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姫ちゃん2013年04月08日 00時15分49秒

さっき帰宅しました。

ご存じかと思いますが、金曜の朝から家を空けていました。
ひとつ、気がかりを残したまま。


姫ちゃんが、起きてきませんでした。
いつもなら、ママが起きて水槽を覗き込むと、ハッと目を覚ましてエサをおねだりに来ます。
松かさ病を発病してからも、床にペタンとしていても、ママを見つけると上がってきて寄ってきていました。

金曜日は動かなかったんですよね・・・・。

エサを落としてみたのですが、食べることができず。あとで網で回収しました。
少しして泳ぎだしたので再びエサをあげてみたら、今度はよろよろしながら食べてくれました。

あー、もう、ダメだな。

と思いながら、「姫ちゃん、さようなら」と、そういう覚悟で家を出ました。


不在の間、何度かパパに、
「姫、どない?」
とメールを送りました(パパがちゃんと生活できているかは一度も確認しなかった・笑)

その都度、
「床にペタンとしている」
というメール。

正直、ホッとしていました。


まだ、最後の段階じゃないんです、これ。
もっと悪くなると、床にペタンとすることもできなくなります。
水流に身を任せ、水中を漂うように・・・・。それでもまだ口とエラはかすかに動いている・・・・という状態になったら、もうダメです。

ペタンとしている体力は残っているんだな、と思いながら帰宅したら、ママを見つけた姫ちゃんが水面近くまで泳いで来てくれました。
リビングは消灯してあるので、画像が見にくくてスイマセン

新聞紙の隙間からママが見えるところに来てくれてしばらく泳いでいました。

顔を近づけてみたのですが、ウロコの浮きや体の腫れはおさまっていないようです。

でも、生きててよかった。

ログイン不可能2013年04月08日 10時33分31秒

スマホからは入れるのに、パソコンからログインできません(T_T)


書きたいこと、いっぱいあるのに。


とりあえず。

朝起きたら姫ちゃん泳いでいました。

ウロコの浮きも体の腫れも引いてるような?

復活(^_^)v2013年04月08日 10時41分28秒

再起動したらログインできました。



金曜日、わたしが出て行くときは体がパンパンでほとんど動けなかった姫ちゃんが、今朝はちょっと細くなって、泳ぎ回っていました。



ウロコはまだ浮いていますが、最悪のときよりおさまっています。



ママと春海がいない間はずっと底でペタンとしていたそうですが、今日は朝からここで浮いたまま泳いでいます。
それはそれで心配。

もっと中層を泳いでくれたらいいんだけどー(^_^;)

どちらのおかげ?2013年04月08日 11時52分54秒

パパが、
「姫ちゃんがよくなってきたのはパパの看病のおかげだとブログに書いておけ」
と言ってきました。


昨日の夜、新幹線の中から様子を尋ねたときは、
「ペタンとしている」
という返事だったんですよ?

ママと春海が帰ってきて、水槽を覗いたときは水面に浮いてきて泳ぎ回っていました。
そう、まるで、
「ママー、はーちゃーん、お帰りー! 姫ちゃん、待ってたよー(^o^)」
と言っているみたいでした。

たぶん、玄関を開ける音を聞いて、
「ママとはーちゃんが帰って来た!(・∀・)」
ってうれしくって復活したんだと思うんですよね。


これって、ママと春海のおかげですよね?(-_-;)

一木利之飛曹長2013年04月08日 20時37分27秒

台南空、ラエ指揮所前(6月20日)やラバウル指揮所前(11月?)集合写真に写っている一木利之2飛曹(終戦時・飛曹長)。

この方ですけどね。
11月ラバウル


なななーーーーんと!      会いに行ってきました!

わたしの場合、研究者でもジャーナリストでもないので、調査でも取材でもなく、ただ「会いに行った」が相応しいかと(笑)

ここに書いていることも、「会いに行って来ましたーーーー!」という日記みたいなものです。
「せっかく会っておいて、肝心なこと聞いてねーじゃねーかよー!(怒)」
というクレームは受け付けません(・ω・)

本当に、一目お目にかかれるだけでよかったんです。

もちろん、お聞きしたいことは山のようにありますよ。
でも、お目にかかれただけで感激でした!
泣いたらどうしようかと思っていたのですが、何とか泣かずに済みました。




12年志願兵。
駆逐艦。
丙2期。
台南空、横須賀空、263空、352空、岩国空。

一木さん、もともと物静かな方らしいですが、われわれの質問にも、ぽつりぽつりという感じで(^_^;)
経歴は、ご家族のお話や、見せて下さった名簿類からわたしが推測してみたものです。
もしかしたら間違っているところがあるかも知れません。
飛龍乗組のご経験がおありだそうで。
丙飛の前だと思うのですが・・・・。


台南空の集合写真を拡大したものを見ていただいたのですが、
「みんな死んでしまったねえ・・・・」
ということと、
「海軍は転勤が多いから(あまりひとりひとりの名前を覚えていない)」
という意味のことを何度も言われていました。

そんな中で、数人、はっきりと「覚えている」と言われた方がいらっしゃいました。
笹井中尉、高塚さん、坂井さん、西澤さん、大木さんなど。
「どんな方だったのですか?」
という質問には、明確に、「こんな人」というお答えはなく、にこっとされたり・・・・「大先輩」と言われたり、まあ、そんな感じでした。

あ、台南空ではないですが、ご家族の方に、
「羽切さんがとてもいい人だった」
というようなことを言われていたみたいです。

乙9期生のことも聞いてみたのですが、あまりご記憶になさそうな・・・・。
予科練生とはふだんあまりつるむこともなかったのでしょうか。
9期生は当時3飛曹で階級も違うしなあ・・・・。


なら、同年兵はどうだ!!

「山崎市郎平さんは覚えておられますか?」
写真を見せて尋ねてみました。

一木さん、写真を見つめながらニコニコ肯かれ、
「覚えている」
と。

「どんな方だったんですか?」
「おもしろい男。みんな”イチロベー、イチロベー”言うてねえ」
なつかしそーに言われました。

そのあとでもう一度山崎さんの話になったときに、
「一緒に遊んだりしたのですか?」
と聞いたら、ニコニコ肯かれていました。
ちなみに一木さんは酒はまったくダメ、甘いものオンリーだそうで。


山崎さんはこんな人
「少々早とちりでそそっかしい」「温厚でやさしい」(by操練同期生)
「おとなしい人」(by同じ航空隊だった人)
「おもしろい男」(by同年兵)                 ←new!



あと、戦史にとってはどーでもよいことですが、わたしにとっては大事なこと・マフラーのことも聞いてきました。
台南空(251空)11月と言われている集合写真。
一木さんと、右隣の遠藤さんだけが濃い色つきのマフラーをしています。

遠藤さんのことは印象に残っておられないようだったので、あえて「遠藤さんのマフラーの色」は尋ねませんでした。
一木さんご自身は、
「マフラーは白か青」
と言われました。

6月に白かったマフラーがどうして11月に青になっていたのか、そこらへんは聞きそびれました。
元から2枚持っていたのかな?


長くなりそうなので、何回かにわけますね。
※画像は武田信行氏ご提供