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乙6期 宮武義彰さん2017年08月02日 00時00分45秒

今朝、何気に松本さんの書簡集を読み返していました。

そしたら、飛練谷田部時代に実家に出した書簡に、

『教員(担任の)は香川県出身の人で、我々の先輩の人です。六期生で神戸の藤田数雄さんと同期生です』

と書かれてあるのが目に留まりました。

「なにっ!? 飛練の教員が6期生!?」

文中の「(担任の)」は編集の武田さんが入れたのか、元から入っていたのか、わたしは書簡原文を見ていないのでわかりませんが、おそらく3~4人の練習生に一人ついてくれる担当教員のことをさしているのだろうと思いました。



松本さんの飛練時代のペア写真を先日初めて目にしました。

「あそこに写っている教員が、この『香川出身の6期生』だろうか。調べたら、お名前がわかるかも」




で、すぐに予科練名簿で6期生の香川県出身者を探しました。

岸本佐市さん、中数賀巌さん、宮武義彰さん、森下武さん。


「宮武義彰さんっ!?」

いくらぼけていても宮武さんのお名前は忘れません。少し前にここに写真を出したばかりだったので。




宮武義彰さん。


中西クロちゃんの遺品中にあった写真ですが、ご本人直筆と思われるローマ字のサイン(Y.Miyatake)が入っていて、それでこの人が「宮武義彰」さんであることがわかりました。

香川県出身の乙6期生ということしかわからず、この写真を「横須賀の写真館で撮られたもの」と紹介したときに、わたしは「この人の詳細は把握していません」とぬけぬけと書いています。

いまとなっては恥じ入るばかりです。






もわもわ・・・・っと、あの写真と宮武さんの個人写真が結びつきました。



「うわあああああ!!!! 松本さんの教員は宮武さんだ!!」





あの写真↓

松本さんのアルバムにあった飛練谷田部時代のペア写真です。


練習生は、後列の3人。左から、
松本勝正さん


村田耕一さん


久米武男さん



そして、イスが教員。

「これは宮武さんじゃろ!!」


教員の階級章
1等航空兵曹(1空曹)です。

6期生は16年5月1日に1空曹に進級しているので、15年12月~16年5月末まで谷田部で飛練教育を受けていた飛練10期生の教員として矛盾はありません。
もし宮武さんだとすると、この写真の撮影期間は16年5月1日から卒業式の5月28日までの約ひと月の間、と限定できます。
宮武さん、襟巻を巻いていて一見寒い時期かなと思えますが、階級章からは16年5月です。

余談ですが、教員の目印、腕章(紐?)も巻いています。
ちなみに、みなさんが興味あるかどうかわかりませんが、救命胴衣の股間紐は一点結びです。





こちらにも。
飛練10期生たちは海兵団ごとのペンネントをつけているので、飛練谷田部の卒業写真だと思われます。
5年前から手元にあった写真。


宮武教員はこれですよね。

5年以上前から見ていたと言っても、さすがに冒頭の写真とは結びつきませんでした。




いちおう、わたしの中では、お顔から、
「飛練谷田部時代の松本さん、村田さん、久米さんの担当教員は乙6期の宮武義彰さん」
と結論付けたのですが、他人の空似ということもあるので裏は取りました。
※「裏」=いつものKさん


艦爆操縦員です。

18年10月1日に582空で戦死されていることもご教示いただきました。


ここまでわかるといろいろ出てくるのです。家にあった書籍などから。あー、恥ずかしい。


以前ここで紹介したことがある操練出身の山川新作さん(艦爆操縦)の手記『空母艦爆隊』にも宮武さんのお名前が何度も出ていました。
山川さんは宮武さんとは隼鷹でご一緒だったようです。

集合写真も手記に載っていたのでスキャンして拡大してみました。宮武さんらしき人、発見。



17年10月26日の南太平洋海戦時のことも詳細に書いてありました。
そのときの隼鷹3次攻撃の際の記述に宮武さんのお名前が出ていました。

3次攻撃隊の編制
[制空隊(戦闘機)]
志賀淑雄大尉
村中一夫1飛曹
小野善治飛曹長
長谷川辰蔵2飛曹
北畑三郎飛曹長
石井静雄2飛曹

[攻撃隊(艦爆)]
木村光男1飛曹(操) 加藤舜孝中尉(偵)
山川新作3飛曹(操) 西川強2飛曹(偵)
宮武義彰1飛曹(操) 木村昌富飛曹長(偵)
小瀬本国雄3飛曹(操) 佐藤雅尚2飛曹(偵)

すでに他隊の攻撃で動けなくなっているホーネットにとどめを刺しに行きました。
発艦後、二時五十分ごろ、ホーネットを発見。

『「打て!」二百五十キロ爆弾は機を離れた。私は目がくらむほど操縦桿を引いた。
ガッと吹き上げる火柱と黒煙、隊長機とほとんど同じところに炸裂した。おどり上がるほどうれしかった。やっと任務は果たした。海面すれすれに避退に移る。ふり仰ぐ空に宮武機がついで突入した。ふたたび火箭はいっせいに宮武機に、また一部はわが機に迫ってくる。
向かってくるときにはただの点にしか見えないが、横から見ると火網の中に突っこむように見える。
「がんばれ! 宮武兵曹」
避退中のわが機には、ほとんど敵弾は来ない。宮武機はぐんぐん降下してくる。機体が大きくぐらりと揺れる。ハッと思った瞬間、爆弾ははなれて機首が上がった。ほとんど一、二番機とも同じところに吸いこまれていく。断末魔にあえぐホーネットに立ち上がる火柱。
小瀬本兵曹が急降下に移った。猛烈にしゃにむに撃ち上げる放火の中に、禿鷹のごとく勇ましく舞い降りてくる』(山川新作『空母艦爆隊』光人社NF文庫)

4機の艦爆が放った4発の爆弾はいずれも命中したと書かれています。

宮武さんのあとから降爆した小瀬本さんの手記『激闘艦爆隊』(朝日ソノラマ)も同じような記述になっています。

『「トツレ」(突撃準備隊形作れ)で編隊を解散し、四機の単縦陣を作り、高度五〇〇〇メートルで接敵に移った。
間もなく「トト・・・・」(全軍突撃せよ)が下令された。砲火を撃ち上げる敵艦艇の両舷側は真っ赤である。
やがて指揮官機は熾烈な敵砲火の中を、必中の執念を燃やし急降下に入って行った。上空から見ていると火の塊の中に飛び込んで行くようであった。私たちの目には一斉に一番機に注がれた。獲物を狙う鷹のように真っ逆さまに突っ込んでいく。やがて一番機が投弾した。
続いて二番機山川機が急降下に入った。――中略――
今度は二小隊長宮武機が急降下に入った。「宮武兵曹、ニ小隊長機の面目にかけても頼みますよ」と祈る気持ちで見守った』

こちらも4機の4発の爆弾はホーネットに全弾命中したと書かれています。



行動調書にも、
「航空母艦命中弾4発大火災 右ニ大傾斜ス」


宮武機は被弾6発ながらも無事帰艦、他の3機も無事に帰艦しました(戦闘機も全機帰艦)。


まあ、なんといいますか。
よくみなさん、「海軍って狭い」と言われますが。
ホーネットの動きをとめた翔鶴艦攻隊には6期の山岸昌司さんがいて(電信員は9期の村上守司さん)、最後の一撃を与えた隼鷹艦爆隊には同期生の宮武義彰さんが。
もちろん、他のたくさんの搭乗員たちの攻撃もあってのことですが、今日は宮武さんのことを追っていて、
「あ、こんなところで、こんな人とつながっていたんだ」
としんみりしてしまいました。
※山岸さんのことはこのへんから後に書いています。







宮武さんはのちにラバウルの582空に転勤。

転勤時期が不明です。
行動調書を見ると、18年8月は隼鷹隊で出撃しているようなので、それ以降の転勤かな?
582空の山本司令の日記の18年9月1日に、編成替アリ、と書かれているので、もしかしたら、そこで隼鷹の搭乗員が582空に移って来たのかもな、とわたしは想像しています。もっと調べたらわかるのかもしれません。
隼鷹艦攻隊の佐々木隆寿さん(9期)もそのころ582空に移っていますが時期がわかりません。宮武さんと同じタイミングかもなあ。わかったらまた書きます。

582空の艦爆隊といえば、冒頭の宮武さんのサイン入り写真を持っていた中西クロちゃんがいた隊です。
クロちゃんは18年6月16日のルンガ沖航空戦で戦死されてしまったので、宮武さんが着任したときにはすでにいません。
それ以前に隼鷹隊はこの方面で作戦しているので、クロちゃん戦死の報はすでにお耳に入っていたとは思いますが・・・・。

今日は、Kさんに宮武さんの最期が582空だったと聞かされて、クロちゃんのことを思い、そのことでもしんみりとしてしまいました。
機種も同じ。写真を持っていたぐらいだからきっと仲が良かったのだろうなあ。
クロちゃんのことは[乙6期]のカテゴリに書いているので、よかったらみてください。ここらへんから「乙6期 中西義男さん」シリーズがあります(ページが前後している可能性あり)。





18年10月1日  ビロア輸送船団及び陣地攻撃  行方不明




行動調書では行方不明になっていますが、7期の松浪清さん(582空艦爆隊、先任搭乗員、偵察)の手記『命令一下、出で発つは』(光人社NF文庫)には「宮武機のことではないのか?」という指揮官機の最期が詳細に書かれています。
ただ、この日の行動調書には「配置不明ニシテ一次、二次ノ何レニテ戦死セルヤモ不明」と書かれてあり、操縦員の宮武さんが偵察欄に、偵察員の指揮官・桜山中尉が操縦欄に書かれていたり、出撃していたはずの松浪さんペア(操縦・金縄兵曹)のお名前がなかったり。混乱していたようでよくわかりません。



※、画像は6期生、9期生ご遺族ご提供

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