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島田清守さんの蒼龍時代の日記 続報2017年12月08日 11時53分14秒

朝刊のことが気になって4時に目が覚めてしまいました。

そんな時間に、誰も情報なんか送ってくれてないわよ(^^;)





二度寝して、再び起きたら、いくつか情報が来ていました。

・神戸新聞
・中国新聞
・東京新聞(ウェブ版)

島田さんご遺族が立てた掲示板にはほかに北海道新聞にも出ているとの情報が上がっていました。情報ありがとうございます。

島田さんご遺族ご本人からは埼玉新聞に載っているとのメールが。

見ることが可能な方はぜひ見てみてください。




この記事は共同通信社が配信した記事です。
たぶん地方紙に配信しているんだと思うんですが、配信先の判断で載せたり載せなかったり、あるいは一部カットしたり、いろいろあるみたいです。
蒼龍新聞の部分がばっさりなかったり。
清守さんの画像が載っていたり、載っていなかったり。
こっちには載っているコメントが、あっちには載っていなかったり。


わたしがいままで見た中では、やはり地元の埼玉新聞が一番大きな記事を載せてくれていました。

わたしもいちおう奈良新聞のウェブ版を検索してみたのですが、記事化されていないようでしたorz
新聞ゲットしたい・・・・。








と同時に、今朝の朝日に、蒼龍艦爆隊で真珠湾で戦死された高橋亮一1飛曹(甲2)の記事が出ていましたね。親戚宅に手紙が残っているとか・・・・。
清守さんが12月8日の日記に「艦爆二機帰ラズ」と書いていた、そのうちの1機の偵察員です。
島田さんのご遺族も驚かれていました。
今回の記事化でまたつながりが広がっていくといいなと言われていました。
わたしもそれを期待しています。

春海、自己ベスト()2017年12月08日 17時40分58秒

こんなときにわたくしごとで申し訳ありません<(_ _)>

春海が今日の練習中に50フリー(短水)で29秒台を出したそうです!

タイムを計測してくれたのは顧問らしく、春海曰く、

「ほぼ公認タイム!」

だそうです(笑)


泳いでいるときから、

なんか体が軽い、ぐんぐん進んでいるような気がする。

だったらしく。

壁にタッチして顧問がタイムを読み上げ、「29秒・・・・」と言った瞬間にねじが飛んでしまったらしく、29秒なんぼやったのかは聞いていなかったそうです。


人生初の30秒切り\(^o^)/

島田清守さんの16年12月8日日記全文2017年12月08日 19時28分09秒

9期の艦攻電信員、島田清守さんの蒼龍時代の日記のことが今日の朝刊に出ています。

この機会に島田さんの16年12月8日(真珠湾攻撃)の日記全文を載せようと思います。


島田さんは13年6月1日に第9期乙種飛行予科練習生として横須賀航空隊に入隊。
15年11月に土浦で予科練を卒業。
その後、飛行練習生課程に進み(鈴鹿、博多)、真珠湾攻撃の約ひと月前の16年10月末で練習生課程をおえたばかりでした。
最初の配属先が蒼龍です。

真珠湾攻撃の際は出撃メンバーには入っておらず、艦でお留守番(?)をしています。

島田清守さん


16年10月31日~12月31までの日記の表紙。








16年12月8日分です。










昭和十六年十二月八日 ハワイ攻略戰
零時、帝國ハ米國ニ対シテ宣戰布告。
絶好ノ攻撃日和カ。高度ノ作戰ト技術ノ練磨ニ依
リテ開戰ノ当日モ来タノダ。 午后十一時半起床。
「皇国興廃此ノ一挙ト」緊張ヲシテ居ル。
午前一時半迄ニ艦長等ノ訓示。薄暗イ朝ノ静
ケサヲ破ッテ発艦。乗員ハ手ヲ振ッテ見送ル。
搭乗員ノ心ハ如何ニ萬感胸ニ満チテ居ル事ダロウ。
手ヲ振ッテ出テ行ク 戰斗機隊、攻撃隊。
戰斗機一機、発艦直グ海中ニ落チテ流レテ行ク。
胴体ニ搭乗員ツカマッテ居ル。全ク見テ居テ誰レカ助ケテ
呉レタラト心ハ(不明 泣?)ケタ。随伴艦ノ「朧」ニ救助サレタ。
全クホットシテ喜ンダ。
第一次発進部隊ノ突撃スル編隊群ヲ見テ全機
無事帰還ヲ祈ルト共ニ、米国軍艦ノ撃滅ガ
眼ニ浮ンデ来ル。 無事静カニ東ノ空ハ明ルクナル。
三時半頃、攻撃開始カ母艦ニ電波ガ飛ブ。
「敵主力爆撃ス。被害甚大」トカ奇襲ニ成功シテハワイ
攻撃ガ始マッタ。
第一発進部隊ニ一時間遅レ、戰斗機ニ艦爆隊ガ
発進シタ。
次々ニ入ル戰果。予定以上ノ戰果ヲ納メテイル様ダ。
上空直衛戰斗機ガ獲物ヲト飛ビ廻ッテイル。
五時過ギ艦爆ガ帰還シテ来タ。實ニウレシカッタ。
然シ出発ノ時ノ様ニ全機編隊デ帰ッテ来ナイ。バラバラダ。
艦爆中川兵曹、車輪ヲヤラレテ帰ッテ来ル。其ノ中ニ
艦攻ガ帰ル。十八機全機見エタ時ノ喜ビコソ、何ント
言ヒ表シ様ノナイ喜ビダッタ。然シ一機片方車輪
ガ出ズ母艦上空ヲ飛ビ廻ル姿ヲ見ル時、朝ノ戰斗機
ノ搭乗員ガ胴体ニツカマッテ流レテ行ク姿ヲ見タ時ト
同様、歯ヲクイシバッテ脚ノ出ルノヲ祈ル。遂ニ出ず
海中ニ着水、直チニ搭乗員ハ駆逐艦ニ救助サル。
森兵曹、加藤兵曹、早川兵曹……。
全機艦攻其ノ他無事着艦。十二分隊ハ全クム損傷ダ。
搭乗員ノ話モ戰果大。太平洋艦隊ヲ撃滅
シタノダ。
艦爆一機、出発時、油ノ漏洩甚シク煙ヲ吹イテ着艦
シタ……。土屋兵曹ノ操縦。實ニ無念ノ様ダ。
艦爆ガ又帰還ノ際、煙突ニ衝突シテ海中
ニ落チタ。然シ搭乗員ハ駆逐艦ニ収容。此レデ三機
事故ダ。
艦爆二機帰ラズ。戰斗機二機帰ラズ。
実ニ戰斗ノ悲惨ナル状況ニ始メテ接シタ。
艦爆ハ非常ナル被害ヲ受ケテ居ル。
米国ヲ撃滅シタ。日本帝国ニ戰艦六、重巡
数隻、飛行機六〇〇余、実ニ大勝アゲリ。
非常ナル警戒ヲシツツ避退スル。




※日記画像の撮影、内容の書き起こしはともに戦史研究家の吉野泰貴さん。赤字はわたし。







島田さんの日記に、戦闘機が発艦時に海に落ちて「随伴艦ノ「朧」ニ救助サレタ」という部分があるのですが、「朧」は真珠湾作戦には同行していないそうで、島田さんの誤認のようです。

あと、最後の方に「戰斗機二機帰ラズ」とありますが、実際は蒼龍戦闘機隊は飯田房太大尉、厚見峻1飛曹、石井三郎2飛曹の3人が戻っていないので、これも誤認です。
当日中は、島田さんにまでまだ正確な情報が届いていなかったのかもしれません。

13日の日記に、ハワイ攻撃における蒼龍戦闘機隊の被害を「三」と書いているので、このときまでには正確な戦闘機隊の被害を把握できていたものと思われます。



※画像はご遺族ご提供