Google
WWWを検索 ひねもすを検索

9期生の人数【操偵別】2014年04月10日 10時43分05秒

すいません! まだこの問題に引っかかっています(^^;)

いままでに書いたことのまとめ。

・9期生は200名入隊予定だったようだ。
・実際に入隊したのは198名。
 ※以前「実際に入隊したのは197名」と書いていますが勘違い
  『予科練外史』に名前が挙がっている197名+藤代さん手記にあるY練習生
 
・予科練卒業時までに4名が辞め、194名になった。←「九期生名簿」の人数



今日は操縦専修生と偵察専修生の人数に関して。

手元の資料(戦史人物経歴研究家氏から提供していただいたものをベースにして若干わたしが手を加えたもの)では、

操縦専修生・・・・84名
偵察専修生・・・・110名

になっています。

計194名。
数字的には合っています。

じゃあ、問題ない!

――ようにありますが、実は問題があります。

藤代護さんが手記に「(昭和15年11月30日)偵察専修生百七名は鈴鹿空へ配属され」と書いているからです。

「107名とな!?」

偵察専修生・国見新太郎さんが予科練を一緒に卒業できず乙10期に残ったので、合わないのは当然です。
が、それなら109名では?

あと2名、合いません。



実は人数が合っていないのは偵察専修生だけではなく、操縦専修生も合っていないのです。

藤代さんの手記には偵察専修生の人数は書かれていますが、操縦専修生の人数はかかれていません。


で、写真に写っている人数を数えました。
2空の階級章をつけた操縦専修生のみの集合写真・・・・86名

1空の階級章をつけた操縦専修生のみの集合写真・・・・86名
※集合写真の中からジョンベラのみ抜き出した人数。
※どちらも松本勝正さん所有写真


なぜ手元の資料「84名」より2名多いのか。


これは現時点でのわたしの想像ですが。

予科練卒業時の寄せ書きというのが存在します。
操偵クラス別に書かれています。操縦1枚、偵察2枚、あります。
ただ、寄せ書き自体に「操縦」とか「偵察」とか書かれているわけではなく、お名前を見てわたしが「これは操縦分隊だな」「こっちは偵察分隊だな」と思っているだけです。

お名前は、書いている人もいれば書いていない人もいます。

操縦専修生の色紙の中に、「九期生名簿」でも「手元の資料」でも「偵察専修生」として登録されている人のお名前があるんですよね(^^;)
※「九期生名簿」は操偵の記載ミスが多いです。そのミスを戦史人物経歴研究家さんが訂正してくださっているのが「手元の資料」。

上田伴則さんです。
飛練中に兵役免除になっています。
予科練卒業時の寄せ書きに、操縦専修生にまじってただお一人だけ偵察専修生の上田さんがそこに書き込む、ということは考えにくいので、上田さんは実際は操縦専修生だったのではと思っています。



同じく予科練卒業時の操縦専修生寄せ書きに「三浦駿一」さんというお名前があるのですが、この人、9期生ではありません。どうも8期生のようです。卒業が9期生と一緒になった、と。
「九期生名簿」にお名前はありません。



集合写真の「86名」は、上田さんと三浦さんを加えた人数なのでは?
と想像しています。


※8期で入隊している三浦さんに関しては、9期生が1空ならすでに3空曹に任官しているのでは?という疑問も生じたのですが、実施部隊に出てからの三浦さんの階級を見ると9期生と同じなので、おそらく9期生が1空なら三浦さんも1空だったのではないかと思っています。
→操縦専修生の集合写真に写っているとしたら同じジョンベラ





もし、この想像が正しければ、上田さんが偵察専修生人数から外れるので、偵察専修生は「108名」。
それでも「108名」(^^;)



上田さんが動くと「手元の資料」が、
・操縦専修生・・・・85名
・偵察専修生・・・・109名(国見さん含む)


藤代さんの「107名」がわからないままですが、わたしとしては、現時点ではこの人数が9期生194名の正しい操縦専修生・偵察専修生の内訳じゃないかなあと思っています。