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乙4期 小林正さん2021年05月31日 17時22分33秒

以前に小林さんのことは書いたことがあります。


羽藤さんのアルバムに貼ってあった集合写真。
これに関しては何度も書いているんですが、もう一度書きますね。
『日本海軍戦闘機隊2』エース列伝の阿部健市さん(9期)の項に9期の飛練時代の写真で、前列が教員、後列が練習生、みたいな説明つきで掲載されています。

書籍ではよく見えないんで、「へえ、そうか」と思っていたのですが、羽藤さんのアルバムにオリジナル版が貼ってあったのでスキャンして拡大して見たところ、練習生と書かれている人たちも飛行服の中から軍服の詰襟が見えているのに気づきました。
「練習生ちゃうやん!」  ←中練当時の9期生たちはまだ兵階級でジョンベラ
となって、写っている方がたのお顔をちゃんと見てみたところ、戦闘機の原田要さんがいることに気づきました。

知人の紹介で直接原田さんにこの写真について尋ねることができました。

「昭和14年6月頃の筑波空の教員全員だと思います」
とのこと。
※筑波海軍航空隊百里原分遣隊
9期の操偵検査時の教員たちでした。

で、そのときに原田さんが覚えている方の出身期・氏名を書き込んでくださいました。

覚えてらしたのは、乙2小山内さん(末吉さん、先任搭乗員)、乙2?浅川さん(三雄さん)、乙3工藤さん(じつは徳永有さんだった)、乙4?小林くん、操練?林さん(操練26期林八太郎さん)。


乙4?小林くん
と書かれていたのはこの方です。





島田清守さんの少人数集合写真に写っている教員も同じ人じゃないかな?
という記事も投稿しています。


4期には小林正さんという方がいます。その人なのかどうか。
原田さんも自信がなかったようで、手紙にもその旨、書いてありました。
わたしも、「これが乙4期の小林さんだ!」という写真を見たことがなかったので、この人が4期の小林さんかどうかは保留状態でした。

小林さんのことをご存じの方がブログを見つけてくれて、「そうだ」とか「そうじゃない」と言ってくれることを期待して投稿した、という感じでした。

しかし、正直なことを言うと、まあ・・・・決着がつく可能性は極めて低いんだろうなと思っていました。







じつはですね。
4期の小林正さんのお写真、見つかったんですよ。



四期飛練 小林正二ク曹(二空曹)

これ、何かというと、ネガの包み紙です。

浅川三雄さんの残したネガの中にあったそうです。

最初これ、息子さんが包み紙に書かれた文字をリスト化して送ってくださったのを見たのですが、「四期飛練 小林正」という文字を見たときは声をあげてしまいました。
※この場合の四期飛練は乙4期の飛練のことです

「見たい、見たい」と焦がれていた方ですからね。

すぐに「見たい」と返信したところ(厚かましくてスイマセン)、データ化して送ってきてくださいました。
↑簡単に書いていますが、たいへんだったと思います。本当に感謝感謝です。



四期飛練 小林正二空曹




「あー、”小林くん”だー」



9期の操偵検査の集合写真に写っている小林さんも出しておきますね、同じ人ですね。


なんというか、感無量です。


浅川さんが小林さんの写真を残されていたのもとても驚きました。
予科練同期や大陸時代の同僚の写真は何枚もあるみたいですが、教員時代の同僚の個人写真って、見たのはこれが初めてです。
小林さんの写真をお持ちだったのは、わたしにとっては奇跡みたいな話で。








17年4月27日  3空  ダーウィン周辺の天候偵察時、敵戦闘機2機の追撃を受け――

『着陸ノ際顚覆衝激ニ依リ小林一飛曹戦死』

と行動調書に記されています。

九八陸偵の操縦員。
敵機と交戦した際、小林さんは重傷を負われたようです。
重傷を負ったまま基地に帰投するべく1時間半以上も飛行を続け、着陸と同時に顚覆、戦死された、と。
後席の偵察員(宮崎国三1飛)は何も注記がないのでご無事だったのでしょう。



この人のことを思うと、涙が出そうになります。
どんな思いで戦争をしていたのだろうな。

最後の日、重傷を負った身で後席の偵察員だけでも無事に基地に連れ帰って、得た情報を届けなければ――という一心だったのか。





※画像は9期生ご遺族。浅川さんご家族ご提供

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