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結婚式の招待状が届きました2008年05月01日 08時34分59秒

結婚式&披露宴の招待状
ねえねから結婚式&披露宴の招待状が届きました。

春海とママです。

たぶんねえ、春海がご招待されて、ママはばあやとして付き添いって感じでしょうか(笑)。
プールも130センチ以下は児童一人では入れず、大人の付き添いが必要です。
結婚式場も130センチ以下の児童は大人の付き添いが必要なので、ママも一緒に入ります、って感じですね。

ねえねと初めて会ったのは、彼女が小学校4年生の時。
ガイ子さんが彼女の家庭教師をしていて、わたしはその隣の本家の長男(当時小4)の家庭教師に行っていました。
翌年からねえねの弟(一つ年下)の家庭教師もすることになって、両家を行き来するようになりました。あれからかれこれ13年とか14年という歳月が流れたのですねえ・・・・。

春海が生まれてからはよく春海のお世話をしてくれました。
春海もねえねが大好きです。
でも、もう、ねえねは旦那さんと「りぼんちゃん」(春海勝手に命名)のものになっちゃうんだよ(涙)。

パパママの実家は遠いし、近い親戚も電車で1時間以上かかるところばかりなので、ねえねの一家はママにとってはある意味血のつながった親戚以上の一家です。
年末お餅つきに招待してもらったり、こうやって結婚式に呼んでもらったり。ケーキ食べさせてもらったり、ファミレス連れて行ってもらったり(あわわわわっ )^o^( )。

結婚式はばらばらになっている子供らも勢ぞろいするんでしょうなあ。
就職して一人暮らししている本家の長男、下宿して大学院に通っているねえねの弟・・・・会うのが楽しみだー。

で、何を着て行こう?

深井良中尉の遺書2008年05月01日 22時15分32秒

深井中尉
深井良中尉のサイト

http://www14.ocn.ne.jp/~fukapon

に、深井中尉が特攻出撃前夜、20年5月10日に、お母さんに宛てて書いた遺書が掲載されています。

以前、深井紳一さんが本を出版された時、その内容は活字で公開されていましたが、サイトには深井中尉直筆のはがきが公開されています。

明日死ななければならないと決められた22歳の青年が、最後にお母さんに残したことばです。

医学部生・龍2008年05月02日 08時27分45秒

サークルの旅行・おバカだねえ~
大学時代に入っていたサークルにも愉快な仲間がいました。

仮にコードネーム「龍」ということにしておきましょう。

龍くんはたしかママと同じ学年か、一つ下だったと思います(思います?)。
でも、3浪か、4浪ぐらいしていて、年はずいぶん上の人です。
高知県出身、鹿児島ラサール高校卒、な、なんと、医学部生でした!!
うちのサークルは文系のサークルで、なぜ、医学部のかれがうちのサークルに入ってきたのか、いまだにさだかではありません。
工学部系の人は先輩にもいたのですが、医学部はかれだけじゃなかったかな? パンダみたいにものめずらしがられました。

最初にかれの奇行におったまげたのは、サークルで播磨に古墳探訪に行ったときです。
車を運転できる人が車を出してくれて、みなでそれに分乗していきました。
ママは龍くんとは別の車だったのですが、龍くんを乗せた先輩の話。
「あいつ、シートベルトの装着方法、知らんかったぞ!」
えーっ、まさか!
と思いますよね。
龍くん、助手席に乗ってボケっとしているので、運転席の先輩が、
「おい、龍、シートベルトしろ」
と言ったところ、かれ、首にベルトをぐるぐると巻きつけはじめたそうで・・・・(^_^;)
そのとき、生まれて初めてシートベルトをしたそうです。
車に乗ったことがなかったのか、助手席に乗ったことがなかったのか・・・・。

2度目は飛鳥でレンタサイクルを借りて遺跡巡りをした時。
みなで駅前のレンタサイクルを借りて自転車でまわりました。飛鳥の田んぼ道を隊列組んでリンリンとまわったわけですが、ふと気付くと龍くんがいません。
「あいつ、どこ行きおったんや!!」
龍くんが世間に疎いことはとっくに周知の事実になっていたので、引率の先輩、真っ青。
「迷子になりおったwwwwwww(>_<)」
と、一人の先輩が慌てて龍くんを探すために引き返していきました。
その他の連中はみなそのまま目的地・石舞台古墳へ。
だいぶたって、石舞台の駐車場に先輩と龍くんが追い付いてきました。
「どこに行っていたんですかあ?」
「龍のやつ、レンタサイクルを出てすぐにサドルの調節をしようとしたらしい。そしたら、サドルが抜けて元に戻せへんようになってんて。で、こいつ、そのままサドルのない状態の自転車を立ちこぎしながらうろうろしとった」
でえええええーーーー!!!!
口があるんやからひとこと「待ってーー!!」と言えよーーーー!!!!

3度目は神戸市立博物館。
閉館前の時間に入ったんですよね、たしか。
見ているうちに「間もなく閉館時間です」のアナウンスが入って、みな、
「帰ろ、帰ろ」
とぞろぞろと博物館を出ました。
駅に向かって歩いている時、ふと、誰かが、
「龍さんは?」
と、とても重要なことを思い出してくれたのです。
「あれ? おらん」
またかっ!!!
みなで博物館内に慌てて戻って探したら、閉館準備をしている館内で、一人でうろうろさまよっていました。

それ以来、一学年下の子が「龍係」に任命され、とにかく龍が迷子になっていないか、ちゃんとついてきているか、常にチェックすることになりました。

まあ、とにかくどんくさくて、手のかかる子でした。
でも、みなから愛されていましたね~。

大学卒業後はもういっさい、かれとは交際はありません。
いま、どこで何をしているのやら・・・・。

先日、『チームバチスタ』という心臓手術を扱った映画を見たとき、強烈にかれのことを思い出しました。
だって、かれ、『外科医』志望だったんですよ(怖)!

不審者情報(18禁)2008年05月02日 12時30分28秒

大型連休に入る前に、学校から「不審者にかかわる情報について」というプリントが配られました。
加工して文面を以下に記載します。

(1730ごろ、一般女性が)○○小学校から××に抜ける農道を散歩中、30歳ぐらいの男性が紺色の軽自動車の横で下半身を露出した状態で立っていた。被害はなかった。

これは「露出狂」?

いつも思うのですが、こういうのは何が目的なのでしょうか。
「ウラぁぁぁぁ、おれの、立派やろう!!」
と、自慢して見せたいのか、それとも、見せられた女性が「きゃっ」と言ったり、動揺したりする姿を見て楽しむのか・・・・。

時代が変わっても、場所が変わっても、こういう変態はいるんですね。
ママも小学校時代、同じような場面に遭遇したことがあります。
一人で小学校から下校途中、農道の脇に車が停まっていました。その横を通り抜けようとしたら、開いていた窓の中から、
「ちょっと道を教えて」
と声をかけられました。
田舎の子供は純朴です。親切心で教えてあげようと立ち止まって車の中の人を見たら、そいつは運転席で「下半身を露出」していました。

ダッと走って逃げかえりましたが、いまだにあの光景はトラウマです。きっと記憶喪失にでもならない限り忘れられないでしょう。ひどい出来事でした。

ああいうときは、周りに聞こえるように、
「おっちゃん、粗末なおち○ち○出してるーーーーー!!!!」
と大声で叫べばいいのか。
それとも、じっと見つめて、
「ぷっ」
と冷笑してやればいいのか。何かいい撃退法ってないでしょうか。
目的がわかれば撃退方法もあるんでしょうが。何が目的なのかわからないですからねえ。

4月になってからこれが3件目の不審者情報ですが、不審者情報って流すばかりで、その後どうなったのか、一向に連絡がありません。
この下半身露出男、捕まったのでしょうか?

不審者に遭遇、か?2008年05月02日 12時51分54秒

商店街が怖いので、相変わらず送り迎えをしている親ばか過保護ママです。

怖いって、不審者が怖いんじゃなくて車です。
人通り、車通りの多い商店街なので、不審者より、交通事故が気がかりです。

今日もぶらぶらと学校に向かって商店街を歩いて行きました。

向こうから子供たちがやってきます。子供だけです。
(学校としての先生の送りは4月24日が最後でした)
先頭の男子3人は先を争うように走ってやってきました。
そのずいぶん後ろを女子3人が、
「○くん、待ってよ~」
と言いながら走ってきました。
それに遅れることさらに十数m、春海が一人で、
「×ちゃん、待ってよ~」
と、半泣きで一人で早歩きで追ってきました。
さらに春海の後方、男子数人がマイペースで歩いてきます。

いつもは口出しせずに黙って見ているだけのママですが、今日はさすがに見かねて、3人で走っていた女子に、
「走ったらいかん」
と注意をしました。
「でも、○くんが走っていっちゃったもーん」
「離れてもいいから、とにかく走ったらいかん」
すぐそこに点滅信号があり、交通量も多く、しかも、車一台がやっと通れる道幅の一方通行なので、周囲も見ずに走り回る小学1年生は危険そのものです。

その子らは早歩きになり、春海も追い付き、ずっと先に行ってしまいました。
ママも追い付こうとして早歩きで追いました。
子供たちはずいぶん先に行っていたのですが、違法駐車して止まっている車の陰で、赤いママちゃりのおっちゃんに呼び止められ、そこで固まっていました。

しまった! こんな商店街にも不審者がいるのかっ!!
それとも、車に当たったか何かしてトラぶったかっ!!

ママは、子供たちがピンチだと思い、走って追い付きました。

追い付いてみると、そのおっちゃんは、
「これで全部か?」
とか、
「男子は先に行ったんか?」
とか、子供たちにいろいろ聞いています。

「ちょっと、あなた、何ですか」
と詰め寄ろうと思ったところ、子供がそのおっちゃんに向って、
「校長先生」
と言った声が聞こえました。

え? 校長先生?

「固まって帰らないかんで」
「はーい」
なんて会話も聞こえてきました。

遅れていた男子も合流し、子供たちはまた歩き始めました。
校長先生は赤いママちゃりに乗って、ずっと子供たちの横を並走しながら駅までついてきました(お母さんたちのほとんどは駅で待っている)。

校長先生がついてくるとは、このコースの子らはやはり要注意児童なのだなあ。
道が危険な上に、子供たちが多すぎてそれが一番危険。
今日のように、ふざけて走って、離れてしまったのを追い付こうとしてまた走って・・・・こんな感じで、一時も目が離せません。
集団になると、フツーに歩く、ということができない子らばかりなんですよ。
いっそのこと、4、5人の少人数にわけてくれた方がよほど安全です。

田舎道だったら、とにかく一人にはならない、集団で、が基本でしょうが、こんな交通量の多い雑多な商店街、集団で歩いている方が危険極まりないです。