていませんでした。
で、この写真が出てきたわけです。
山岸さんのご遺族の方に写真をおねだりしたところ、古い時期の飛行帽に飛行服の萩原さんの写真を送ってきてくださいました。
「同じ人だ!!」
というわけで、浅川さんのネガの中にあった「萩原氏」は操練39期の艦攻操縦員の萩原末二さんです。
この2枚は背景の様子(植物まで)がまったく一緒なので、同じ時に撮影されたものと思われます。
萩原さんの百里原航空隊在任期間と浅川さんの空曹長進級時期を考えると14年12月~15年4月ごろの撮影かなと思います。
飛行帽・飛行眼鏡、さらに名札までつけているので隊内でしょう。
※画像は浅川さんご家族ご提供
春海から ― 2021年06月08日 22時16分44秒
晩ごはんのあと間髪を入れず、
「今日、おやつは?」
と聞いて来る春海(´・ω・`)
あんなに食べさせているのに足らんのか!?
とガッカリしますよね。
「何もないわ。アイスでも食べとけば」
と言って、わたしは食後のポコポコをしていました(晩ごはんを作る前にフリータイムに入ってしまっていた)。
春海は勝手に冷蔵庫の方に行って自分で何やら取り出して戻ってきました。
な、なんと!?
ママに。

誕生日のプレゼントだそうです!(・∀・)
これとモンブランと、二つもママに!!(・∀・)
※モンブランはなぜかパパが完食してしまいましたorz
部活帰りに買ってきたそうです。
バイト禁止なのでアルバイトはしていないんですが、たまに試合の手伝いをして銭をもらっているみたいです。それで買ってきてくれたのかな?
わーい、ありがとう(*´ω`)
チーズ濃くっておいしかったわ~
というわけで、またひとつ歳を取ってしまった・・・・orz
薬師寺東塔 ― 2021年06月10日 22時02分17秒
久しぶりに薬師寺に行きました。
刀剣展以来でしょうか。

東塔の修理が終わってから行っていなかったので、
「そろそろ感染者も減って来たな」
と思い、今日、行ってきました。
12年ぶりですか、両塔揃い踏み(*´ω`)

本堂裏から(北から)。
東塔。


この水煙はもともとあったものではないようです。
もともとあった水煙はおろされて西僧房で展示中でした。別料金だったので行きませんでした。
初層は公開中(基本拝観料で拝観可
逆光で見にくいですが、西塔。


ここに御本尊の薬師如来さまと両脇侍(日光月光菩薩)がいらっしゃいます。

大講堂。
上の画像は本堂裏の基壇上から大講堂を見たところです。ここに立つと、お寺というより平城宮の大極殿にでもいてるかのうような気分に(^^;)
両側はの鉢は蓮の花です。


東塔修理完成記念なのか、東塔形のおみくじが売っていました。
このおみくじ、検索したら毎日新聞の記事が出てきまして、中川政七商店とのコラボみたいです。
参拝の良い記念になりますね。
春日大社のシカおみくじの横に飾っています♪
乙8期 金子一郎さん ― 2021年06月11日 21時08分19秒
百里原海軍航空隊の8期飛練のペア写真。

イスが浅川三雄教員(乙2)、後ろ左が金子一郎さん。右が高■さん。
手元の予科練名簿では8期の高■さんは8人いて、わたしはまだ操偵すらわけられていないので、この方がどなたかはちょっと保留ということで。
今日は金子一郎さんのことを。

山口県出身。
飛練時代の金子さん。


16年7月24日 龍驤 都井岬沖(宮崎県) 殉職
昨日、『予科練外史』(倉町秋次)を読んでいたら金子さんの殉職のことが触れられていたので。
『七月二十四日、「龍驤」艦爆、操縦金子一郎三飛曹(乙八)、同偵察巽三郎二飛曹(甲二)は、暗夜着艦訓練中殉職。
――金子機帰らず。この夜雲量六、雲高低くしばしば驟雨来襲。六時四○分、暗夜着艦訓練機出発、金子機もこの中にあり。十二時、未だ帰投せず。迫り来る不安を抑えて寝に着く。明朝四時起床、五時発進、捜索飛行の予定。金子機に幸あれ。同乗は巽二飛曹――
同期生遠藤正二の日記である。遭難機は都井岬沖で発見された』
同期生会誌では、
『入隊時同班で貴様は何時もニコニコ笑をたたえ滅多に怒ったことはなかったね。健啖家の貴様に俺は同情して食器一杯押さえつけてやったものだ』(金沢秀利さん)
『日本海軍戦闘機隊2』の巻末の戦闘機搭乗員名簿に金子さんのお名前があるので、てっきり戦闘機搭乗員だと思っていたのですが、『予科練外史』の殉職状況からは艦爆の操縦員みたいですね。戦闘機から艦爆に転科されたのか、誤記なのかわたしにはちょっとわかりません。
9期生のアルバムに貼られていた写真にも金子さんが写っていました。予科練時代の写真。

こんな難易度の高い写真、わたしには到底8期生のお顔は見分けがつかないのですが。


幸い、名札がはっきり見える状態で写っていました。
8期生の電信の授業風景みたいです。
他に名札が読める人が小南良介さん、犬塚教市さん。
操縦分隊の授業なのかな、と思います。
なぜこれを9期生がアルバムに貼っていたのか。
※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供