Google
WWWを検索 ひねもすを検索

9期1学年3班2015年08月06日 15時48分33秒

3班



前列左から
大原義一さん  鹿児島
操縦  戦闘機
17年11月18日  582空  ブナ

伊藤誠一さん  静岡
偵察  中攻
19年4月4日   755空  南洋群島方面

筒井富雄さん  高知
操縦  艦攻
19年6月19日   653空  マリアナ沖

永田慶士さん  熊本
操縦  中攻
20年4月28日   763空  比島、地上戦

植松繁さん  佐賀
偵察  中攻
19年7月11日   755空 南洋群島方面

綿村亀次さん  山口
操縦  戦闘機
※綿村さんのことを調べている方がいらしたら連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com


野村茂さん  茨城
操縦  戦闘機


後列左から
川原与三郎さん  青森
偵察  中攻
18年2月2日   705空  ガダルカナル島

遠藤桝秋さん  福島
操縦  戦闘機
18年6月7日   251空  ルッセル島

山田茂雄さん  宮城
偵察

西山昇さん  兵庫
操縦  中攻
17年11月11日  705空  ソロモン

繁富悦行さん  広島
偵察  艦上機
19年10月15日  攻撃405  九州東方海域索敵哨戒中不明




前に9期の食事風景だと出したこの写真。

写っている一番手前のテーブルが3班です。
緑の矢印が植松さんで、赤い矢印が繁富さん。

植松さんや繁富さんのこっちで背中を向けている人たちも上の班写真の中のどなたかでしょう。



※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供

イス♪2015年08月06日 18時44分16秒

職場のわたしのイスの下(笑)



黒いカスみたいなのはゴロゴロが分解して散らかったものです(*_*)






前回、仕事に行ったとき、若い職員さんに、

「上司から、ママさんに椅子を買ってやるように指令が来ました。どれにしますか?」

と、事務用品営業マン(←わたしの名刺をねだった)が持ってきたカタログを見せられました。




「じゃあ、フカフカで肘掛の付いた社長みたいなチェアにしていいですか?( ̄▽ ̄)」

「あー、いいですよー( ̄▽ ̄)」


冗談ですがな(´・ω・`)



上司より立派なイスはマジヤバいでしょう。


箱買いの缶珈琲を飲んでいる上司の横で、一人ポタポタの淹れ立てコーヒーを飲んでいるおばちゃん。実は心苦しいのです(-ω-)

その上、イスまでフカフカの肘掛け付きに座ろうなんて、とんでもないおばちゃん(笑)





一応社長イスは遠慮しました。
候補は、ハイバック肘掛け付(ただし座面や背もたれは硬そう)と、ふつうの事務チェア型(ただし背もたれと座面がめっちゃフカフカな感じ)です。

値段はそんなに変わらない。

決めるのは次に出勤するときでいいということなので保留にしてあります。

どっちにしようかな~♪

乙9期 古田保雄さん2015年08月06日 20時09分16秒

高知出身、偵察、中攻。
元山空、鹿屋空、751空。



【東京行軍】

【操偵適性検査】



【香取神宮】


【体操部集合写真】

【運動会】



【艦務実習・山城】
15年3~4月

藤原国雄さんのアルバムに貼られていた「古田二空」


松本さんのアルバムに貼られていた一枚、書き込みなし。
土浦海軍航空隊。15年11月


予科練卒業時の寄せ書き


おもいで
「運動神経の発達した体操の上手な君の大車輪、特に着地が見事だった」

「入隊時隣班、君の体操はオリンピック候補級であったのに」





【飛練・大村】
16年10月

【木更津・大型機講習】
16年12月?




【鹿屋空同期会】
17年5月



18年3月6日   751空  ニューギニア






『予科練外史』に「留魂録」という話が出てきます。倉町先生が、9期の中攻偵察員たちが書いた寄せ書きに留魂録という名前をつけて保管していたのです。

その話の冒頭――

「十六期生が辻堂演習に出発した(17年)四月十三日、昼食後の休憩時間に速達便が届いた。私は、在勤中、横須賀時代、霞ヶ浦時代を通して、卒業生からこんな風変わりな手紙をもらったことはなかった。
 前略
 本十三日丸勢旅館にて待つ
 一八三○迄に御来訪を乞ふ
 報告は対面の後
   第一次凱旋の九鷲
        南 三飛曹
        石井三飛曹
        古田三飛曹」



この手紙は古田さんが書いたのかな?

3人は鹿屋空中攻隊の偵察員です。
この頃、内地に戻っていたのです。

南弘明さん(17年5月1日)


石井三郎さん(17年5月1日)



先生はかれらに会うために土浦の町に出て行きました。


「駅 を出た群衆の流れは、客を待って停車している木炭バスの所で二つに分かれた。右側の大きい方の流れの中に浮かんで二、三十人の黒い軍服の一団が近づいてく る。と、黒い塊の一角が崩れて、一人の下士官が走って来た。陽に焼けた顔の真中が綻びて、白い歯並みが近づく。私も急いで三、四歩近よった。
「還って来ました。」
と元気な声が叫んだ。大翔三千浬、若鷲は赤道を越えて還って来たのである。
「お還り。」
と言って、私は無量の感激を拳にこめて、肩をぽんと叩いてやった。
「南も、石井も来ているんです。」
古田保雄は、流れ行く人混みの中に目を走らせる。戦友が見つからないのをまるで自分の責任ででもあるかのようにいらいら捜す。三人は改札口を出る時、ばらばらになったのだという。会えるに決まっているのに、一秒でも早く会わせてやりたいと焦る心遣いが嬉しかった」

その後、南さんと石井さんも無事合流。

話の詳細は『予科練外史』を読んでいただければ。




九期留魂録の古田さんの言葉。

「九鷲の魂こもる記念の樹
   雄飛の松は永久にゆるがじ

   出征の途上東海道の車中にて    九鷲 古田保雄」




9期生と雄飛の松の話はちゃんと書かなければいけないと思いつつ、まだ書けていません。

何度か、土浦航空隊卒業時の雄飛の松との記念写真を出していると思いますが、ちゃんとは書いていないですよね。

9期生が予科練卒業にあたって土浦の庁舎前に記念に植えていった松です、雄飛の松。

かれらにとっては特別な松です。
自分たちの分身のように思っていた松です。

『予科練外史』
「特に、九期生からの戦地だよりには、殆ど<松は元気だろうか・・・・>と書かれていた。私は返信には必ず記念樹の写真を添えて、<・・・・松はこんなに元気で諸君の武運を祈っているよ・・・・>と書いてやった」


15年11月末。


先日見せていただいたSさんの写真の中に、戦後の、こんな一枚がありました。
雄飛の松です。

撮影の日付けが1988年6月1日になっています。
この日がどういう日かわかりますか?
かれら9期生が予科練に入隊したのが昭和13年(1938)6月1日。
入隊してちょうど50年目の6月1日です。

この松がここに植えられて最初に見送った9期生――かれらのほとんどが、生きて再びこの地に集うことができませんでした。




空襲にも耐えたかれらの松ですが、平成6年に伐採されたそうです。
現在は2代目が植わっているのだとか。


※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供

※古田さんのことを調べている方いらしたら連絡いただけるとうれしいです。
hinemos.mama@gmail.com