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朝枝国臣大尉2010年12月01日 09時17分30秒

搭乗員さんの手記など読んで、
「わあ・・・・こんな人の部下になりたいわあ・・・・」
と思うような人がいても、そこで終わってしまうことが多いのですが。

先日読んだ富樫春義さんの手記に出てくる分隊長・朝枝国臣大尉。

艦爆乗りですから、この場合も、ここで終わるはずでした。
知りたい、と思っても、艦爆情報、あまり持っていませんから。

ところが、この方、海兵68期出身。

豊田穣さんが『同期の桜』という著書の中で、取り上げられていました。

まず、あだ名。
『私たちが宇佐にいたときの通称は・・・・』
朝枝さん、”ガンジー”だったそうです。  (ちなみに豊田さんは”お豊”)
艦攻操縦の加藤太平さん命名らしく、
『朝枝は、骨ばっていて、体が大きい割に顔が小さかったのか、ガンジーに似ていると加藤が言い出した』

『同期の桜』の別の箇所には、別のあだ名も紹介されています。
『朝枝は気だてのよい温厚な大人であった。暴れん坊の私などは、ひそかに彼に『大人』という仇名をつけて敬愛していた』
『宇佐空で、すぐ近くの部屋にいた艦攻の加藤太平は、朝枝に”おじい”という仇名をつけた。確かに老成したところもあったが、みんなから愛されていた』

「ガンジー」「大人」「おじい」・・・・
どれも落ち着いた雰囲気の仇名です。

豊田さんが宇佐空時代、自分と朝枝さんと同室だったと書かれている鈴木暸五郎さん。
後のK501(銀河隊)の飛行隊長です・・・・。

「そういえば、Fさんが鈴木さんの取材をしていたなあ・・・・」
ということを思い出し、その件に関するFさんからのメールを探したところ、鈴木さんから宇佐空時代の写真を見せてもらっていることをうかがわせる記載がありました。

「これだ!」

すぐにFさんにメールしたところ、Fさん、宇佐空時代の朝枝さんの写真をお持ちでした。

宇佐空時代の朝枝さんが2匹のサルと戯れている写真です。
戯れている、と言っても、無邪気に戯れているわけではなく、朝枝さんの表情はちょっと硬いです。評判通りの大人な雰囲気です。
サルは小型のサルで、もともとその大きさなのか、子ザルなのか、ママにはちょっとわかりません。首輪と紐がついています。宇佐空のペットでしょうか。
1匹は、朝枝さんが差しのばした手に乗っていて、もう1匹は朝枝さんの足元に立っていて(一段高いところ)、一種軍装の朝枝さんの上着の右ポケットのあたりに手を掛けています。

写真の下にはおそらく鈴木さんの文字でしょう、”MONとGONとOji~”と書かれてありました。

2匹のサルは(どっちがどうかわからないけど)”モン”と”ゴン”。
鈴木さんは、朝枝さんのことは”おじい”と呼ばれていたようです。
あだ名というか、愛称としては、”おじい”が一番呼びやすいかな、と思いますね。

さらに、『同期の桜』には朝枝さんのこんなエピソードも・・・・。
『『海の紋章』には、宇佐で呑んだとき、朝枝に芸者が人形をくれたので、やきもちをやいた私が、航空隊へ帰ってからその人形を叩きこわしてしまい、朝枝が泣くという場面がある』

ママ、この本は読んでいませんが、豊田さんが書かれた艦爆空戦記みたいです。
読んでいないので、内容がフィクションかノンフィクションかもわかりませんが、このシーン、ものすごく「なるほど、本当に違いない」と思わせる豊田さんのジャイアンぶりです。

たぶん、この話、事実なのでしょう。朝枝さんは「泣き上戸」だったと書いたあと、
『その夜も(ジャイアンした夜)、(朝枝さんが)「こんなことで友情がこわれるなんて、淋しいなあ」といつまでも泣いているので、鈴木が慰めたように記憶している』

このシーンを読むと、3人の中で一番大人なのは鈴木さんでは・・・・?



”おじい”の朝枝さんは実際、67期で入校した大正7年生まれで(笹井中尉と同期同年)、同期生より年長だったそうです。
病気をして、68期で卒業になったんだとか。

68期の芳名録には、
「抱擁力があり、物に動ずることなく、滅多に怒らない誠によくできた人物で、大人の風格があった。但し、闘志は人一倍であった」

理想の指揮官ですね・・・・。

成績もよかったようで、兵学校1号時代は分隊の伍長だったらしいです。

「そういえば・・・・」
知り合いの方からいただいた宇佐空資料の中に、飛行学生の成績が書かれたメモがあったなあ・・・・

と思って探したら、ありました、ありました。
『第三十六期飛行学生 艦爆操縦専修』
内訳は、67期2名、68期5名。
68期5名の中では朝枝さんが成績トップ。

豊田さんも、「努力家の秀才」といわれています。


このメモ、実家の住所(京都)やらお父さんのお名前、職業、家の宗旨やら、特技(柔道2段、銃剣2段?)まで書かれています。

朝枝さんのお名前が赤丸で囲んであります。
名簿のほとんどの人が赤丸で囲まれているのですが、囲まれていない人のお名前から察するに、これは戦死された印の赤丸・・・・。

朝枝国臣大尉。503空攻撃107分隊長。
昭和19年6月12日、ビアク島付近の敵艦艇攻撃に彗星隊6機の指揮官として出撃し、戦死。

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