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乙9期 牛王正明さん2012年12月27日 12時24分33秒

偵察員はお顔がわからないからなーーーー(T_T)
ここにまとめるのは無理かもなーーーーと思っていたのですが、藤代さん班写真に写っていた方だけでも。

愛知県出身、偵察。

【東京行軍】






【大楠山慰安行軍】



おもいで
「入隊時同班であった穏健な悟ったような君であったが、モールスでは苦労したね。大人しい中にシンがあって中々後へは引かなかった。よくお寺さんの話を聞かされたものだったが」
「そうそう、お寺さんの出身だったね。牛王という姓は日本中で俺の一族だけだとか言っていた。あの端正な顔立ちで坊主になっていたらブリンナーではないが女性からよってたかって破戒坊にされてしまうだろうな」

予科練卒業時の色紙
色紙は操偵別に書かれています。
操縦専修生は1枚に。偵察専修生は2枚にわけて。

操縦専修生も名前を書いていない人がいるのですが、それにも増して名前を書いていない偵察専修生たち(´д`)

牛王さんのお名前もありません。
が。名古屋出身は牛王さん一人なので、たぶんこれが牛王さんのことばだろうと思います。




1空、752空、702空



1学年時同班だった松村政人さん(中攻操)とは、飛練卒業後から1空、752空、702空とずっと一緒です。
ふだんのペアは違っていましたが、1回だけ同じペアで飛んでいるのを見つけました。同期生がペアでいることは心強いことでしょう。戦とはいえ、喜んだだろうな、と想像します。
松村さんは18年9月4日、ニューギニア方面で戦死。
2ヶ月後に牛王さんも・・・・。


18年11月8日  ブーゲンビル  702空


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パパのお昼ごはんが悲惨すぎる件2012年12月27日 19時58分04秒

パパ、会社から帰って来るなり、
「これ、今日のお昼ごはん」
とママのところに持って来ました。




「いろいろ入っているんだ!( ^o^)ノ」

と、どや顔で。

乙9期 佐々木隆寿さん2012年12月27日 20時10分59秒

宮城県出身、偵察。

集団の中にいても一際目立つ背の高い人です。


【東京行軍】






【大楠山慰安行軍】


【操偵適性検査】


おもいで
「偉丈夫。東北独特の発音が今も耳に残っている。上体を振って歩く姿も髣髪ふつと目に浮かぶ。あとほんの一寸だったのに、第一線に出てから会うこともなかったが戦後風の便りで生きていると聞いていたのに」



先日刊行された大澤昇次さんの『最後の雷撃機』に佐々木さんのことが出ています。

『昭和二十年三月九日だった。警戒待機もなく、夜間訓練もなかったので、佐々木隆寿飛曹長(乙飛九期)等と一緒に銚子に出かけ酒漬かりの憂さを晴らしたのだが、終わった時にはもう汽車もなく、帰れないのでそのまま旅館で寝てしまった』※乙9期生は20年3月時点では上飛曹

ところがその夜中に空襲。

飛び起きてみなで消火・防火につとめた――という話です。

『昭和二十年八月十四日、よく一緒に飲み、また銚子の旅館で一緒に消火活動をした佐々木隆寿飛曹長が千葉県飯岡沖の攻撃で戦死された。
その翌十五日に終戦となった。わずか一日の違いだった』



20年8月14日  鹿島基地  攻撃256

※大澤さん手記では終戦時香取基地


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