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今日のランチ2012年04月20日 19時05分33秒

書きたいことがたくさんたまっています。

↑春海に朝ごはんをもらって喜ぶきんぎょちゃんたち。
今回はなんとか1週間乗り切りました(ToT)

この子たち、寝過ぎ(-_-;)
寝ているのか、弱っているのかよくわからず困ります。
ちょっと目を離すと寝てる・・・・。

でも、春海が水槽に近づくと、俄然元気に!(・∀・)
どうやら短期間のうちに学習して、「春海=エサ」と認識した模様。


今日も仕事に行って来ました。すげえ! 週3だぜ!?(゜Д゜)

雨が降っていたので、途中の商店街でパンを買って行きました。
たぶん、ママが学生の頃からあったと思う。

総菜パンが豊富で、総菜パン大好き人間のママは、毎日通いたいぐらいです。

でも、生協も試したいしーーーー。

で、3回目にしてようやく立ち寄ってみました(^o^)

ウィンナーのパンとハンバーグサンドイッチ。

ウィンナーのパンは、ウィンナーの下にカレー味のキャベツの千切りが敷いてあって辛いんですよ、でもおいしいんですよ!(>_<)


お昼ごはんを買うだけではアレなので、ちょっと日持ちしそうなパンも買ってみました。

スイートポテトは早く食べた方がいいかな?

あとは冷蔵庫に入れておけば、明日、明後日でもいけそうです。

吉野泰貴『日本海軍艦上爆撃機 彗星 愛機とともに』大日本絵画2012年04月20日 19時30分08秒

本日、入手いたしました。


『流星戦記』の吉野泰貴さんの『彗星』です!

まだパラパラと見ただけですが、文字を読むのが苦手なママでも大丈夫な本です。
塗装図とか写真がたくさんっ!?

最初の数ページ見ただけで、
「よし、次は彗星作るか(-_-)」
って気になっちゃいました(笑)

いや、冗談抜きで。
知人に話したら、
「彗星ならファインモールドの33型ががいいよ( ^o^)ノ」
と勧めてくれました。ママもこの本を見て、
「作るなら33型がいいな」
と思っていたところです。
が、ママはハセガワ派(?)なので、
「せっかくのお勧め申し訳ないが、ハセガワで作る!」
とネットで探してみたところ・・・・

ハセガワの彗星はないんかな!?(^◇^;)




プラモの話はとりあえず置いておいて。

内容は・・・・。
吉野さんも「はじめに」で述べられているように、当該部隊史をゆくゆく整理したいという思いから集められた資料を基にしているため、
『「彗星」装備部隊全てを紹介する主旨の書物ではない』
とのこと。
当該部隊は・・・・書いちゃっていいのかどうかわかりませんが、主な目次の項目は以下の通りです。

第1章 マリアナ決戦まで
 第501海軍航空隊
 第503海軍航空隊⁄第503海軍航空隊攻撃107飛行隊
 第523海軍航空隊鷹部隊
 横須賀海軍航空隊艦爆隊
第2章 彗星一二型装備部隊
 第502海軍航空隊攻撃第103飛行隊
 第653海軍航空隊攻撃第263飛行隊彗星隊
第3章 海軍攻撃第3飛行隊
第4章 第210海軍航空隊艦爆隊
第5章 彗星残照
 第601海軍航空隊攻撃第1飛行隊
 第701海軍航空隊攻撃103飛行隊
 百里原海軍航空隊艦爆隊

巻末に彗星の開発や各型の変遷に関するアレコレが図入りで紹介してあります。

他にもエピソードやコラムも挿入されています。


503空攻撃107といえば、朝枝国臣大尉(兵68期)。
あだ名は”オジイ”。
兵学校同期であり、飛行学生時代、教官時代もご一緒だった鈴木さんが「一見豪傑肌に見えるが真面目で気は優しく、口数少なしでした」と言われていました。
その朝枝大尉が、彗星をバックに写っている写真が大きなカットで載っていました。
人柄の良さがにじみ出ている写真です。


気になる写真もありました。
701空攻撃103。宇垣特攻出撃時の写真。

遠藤秋章飛曹長が、一斗缶を手に持って、先に宇垣さんが乗っている偵察席に乗り込もうとしている写真です。

この写真、初めて見たのですが。

遠藤飛曹長は、乙9期の出身です。しかも、羽藤さんや松本さんと同じ愛媛出身。
        愛媛県護国神社の慰霊碑裏面
        「九期」は上の段に和田邦介さんと石川茂さんのお名前もあります。


家族に宛てた松本さんの書簡(武田信行編『ジュンちゃんへ・・・戦争に行った兄さんより』)には遠藤飛曹長の予科練入隊直後の様子が書かれています。

『松山の遠藤君も松山へやめて帰りたい、五年すむともうやめるとか云ってゐた』

これだけ読むと何のことかわからないと思いますが、16、7の少年が予科練に入隊し、その生活のあまりのつらさについこぼしてしまった弱音です。
この前段では松本さん本人が、えんえんとつらさを述べています。
(が、自分は決してやめないとも言っています)

この、”「松山へ帰りたい」と言っていた遠藤君”がのちの遠藤飛曹長なのです。

この写真、横顔なのとピンぼけとで、まったくお顔は判別できません。
ですが、この写真で、「一斗缶に座って出撃していった」ということを初めて知って、悲しみを新たにしました。

遠藤飛曹長、いま、お顔をどうしても知りたいひとりです。
というのも、羽藤さんのアルバムに数枚だけ個人写真が貼られてありました。
1枚は分隊の教員?下士官です。
残りは予科練生のようで、同期生じゃないかと思います。
そのうち2枚が同じ人に見えるのですが・・・・。そのうちの1枚は胸に名札をつけています。
字が細くて判読しづらいのですが、わたしには「遠藤」と書いてあるように見えるのです。
9期の「遠藤」は先日も書いたように「遠藤秋章」さんと「遠藤桝秋」さんだけです。どうみても「マメロク」さんではないので、のちの彗星の偵察員・遠藤秋章さんの方じゃないか思っているのですが・・・・。
お顔がわかる写真を入手できておらず、まだ確認できていません。


というわけで、まだざっと写真に目を通しただけですが、いろいろと思うことがありました。