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第6銀河隊 12008年04月16日 12時16分05秒

宮崎基地跡 銀河特攻隊 慰霊碑
本城勝志 二飛曹(丙飛16)
橋本誠也 中尉(予飛13)
佐井川正之 二飛曹(甲飛12)
    【1214長符発信】

鈴木憲司 二飛曹(丙飛特11)
出山秀樹 上飛曹(甲飛10)
高橋 豊 二飛曹(丙飛16)
    【1244長符発信】

北島 治郎 飛長(特乙1)
薬真寺 靖 少尉(予飛13)
中村 行男 二飛曹(甲飛12)
    【1204長符発信】

西兼 登二 飛長(特乙2)
斉藤 三藤 一飛曹(乙飛17)
中西 克己 一飛曹(乙飛17)
    【1215長符発信】

金内 光郎 二飛曹(甲飛12)
大河原 誠 少尉(予飛13)
光石 昭通 二飛曹(甲飛12)
    【1216長符発信】

冨士田 冨士弥 飛長(特乙2)
波多野 進 一飛曹(丙飛11)
頼元 健次郎 二飛曹(甲飛12)
    【1216長符発信】

大西 月正 飛長(特乙2)
植垣 義友 上飛曹(丙飛5)
藤谷 成美 二飛曹(甲飛12)
    【1234長符発信】

※大西月正さんのことを調べられている方、慰霊碑の写真でよければ差し上げましょうか?
hinemos.mama@gmail.com


本山 幸一郎 一飛曹(丙飛8)
道又 重雄 上飛曹(甲飛10)
久野 朝雄 二飛曹(甲飛12)
    【1247艦上機見ユ発信】

『4月16日の朝、宮崎海軍飛行場の周辺に広がる田園は、蓮華の花がピンクのカーペットを一面に敷きつめたように咲き乱れていました。
 これから特攻(神風特別攻撃隊第6銀河隊)に出撃する攻撃262の同期生、橋本誠也中尉、大河原誠少尉、薬真寺靖少尉と彼らを見送る私は、滑走路北側の田園で蓮華の絨毯を座布団がわりにして、座っていました。若人として始まったばかりの人生を、無理矢理に閉じねばならない、特別攻撃という不合理にそれぞれ納得した彼ら3名と、寸時の談笑をしていたのです。
 頬を吹き撫でる風が心地よかった事が今も思い出されます。
出撃に備えた「銀河」が8機、エンジンの轟音を響かせながら、掩体壕から農道を一列縦隊となって、整傭員によってゆっくりと飛行場西端に導かれつつありました。
 それは出撃が間近い事を意味しています。左隣りにいた薬真寺少尉が、他に聞こえぬように小声で私の耳元に囁きました。
「俺は死にたくないんだ。出来ることなら生きていたい。覚悟はしているんだが、俺は母一人、子一人でね。戦争が始まったので台湾から引き揚げてきた。
 母がいま一人で和歌山にいる。俺が死んだら、どうやって生活していくんだろう。
 それを思うと死にたくないんだ……」
 彼の目にはうっすらと光るものがあった。特攻へ出発する彼が、寸前に囁いた一言に、思っても見なかった私は咄嵯に言葉が出ず、彼の顔を見つめてしまいました。
母を思う子の真実の声を聞いて、私は返事に窮して慰めともつかぬ、ありふれた言葉を返すのが精一杯でした。
「うん、納得はしているんだよ。だが、いざとなったら、つい愚痴になってしまった。
 有難う、いまの話は無かったものと忘れてくれ。また誰にも言ってくれるな」
 薬真寺少尉は立ち上がりながら、両腕を大きく空に向けて突き上げ背伸びをした。
 私の手を固く握って、
「そろそろ行こうか、世話になったな、出撃の時間が近いな」
と言って、指揮所の方に歩き出しました。
 この日、残っていたK262の全機が喜界島南方洋上の敵機動部隊への特別攻撃の命を受けていました。
 彼らは午前10時30分、轟音を響かせて、帽子を振って見送る私達を後に、南の空に消えて行きました。
その出撃は彼らの短い人生の幕を下ろし、二度と会う機会を奪ってしまったのです。
 宮崎に派遣されていたK501、K262は私の1機を残して沖縄、南西諸島の空に散華しました。
 私は「誰にも言ってくれるな」という彼との約束を、半世紀のあいだ、固く守ってきました。いま彼との約束を破ったのは、特別攻撃隊という美名の陰で彼のように、青春を懐に抱いて散華していった純粋な若者がいた事を、後世に残しておきたかろたからです。
 彼らばかりではありません、そういう良い青年たちが次から次へと、還ってこないありさまは、とても辛い日々でした』(浪上 照夫氏)


上の記述は神野正美さんがまとめられた『星河流れる果てに―攻撃501飛行隊の記録』からの抜き書きです。

浪上氏の話に出てくる薬真寺靖少尉は、同じ飛行隊の要務士であった伊東一義氏にこんな言葉も残しています。
「俺は行きたくないぜ。未練に言うんじゃないが、無駄だからさ。だって考えてみろ。パイロットは重い800キロ爆弾を抱いて、離陸できるかどうかという連中だし、沖縄の上空にはグラマンが分厚い防御網をひいている。それをかわしながら突撃地点に到達するのは難しい。そのうえ『銀河』の特性として、浮き上がるクセがある。
最後まで突入姿勢を保つのは若いパイロットではとても無理だ。つまり、体当たりの可能性はゼロという訳だ。だから無駄だというんだ。
だがな、人間には名誉もあるからな、俺は逃げない、笑顔で行くつもりだ」(神野正美『梓特別攻撃隊』光人社)

第6銀隊の出撃をもって銀河の精鋭部隊・攻撃262飛行隊は全滅しました。
伊東一義氏がかれらへ捧げられた言葉を紹介します。

「最後に、262に3月5日付で着任した搭乗員たちに捧げたい言葉がある。彼らは精鋭銀河隊への転属命令に勇躍して着任したことと思う。しかし彼らを待っていたのは、沖縄菊水作戦の主力として位置づけられた銀河特攻隊の一員となる運命であった。(中略)
実に3月5日付の転属発令から全員戦死の4月16日まで僅か40日の戦いであった。前年11月豊橋基地で発足した262銀河隊は以来約4か月、日夜を分かたない訓練を受けた。それに対して、この銀河は初めての13期偵察士官たち、操縦員には練習生を卒業したばかりの特乙2期の飛長たちなど。特攻隊には訓練された技倆は不要とでも言うのか。
しかし彼らは、この状況の中で、考えられるわずかなチャンスを求めて、勇気を振るって立ち向かっていったことを銘記しなければならない・・・・」(伊東一義「落暉の三百日―攻撃262飛行隊―」)

第6銀河隊 22008年04月16日 13時00分28秒

宮崎空港の一角に残る掩体壕
薬真寺靖少尉。
和歌山高商出身、13期予備学生として海軍に入隊し、土浦航空隊、徳島航空隊で偵察員としての訓練を受けた搭乗員でした。
攻撃262飛行隊へは20年3月5日付。

高商時代は「ヤクさん」と皆から慕われ、陸上競技に熱中していたスポーツマンでした。同級生たちからは、
「ハンサムで、長身、スポーツマン」
「粋でナンパな男前」
「背も高く風貌もすぐれ、常に目立つ」
と評されていて、宮崎でも地元の女性とロマンスがあったようです。
出撃時、水虫で飛行靴が履けなかったため、恋人の下駄を足にくくりつけて出撃していった・・・・ということです。
ただ、このエピソードに関しては「当時そういうことを聞いた」というまた聞きで、確証はありません。

浪上氏へ「自分は母ひとり子ひとり」と語り残したようですが、特攻出撃が決まった時点では父親と妹さんがご健在だったようです。何か家庭の事情があったのでしょうか・・・・。
二人に宛てた遺書が残っています。

父上様

本日は愈々神風特攻隊の一員として敵空母を目標に突入します。去る4月7日で、靖も満24歳になりました。顧みて父上や薬真寺家に何等寄与することなく、死に赴くことを非常に残念に思います。もう一度、父上にお会いしたかったのですが叶えられず、靖の大きな心残り、然し之も今の戦局を考えますと余りにも贅沢な願いでした。
では之にて、親の恩というものを深く感じ乍ら。
      4月11日   指揮所にて  靖

妹へ

妙子よ、全く意地悪ばかりして申し訳ない兄だったが許して呉れ。愈々明日は晴れの肉弾攻撃だ。
意地悪して怒られたのも、今から見ればみんな懐かしい思い出だ。お前も楽しかった思い出として温めて欲しい。兄が晴の体当たりをしたと聞いて何もしんみり嘆くのではないよ。兄さんは笑って征くのだから。凡そ人間とは大きな或(ある)ものに依って動かされているのだ。小さな私達の考えも及ばない大きな力を持つ或(ある)ものだ。それは他でもない、お前が朝夕礼拝する仏様なのだ。死ぬということは「み仏様の為されることだ」と考えれば何の問題もない。無常が常道の人生とも云えよう(抄録)



ご協力・川本稔氏(和歌山高商同級生、その他同級生の方々)、神野正美氏
     安田郁子『モスグリーンの青春』(ジャプラン)
     和歌山高商19回生卒業50周年記念誌

春海のパフスリーブのワンピース、完成2008年04月16日 13時56分09秒

できた
ワンピース、できました。

これはさわやかな記事ではありません。
今日はもう、朝から腹の立つことが・・・・(怒)

春海の新しい水泳教室を探していたのですが、いいところがありました。そこの受付が今日朝9時からでした。募集広告に、
「4月16日から、電話または直接○○○センターへ」
と書いてあったので、早起きして、待ち構えて、9時ジャストに電話をしたところ・・・・。

話し中ばかり、やっとつながったと思ったら、
「電話では受け付けておりません。直接こちらに来て申し込んでください」
・・・・。
来いって言ったって、電車乗って、そこからまた歩いて行かないかんやんか!
いま、どんな状況やねん!!
希望の曜日、時間(小学生コース)を伝えたら、
「あと3名です」
げげーっ! 電車乗ってる間になくなるわっ!
「じゃあ、一時間早いクラス(幼児・小学校低学年)は?」
「それならあと30名です」
「小学校の1年生なんですが」
「はい、それは幼児から小学校低学年まで対応のコースですから大丈夫ですよ」
「わかりました。じゃあ、いまから行きます」

本当はめっちゃ腹が立っていたんやけど、ママはいつも穏便なので、怒りを抑えて電車でそこに向かいました。

行ったら、ロビーは人であふれ、順番待ちの行列が・・・・。

ママの順番が回って来た時は、やはり第一希望枠の残り3名分はなくなっていました。
「じゃあ、この時間の教室でお願いします」
と「残り30人」と言われていた教室を申し込むと、対応したおばさん、
「いえ、でも、これは幼児コースですよ。小学生ならこっちの17時30分からのコースもありますよ」
「いや、そんな時間、無理。こっちでお願いします(心の声:真っ暗な中、田圃道歩いて帰れるか、ボケッ!)」
「いえ、でも、幼児コースなんで・・・・」
「(ブチッ!)電話して聞いたら、この時間は『幼児から小学校低学年コース』って言われたからわざわざ電車乗ってきたんじゃっ! つべこべ言わんとはよ申込用紙渡さんかい、ぼけっ!(←心の声がまじっております)」
もう少しで憤死するところでした。
広告に書いた募集方法と実際の募集方法が違うとか、。電話での説明と受付での説明が違うとか、初日からこんなことでいいんかいっ!!

「幼児のクラスでもいいんですか?」
とふざけたことを言うおばさんに、
「どこでもかまわんわいっ!」
と言い捨てて、とにかく入会受け付けは済ませてきました。

もしかしたら水遊びクラスかもしれない・・・・。
でも、いちおう、事前に泳力認定会なるものがあって、幼児クラスなら幼児クラスでのレベル分けがあるらしいので、その段階で、
「この子、幼児クラスでは教えられへん」
となったら、受け付けたらからには責任とって春海専用コーチつけてもらおうかしら。