『山﨑市郎平』 ― 2013年07月18日 20時05分06秒
石川清治さんの手記『零戦で戦った私の365日』
(同年兵の米川さんのことを書いたあと)
『操縦の階級のちがいはあっても、同年兵はいいものだ。なまえを呼ぶにも何々兵曹などとかたくるしい呼び方は決してすることはなかった。わたしなど石ならまだいい方で、「石松」と来るんだから。
あとから来た八王子出身の山崎市郎平をくわえて、トリオでよくふざけたものだ。「おい、イチロベイ」「たのむからイチロウといえよ」「だって貴様イチロベイじゃないか」というように――』
同じく同年兵で台南空でご一緒だった一木さんも、
「イチロベー、イチロベー言うてねえ」
と懐かしそうに言われていました。
あとから来た八王子出身の山崎市郎平をくわえて、トリオでよくふざけたものだ。「おい、イチロベイ」「たのむからイチロウといえよ」「だって貴様イチロベイじゃないか」というように――』
同じく同年兵で台南空でご一緒だった一木さんも、
「イチロベー、イチロベー言うてねえ」
と懐かしそうに言われていました。
山﨑さんのお名前は、何の疑いもなく「イチロベイ」なんだと思っていました。
むしろ、「山﨑」に引っかかりました。
「やまざき」なのか「やまさき」なのか。
これはご親族の方に聞いて解決、「やまざき」です。
さらにさらに、本人自筆と思われる手記の署名は「山崎」だけど、戸籍や墓碑では「山﨑」になっている・・・・。
これも今回確認してきました。正式には「山﨑」だそうです。
今回の檜原村行きで予想もしていなかった大変なことが発覚いたしました。
ご親族の方々、みなさん「イチロヘーさん」と呼ばれていた!?∑( Д ノ)ノ
最初「イチロヘーさん」を耳にしたときは空耳かとすら思いました。
でも、会う方会う方みなさん「イチロヘーさん」・・・・。
マ、マジですかあ!?ΣΣ(゚д゚lll)
今回、お目にかかった中に、山﨑さんと直接面識がある方はお一人でした。
少女時代に、251空の頃?帰省していた山﨑さんと一緒に歩いたことがあるらしいのですが、ひとこともことばを交わさなかったそうです(当時は他人)。
直接本人に「イチロヘーさん♪」と話しかけられたことはなさそうでした。
でも、ご親族の方々がそう呼ばれているので「イチロヘー」なんだろうなあ・・・・。
石川さんの手記も、よくよく読むと、”ふざけて”「イチロベー」と呼んでいた? そんな風にもとれますよね。
一木さんのお話もね、ふつうなら「ヤマザキ」とか「ヤマ」とか「ヤマさん」と呼ぶところを、呼びやすいから「イチロベー」と呼んでいた、っていうふうに受け止めていたのですが、もしかしたら、
「(本当はイチロヘーなのに)イチロベー、イチロベー」
と呼んでいた・・・・みたいな話?(^◇^;)
ご実家にあった海軍関係の書類にも戸籍にも、読み仮名が振ってあるモノはひとつもありませんでした。
ご親族の方々が「イチロヘー」と呼ばれていたので、「イチロヘー」ってことで(^_^;)