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乙9期 岡田温次郎さん2014年03月10日 10時20分38秒

愛媛県出身乙9期生の中で最後までお顔がわからなかった岡田温次郎さん。
ほかの方(羽藤さん、松本勝正さん、安達さん、和田さん、石川さん、遠藤秋章さん)のお顔がわかっていたので、石川さん所有の「愛媛県出身乙飛生」の集合写真(8~10期、9~10期)から見つけ出すことができました。


愛媛県出身、偵察、中攻。
4空

【予科練入隊前】


【東京行軍】



【大楠山慰安行軍】


【操偵適性検査】


【愛媛県出身乙飛生集合写真】

 


【鈴鹿・偵察飛練時代】


鈴鹿の次、宇佐、それから大型機講習で木更津、それから実施部隊に赴任したようです。


予科練卒業時の寄せ書きに岡田さんのお名前はありません。
が、「伊豫」という署名?のことばはあります。

男の中の男たれ  伊豫

たぶん、遠藤秋章さんか岡田さんのどちらかが書かれたのだと思います。



予科練の倉町先生が、9期の中攻偵察員たちが書いた寄せ書きを持ってるようで、そこに岡田さんも書かれているみたいです。

米国何スル者ゾ!!     岡田温次郎


だたこれは『予科練外史』の本文に活字で紹介されているもので、岡田さんの筆跡はわかりません。
遠藤さんの筆跡も不明なので、「伊豫」さんがどちらなのか判断はできません。

と、ここまで書いて、遠藤さんの筆跡ではないかと思えるものを持っていることを思い出しました!
去年末の愛媛乙9期会の席でご遺族の方にいただいた遠藤さんの写真の中に、ことばが書いてあるものがありました。
ちゃんとしてから出したいと思っていますが。
そのことばと「男の中の男たれ」の中で共通の文字は「の」だけです。
ちょっと判断がつかないなあ(^^;)





おもいで
「名は体を、又性質を、いかにも穏やかで温和しい人柄であったが、少し茶目っ気、おっちょこちょいのところも適当に持ち合わせていた」
「何となくちょこちょこしたところがあって愛すべき君だった」



17年2月20日  4空  ラバウルから敵空母攻撃



この日の攻撃では4空の9期生7名が一度に亡くなっています。
操縦・・・・石川茂3飛曹、木原辰雄3飛曹
偵察・・・・本間秀人3飛曹、加藤勝正3飛曹、蒲田栄作3飛曹、志村実3飛曹、岡田温次郎3飛曹


石川さんのご遺族が保存されていた、2月20日の攻撃に関する当時の新聞記事に「あゝ 伊豫 空の三勇士」という見出しで、岡田さんのことも書かれていました(あとお二人は石川さんと前田道一1整曹(戦死後))。

勇敢な性格
    岡田二飛曹
見敵必殺の海軍魂で米航空母艦に愛機とともに体あたりを食わせ壮烈な戦死を遂げた岡田温次郎
(”おん”と読みが振ってある)二等飛行兵曹は愛媛県伊予郡○○○の出身
昭和十三年少年航空兵として横須賀航空隊に入隊したもので平生黙り屋であったが思ったことは果敢に実行するという軍人に打ってつけの性格だった
出征前両親に寄せた最後の便りに
 長い間鍛えに鍛えた腕を試す時が来ました。男に生まれてこれ以上の喜びはありません
と壮途に上る感激と両親へ生きて帰らぬ覚悟を書送っている

※仮名遣い、旧字体、住所などはわたしがいじっています。
また階級は戦死後階級です。

岡田さん、”おんじろう”さんだったんですね・・・・。”はるじろう”かな?と思っていたのですが。


17年2月20日の件はそのうち書きたいと思っています。


※画像は雄翔館、石川さん・羽藤さんご遺族提供

乙9期 谷村博明さん2014年03月10日 18時53分36秒

(以前出した記事に追加しました)

福岡県出身、偵察員。中攻。
木更津空、高雄空、753空、705空


谷村さんは、清水巧さんのご遺族の方からご提供いただいた雄翔館の写真の中にお名前が書いてあり、お顔がわかりました。

でも、それ以前から、この人が谷村さんだろうなあ、と思っていた人がいました。

9期生のおもいでによると、水泳が達者だったらしいんです。

松本さんの写真の中に、褌一丁で一人でポーズをとって写っている練習生らしき人の写真があり、わたしはずっとその人が谷村さんじゃないかと思っていました。

やはりその人が谷村さんでした。

雄翔館の谷村さん。





【東京行軍】



【香取神宮】


あとは水泳の写真。
この写真も集合写真です。
赤帽から線3本の谷村さんまで、いろんなレベルの練習生たちが教官らしき人と一緒に写っています。

線3本は谷村さんだけです。



こちらが松本さんのアルバムに貼られていた谷村さんお一人の写真。
全身像です。


【鈴鹿、偵察飛練時代】



これは運動会優勝時の記念写真です。
谷村さんは水泳、剣道だけではなく陸上競技もいけたようです。



おもいで

「水泳の名手。そのたくましさに瞠目したものだ。よく一緒に競技に出て活躍したね」

「九州男児の面目躍如、剣道では光っていた」

「「谷村、教官の前で居眠りする奴があるか、君は何か特別の運動でもやっているのか!!」「ハイ、休み時間はいつも剣道をやっております」とすました顔。十一聯空新記録を次々更新した君の泳ぎは常にワイズミュラーを思い出す。横須賀の予科練時代、夕食後いつもシルコを八杯以上平らげて温習時間はいつも満腹コックリ。そして写真代の方が月給よりも多かった君だった。またラブレターでいつもつかまってやられたね」


谷村さんの泳ぎの実力に関してはこちら。



谷村さん、手記(日記?)が残っていたようです。
倉町秋次さんの『予科練外史』に引用されていました。

17年3月4日、高雄空のチラチャップ攻撃
『チラチャップは、ジャワ島の南岸にある。海岸線に沿って進入する。
雲あり。上空を旋回して機を待つ。港には無数の船舶がある。一回めは船舶に命中、二回めは軍港の重油タンクを直撃、ために黒煙天に冲して黒煙はなかなかおさまらない。三回めは船舶を狙ったが、命中弾を得なかった。低空では味方の零戦が上空制圧をしていた』

17年9月27日、高雄空のガダルカナル飛行場攻撃
『二十七日、晴、天高く爆撃日和。我等中攻十八機、堂々一路ガダルへ向かう。着弾良好。敵飛行場上空での空中戦二十五分。高角砲は非常に良い所に来る。二小隊二番機は直撃を受けて自爆。最初の攻撃時にやられた。
明日の攻撃の搭乗割は二小隊の二番機。魔の二小隊二番機だ。しかし俺が行く以上は絶対だ。高角砲来らば来れ。戦闘機も来いだ』

谷村さんの手記、全部読んでみたいですね・・・・。




『第705海軍航空隊史』より
昭和十八年四月十八日   山本長官戦死時の搭乗者名簿

1番機  ジャングルに突入、炎上
主操縦員 小谷立 飛曹長
副操縦員 大崎明春 飛長
主偵察員 田中実 上飛曹
副偵察員 小林春政 飛長
先任電信員 畑信雄 1飛曹
次席電信員 上野光雄 飛長
搭乗整備員 山田春雄 上整曹
搭乗者   山本長官、樋端航空甲参謀、高田軍医長、福崎副官

2番機  海上に不時着
主操縦員 林浩 2飛曹
副操縦員 藤本文勝 飛長
主偵察員 谷村博明 1飛曹
副偵察員 野見山金蔵 飛長
先任電信員 伊藤助一 2飛曹
次席電信員 八記勇 2飛曹
搭乗整備員 栗山信三 2整曹
搭乗者   宇垣参謀長、友野気象長、室井航空乙参謀、北村主計長、今中通信参謀

戦藻録の中で、宇垣参謀長の「何事か?」の問いに、「間違いでしょう」と答えた谷本という機長、これが谷村さんのことと思われます。

突然の敵機来襲に気づくのが遅れ・・・・。

救助されたのは2番機の宇垣参謀長、北村主計長、林2飛曹のみ。



18年4月18日  705空 ブイン西方海上



※画像は雄翔館、羽藤さんご遺族、武田信行氏ご提供
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