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登下校中の会話2008年05月13日 08時24分31秒

フリフリのブラウス
連日ですが、春海のブラウス作りました。スモッグ風フリフリブラウス。

今日もいつものごとく、後ろからついて歩いていたのですが。
春海、歩きながら、お友達に一生懸命話しかけていました。1列に並んでいるから、大声で話しかけないと聞こえないのです。
どうも、天気の話をしていたみたい。明日は大雨だとかなんとか話していた。
んで、明日、プールなわけですが、その話題になったようです。
春海「雨が降ったら行けないんだよね~」
と。
(そうそう。明日雨が降ったらプールどうしようかねえ・・・・)

春海「本当はタクシーで行きたいんだけど、はーちゃんち、ビンボ-だからタクシー乗れないんだって」

(>_<)
大きな声で、こんなことをしゃべっているのです!
友達にそんなこと言わなくていいんだよっ!!

そういえば、先日の下校中の会話も、止めに入ろうかと思うような会話でした。
1年生10人ほどが1列になって人通りの多い商店街を歩いているのですが、みな、口々に、
「うちのお母さん、35歳!!」
「うちのパパは34歳だと思うっ!!」
「うちはねー」
・・・・。

おーい、歳の話、大声でするなよー。

春海は、たぶん、パパとママの歳を知らないと思うんだよねー。
まあ、教えてもすぐに忘れるんで、そこらへんは安心ですが(^_^;)

以前は幼稚園で「うちのママは怒りん坊」という話題で盛り上がっていたようだし・・・・。何をしゃべっているんだか・・・・。

指揮官先頭2008年05月13日 13時29分59秒

この言葉は海軍伝統の言葉だそうです。
陸さんに関しては、わたしは不勉強なのでわかりません。

ただ、海軍さんは、これを実践して亡くなられている方が多いんですよね・・・・。

ちょっと番外の話。
坂井三郎さんの『続・大空のサムライ』に出てくる話です。
17年の初夏、坂井さんたち台南空搭乗員主力チームはラエから出撃していたわけですが、たまに休養を兼ねた飛行機受領のためにラバウルに帰っていたそうです。
6月のある日、かれらは96陸攻に便乗して零戦を取りにラバウルに戻っていました。
その途中、半分ほど飛んだところで陸攻のエンジン調子がおかしくなり、ついには片肺飛行になってしまったとか。
しばらく片肺で飛んでいたようですが、無理をさせたのか、そちらの調子も悪くなってきました。
この陸攻には定員以外に11人が便乗していたそうで、もともと重量的に無理をしています。まず、便乗者の荷物を捨てることになったそうです。
そのときです! われらが笹井醇一中尉!!
「おれのを捨てるっ!」
と真っ先に自分の荷物(落下傘バッグに入った着替え類らしい)を蹴り落としたとか。
わっー!! 笹井中尉、素敵っ!
坂井さんも「わが隊は指揮官先頭」と誇らしげに書いています。
笹井中尉は常に指揮官先頭。出撃時もそうだし、出撃以外のときでもそうです。尊敬される指揮官って、こういう人なんですね。

一昨年・・・・だったかな?
アメリカ人監督が撮った『硫黄島からの手紙』という映画がありました。
そこに、いや~な海軍士官役の中村獅童が出ていたの、覚えていませんか? 本当にいや~な役だったんですよ。こんな士官じゃあ海軍のイメージ極悪やんか、みたいな。
アメリカ人監督だから、海軍士官を誤解しているのだろう、と思っていたのですが。でも、決めるところは決めていましたね。
獅堂が率いる部隊が突撃するシーンがあったのですが、獅堂自ら先頭に立って敵陣に突撃していました。
「おおっー!! 海軍伝統の指揮官先頭っ!!」
いくら人間的にいやな士官役でも、さすが海軍さん、指揮官先頭の伝統は守られている、と嬉しくなりました。

笹井中尉や映画の話はおいておいて、実際、海軍の指揮官先頭、ってどうなんでしょうか。
銀河部隊の戦闘記録を読んでいると、飛行隊長クラスが次々と出撃しては未帰還を繰り返しています。そのたびに指揮官がかわるわけですが・・・・。
自分が部下であれば、一緒に出撃してくれる指揮官は尊敬できる頼もしい隊長でしょうが、後世から見ると、こんなんで部隊の指揮はちゃんと継続的に執れていたのかなあ・・・・と思わないでもありません。
もちろん部下の背後から号令をかけているような指揮官は嫌ですよ、でもねえ・・・・。