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杉田兵曹、無計器飛行2011年07月13日 16時19分06秒

先日K上飛曹にうかがったお話です。


19年7月8日の話。
『日本海軍戦闘機隊【戦歴と航空隊史話】』の263空の項には、7月8日、グァムからペリリューへの移動途中、飛行隊長・重松康弘大尉(兵66)以下6機がF6Fに襲われ、大尉を含む5機を失い、1機だけがペリリューに進出した・・・・とあります。


『日本海軍戦闘機隊2 【エース列伝】』の重松大尉の項には、7月8日、杉田庄一上飛曹以下残存5機を率いてのパラオ転進の途次、ヤップ付近の空戦で戦死した・・・・と書かれてあります。

というわけで、【戦歴と航空隊史話】に書かれてある、ペリリューに進出した1機というのは杉田庄一上飛曹のことです。

先日、田中三一郎上飛曹のお話をうかがったときにこのときの話の話になり・・・・。

重松大尉が率いていたのは毒島(ぶすじま)芳四予備中尉(予11)、杉田庄一上飛曹(丙3)、あともう一人お名前を挙げられていたのですが、この方は資料上の戦死日がこの日ではないので書かずにおきます。
この人たちが、最後にグァムを出られたのだそうです。

途中で敵機に襲われ、重松大尉が率いていた数機のうちパラオのペリリューにたどり着いたのは杉田上飛曹のみ。

そのとき、K上飛曹はペリリューで杉田兵曹を迎えられたのでしょう。
杉田兵曹の乗機も被弾していたそうです。操縦席内もやられていて、計器板がぐちゃぐちゃに壊れていたそうです。

ヤップ付近で被弾、その後、ペリリューまで単機で・・・・。
地図でちょっと見てみましたが、海、海、海・・・・。島伝いに帰ってくるというわけにはいかないようなところです。
距離、500キロぐらいあるんでしょうか。

杉田兵曹、
「勘で帰ってきた」
と言ったそうです。


飛行訓練で、風防に布をかぶせて外の景色を見えなくし、計器だけを頼りに「計器飛行」をやるという話は聞いたことがありますが、それとは逆に計器のない状態で海上を飛行するって・・・・