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『真田太平記』 関ヶ原2011年10月22日 22時49分28秒

入院中に読もうと思って買った『真田太平記』の11巻と12巻。
先に読んじゃったので、また1巻から読み始めていました。

そして、とうとう、一昨日だったか、第7巻の「関ヶ原」に突入。

話題にするのが一日遅れてしまいましたが、関ヶ原の戦いのあった慶長5年の9月15日というのは、新暦では10月21日なのだそうです。

昨日はちょうど関ヶ原のシーンを読んでいました。

たまたま411年前の”その日”だったわけです。

もちろん、こちらは部屋の中で寝そべって読んでいるのですから、関ヶ原で戦うシーンをいくら想像しようにも想像しきれるものではありませんが、真冬に読むより、真夏に読むより、若干は近いものを感じられるんじゃないかと。

昼はまだ暖かくても、夜になると一気に冷えますね。

敗将たちが山中を逃げるのに、この寒さはちょっときついかな、と思いました。
怪我でもしていたらなおさら。




昨日から読み進んで、いまはもう石田三成、小西行長、安国寺恵瓊、処刑されてしまいました。

こういう、戦国武将ものを読むといつもそのことについて考えるのですが・・・・。

「死に様」って言うんですか?

それはどう生きてきたかにも通じることですが。

この前見た『一命』って映画じゃないですけど・・・・武士の面目というか。

かれらは、最後は戦に敗れ、捕らえられて処刑されたわけですが、面目という意味では、十分それを保ちつつ最期を遂げたのではないかな。




最近、テレビで盛んに流れているある独裁者の最期と重ね合わせてみて・・・・。

あの映像を見ていやーな気持ちになった人もいるんじゃないでしょうか?
「この人は、こんな最期を遂げるために生きてきたんだろうか?」
と。

いずれ死は免れ得なかったとしても、一国の指導者ともなった人が、もっと誇り高く死ぬという選択肢はなかったのかな?

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