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乙9期 加藤勝正さん2014年03月12日 09時43分15秒

静岡出身、偵察、中攻。
4空。


【東京行軍】


【大楠山慰安行軍】


【葉山自転車行軍】


【14年紀元節】


【操偵適性検査】


この写真は、1月に見せていただいた池田和義さんの写真の中にあったものです。
適性検査時の待ち時間かな?
なかなか興味深い写真でした。また今度。



【鈴鹿・偵察飛練】





おもいで
「入隊した頃、加藤清正とおぼえていた。名は体を表すとか本当に厳正な君だった」

「入隊時同班。君の積極さにはいつも敬服していた。勉強家の反面よく世の中のことを知っていた。糸姫さんのことなどを聞かせてくれた。何も知らない俺には羨ましい人生経験だった。そして運動も上手でそのイダテン振りには舌を巻いたものだった。鈴鹿で運動会の優勝に大きな貢献をしてくれた君。静岡というところは君を生んだところ、いまでも富士を見るたびに思い出す君。いい人がそこにいたのではないか。それにしても戦いとは悲しいことを残すもの、やすらかに俺を待っていてくれ。泉下でその後を語り合おうよ」




同期生・本間猛さんの手記『予科練の空』。
「静岡県は富士郡の産で、予科練時代から努力の人であり、たいへんな勉強家だった。朝な夕な霊峰富士を眺めて育ったのであろう彼の人となり、人生観には、透徹としたものを、当時からすでににじませていた。俊敏な運動神経の持ち主で、運動万能であったが、とくに陸上競技に秀で、トラックを疾走する彼の俊足は、クラス対抗競技でいつもクラスに大量得点をもたらした。
昭和十六年春、鈴鹿航空隊で並みいるクラスを尻目に、わがクラス優勝の大運動会のときも、彼の韋駄天が高得点を与えてくれたのであった。優勝旗の傍らに白鉢巻きをきりりと締めてほほえんでいる当時の写真を見ると、彼をはじめ散華した級友の姿はいつまでも若々しい。彼は開戦後、いくばくもない昭和十七年二月二十日、南溟に消えた」


鈴鹿航空隊運動会優勝の記念写真(飛練卒業アルバムから)。
優勝旗の右側に立っているのが加藤さんです。
その右が前川重美さん、二人置いて谷村博明さん、その右が宮沢政雄さん。

体操服?みたいなかっこうの人たちが9期生です。
どういうメンバーか特定していませんが、おそらく運動会で活躍した中心メンバーなんだと思います。





倉町先生に書いた寄せ書き(『予科練外史』)。

渺望果し無き太平洋 いざ快男児征かん    中攻の放浪児 加藤(勝正)




17年2月20日    4空   ラバウルから敵空母攻撃




※画像は雄翔館、羽藤さん、石川さん、池田さんご遺族提供

乙9期 鈴木俊夫さん2014年03月12日 10時21分28秒

中攻偵察4人。

鈴木さんお一人だけ笑っていないんで(^^;)
探しやすいかったです。
が、あまり写っていませんでした。


9期生には鈴木姓が4名います。9期の最多姓。
鈴木光雄さん   偵察 中攻  北海道 17年11月12日 ルンガ泊地
鈴木俊夫さん   偵察 中攻  福島  18年1月27日 ガダルカナル島攻撃
鈴木文亮さん   操縦 中攻  秋田  16年12月19 ウェーキ島攻撃
鈴木松巳さん   操縦 戦闘機  三重  17年7月11日 モレスビー攻撃





福島県出身、偵察、中攻。
鹿屋空、751空。

【東京行軍】

【香取神宮】


【鈴鹿・偵察飛練】


おもいで
「背の高い女の子を思い出すような君だった。柔らかい雰囲気の中にもきりっとしたところがあったね」
スマートなインテリと言った感じ。なのにどこか芯が強かった君、その手柄話でも聞きたかったのに」


予科練卒業時の寄せ書きにお名前はないのですが、そのかわり『予科練外史』に自筆の寄せ書きが複数掲載されていました。

ひとつは例の中攻偵察員たちが16年末に実施部隊に赴任するとき、たまたま東海道車中で一緒になった倉町先生に書いた寄せ書き(『九期留魂録』と名付けられている)。

ちょうど右側が切れたところに鈴木さんのことばが書いてあり、前半は何が書いてあるのか不明・・・・残念

(不明)・・・・勇躍征途に就かむ      鈴木俊夫


もうひとつは、17年3月に倉町先生に届いたという『九期爆音会鹿屋空有志』と書かれた寄せ書き。

初陣奏功 赤道直下元気で頑張って居ります   鈴木俊夫


これらの色紙、どちらも鈴木さんの直筆の画像が掲載されています。


18年1月27日   751空   ガダルカナル島攻撃



この日はカビエンからガダルカナル飛行場の3次にわたる攻撃任務。

(第3次攻撃隊)
2130 一式陸攻8機 基地発進  (26日)
0225 ガダルカナル飛行場爆撃
     爆撃直後一小隊を除く各機は単機帰投
0320 谷口機行方不明
0640 7機 基地帰着

鈴木さんは3小隊2番機なので、爆撃後、単機で帰投していたということでしょうかね。
「0320 谷口機行方不明」というのが鈴木さんが搭乗していた機です。
「谷口機」の「谷口」は乙9期同期生の谷口十七夫1飛曹のことです。
谷口さんが主操縦員(「谷口機」ってことは機長?)で、鈴木さんが主偵察員のペアでした。
爆撃後一時間ほど経過しての「行方不明」。何があったのだろう・・・・。


※画像は雄翔館、松本さん、羽藤さんご遺族提供