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皆勤賞2008年12月23日 08時50分26秒

通知表・2
”できた””がんばろう”という評価に関しては、全く何の意味もない今回の通知表でしたが、「本・学習係」と、出欠の記録は見る価値のあるものでした。

春海は本を読むのが全く苦にならない子で、家でも、
「テレビ、ゲーム禁止」
と言われたら、ずっと本を読んでいます。マンガでも、活字でも。
テレビやゲームをしてよいときでも、読書に夢中になっていることもあります。
病院に行くときは必ずカバンに待ち時間用の本を入れていきます(ちょっと神経質かも知れませんが、ママが病院に備え付けてある本を読ませないため)。

最近は、絵本系の本ではなく、ほとんど活字(挿絵ちょっと)の本でもどんどん読むようになりました。

目だけ気をつけてくれたら、本を読むのはいいことなので、これからも続けて欲しいですね。

出欠の記録。
春海、小学校に入ってから一度も欠席していません。
幼稚園時代は何かと熱を出して休んでいました。特にイベントのときに熱を出すことが多く、遠足や、演芸会など、結構休みました。
小学校に入ってから休んでいない、ということは、熱は出してない、ということです。熱を出したら休ませますから。
病院には何回か行きました。
虫に刺されて顔が腫れたとき・・・・。こけて股関節痛めたとき・・・・。
午前中病院に行ったとしても、春海は食い意地大王で、
「給食に間に合うように学校に行きたい!!」
と言うので、「遅刻」という形で連れて行っていました。

やっぱり、スイミングのおかげなんでしょうかねえ。
スイミングといってもフツーの授業ではなく、土日のしごき。ほとんど休みなく泳がされているうちに体力もついたのだろうなあ。

勉強はできんでもいいから、3学期も休まんと学校行こうなあ~(^_^)/

学生時代の発掘バイト2008年12月23日 20時42分47秒

数週間前、ネットを見ていたら、あるマンガ家が失業中に発掘現場でバイトをして、そこで経験したことをマンガに描いて発表した、という話が出ていました。

「ああ・・・・現場って、いろんな人、いるんだよねえ・・・・」

ところで、みなさんもいろいろなバイトをしたことがあると思いますが、発掘のバイトをしたことはありますか?

あれって、どこで募集しているのでしょうね?

ママは、いままでやった発掘や遺物整理のバイトは全部ツテ(こね?)です。

初めて発掘のバイトをしたのは大学2年になってすぐ。
大学のお膝元・T市の現場でした。

そこは考古学研究室の助手・院生・並み居る先輩方もみんなお世話になったという市で、たしか、研究室の先輩に現場の責任者の人を紹介してもらって、行くようになったのだと記憶しています。

責任者のYさんに、最初の面接のときに言われたことば、
「あなたはまだ何もできない学生さんですが、最初からみんなと同じバイト代がT市の税金から払われます。現場でたくさん勉強して、そのうちT市にお返しができるぐらいの調査員になって下さい」
いまでも忘れられません。
果たして、わたしは何年もお世話になったT市に、少しは恩返しできたのでしょうか・・・・?

当時、T市の現場にはいろんな人種の人がいました。
まず、市の職員である現場責任者(発掘調査員)。普通、いち現場に1人です。
それから普通のバイト(学生含む)。
それから、どこからともなくマイクロバスに乗って運ばれてくるおっちゃんたち。

先に、おっちゃんたちのことから書きましょうかねえ。
ママは正確なことは知らないので、もしかしたら間違っているかも知れませんが、いまでいう派遣? 日雇いみたいなおっちゃんたちが10人ぐらいいました。
たぶん、昨日は工事現場、今日は発掘現場、明日は警備員、という感じではなく、発掘専門の作業員なのかな? 手慣れている感じでしたよ。
ママがグラインダーという機械(高速回転する刃物研ぎ)でガリ(地表面や壁面を削る工具)を研いでいたら、
「ああっ!! ねーちゃんっ!! 危ない、危ないっ!! おっちゃんがやったる」
と横から割り込んできてグラインダーかけてくれるような・・・・。気のいいおっちゃんが多かったなあ・・・・。
おっちゃんに研いでもらったグラインダーはかき味抜群でした。

でも、フツーのバイトとおっちゃんたちは休憩場所も違っていたので、交流は全然ありませんでした。

現場責任者とフツーのバイトはプレハブの同じ場所で休憩や食事をしていました。
責任者は年長の人も多かったのであれですが、バイトは若い人が多かったので、現場以外でも交流があったりして楽しかったです。

で、T市の現場には考古学の学生以外、どんな人たちがいたかというと・・・・。
カメラマン、イラストレーター(マンガ家?)、シナリオライター?、ジャズピアニスト、指揮者、料理専門学校生、納税協会、自称小説家、私学教員(←これ、書いていいんかなあ?)などなど。
これらの方々、別に学生時代考古学をやっていたというわけではありません。
どうしてT市の発掘現場でバイトするようになったのか、当時聞いたかも知れませんが、いまはもう憶えていません。

ふだん、学校では考古学の人としか接触がないので、現場の「いろんな」人たちは新鮮でした。

ママ、人生でたった一度だけ「ディスコ」なるものに行ったことがありますが、それも現場のイラストレーターのMさんとジャズピアニストのFさんに連れて行ってもらったものです。
ママの学生時代はバブルなので、みなさん、マハラジャみたいなのを想像されるかも知れませんが、Mさんが連れて行ってくれたのはたしかレゲエ系のディスコでした。
現場ではおとなしそうなMさんがノリノリで踊っているのを見て、
「ああ・・・・やっぱり、現場は世を忍ぶ仮の姿なのね・・・・」
と思った次第です。

みんなで台風接近中の和歌山の海に遊びに行ったこともありました。
そのときはたしかカレー缶食べただけで帰ってきたんですよね。何時間もかけて行ったのに・・・・。
よい子のみなさん、台風接近中の海には絶対に入らないように。

現場が終わってから、当時あった宝塚チボリというレジャーランドに行く約束をして待ち合わせをしたら、1人、駅を間違えた人がいて(「清荒神(きよしこうじん)」で待ち合わせしたのに「門戸厄神(もんどやくじん)」に行っていた)、閉園しちゃって遊べなかったこともありました・・・・(T_T)。

学生時代の半分ぐらい、T市の現場に行っていたような感じなので、バイトのみなさん、ホント、思い出深いです。

番外編。
宮崎に帰省したとき、一時的に発掘現場にお世話になったことがありました。
そのときは県の職員1人と、学生2人(熊大生とママ)、あとは近所の農家のおっちゃん・おばちゃんぽい人たちです。
休憩時に出るおやつが、おばちゃんが家で手作りしてきたトウモロコシゆがいたのとか・・・・。
トイレも、設置してある簡易トイレに行かず、草むらや木立の中にごそごそと入っていって、ごそごとっと出てくるような・・・・。
まあ、田舎なので、そんな現場でした(^_^;)。

ママはそこの現場の地下式横穴(古代人のお墓です)を掘っていて、落盤して下半身が埋もれてしまったことがありました。
すぐにみんな周囲に集まってきましたが、なぜか、誰も心配してくれず、埋もれているママを見て笑っていました。
そこ、笑うところですかー?
落盤した土砂の量はたいしたことなかったのですが、足首が埋まってしまうと意外と抜けないものなんですよねー。

20数年前の話ですが、貴重な地下式横穴、壊してしまって申し訳ありませんでした。