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建築家の余生2008年02月20日 09時32分12秒

実家の庭(畑?)
なにわ会のブログに紹介してあった池田武邦さんの特集番組を観ました。

霞ヶ関ビルをつくった建築家、ということで、まあ、正直、ママは建築にはほとんど関心がないので、
「とりあえず録画しておくか」
程度だったのですが。

関心がないのに「とりあえず録画」なのは、池田さんがもと海軍士官で、しかもMIさんや深井中尉と同期生だったからです。

で、昨日の昼間、他に観るものがなかったので、
「そうだ。池田さんの録画したやつ、観よう」
と、そんなノリで観たのですが。

結論。
いやあ、おもしろかったです。
みる前はプロジェクトXみたいなのを想像していたのですが、なんの、なんの。
池田さんの少年時代、海軍時代、そして戦後の高層建築を手がけた時代。そして、ふと、立ち止まって自分のしてきたことを振り返ってみたとき、池田さんは日本の原風景に回帰していく・・・・という話です。

池田さんは海軍時代、矢矧の航海士で、あの大和の沖縄特攻に同行します。そして、矢矧は沈没し、池田さんは沖縄の海を漂流しました。

その後の人生は「余生」だと、池田さんは言われていました。
でも、「余生」とは思えないような大きな仕事をされ、そして、すごいと思うのは、84歳になるいまでもされつづけている、というところです。

山里の村の良さをいかしたまま再生しようと努力されたり、古き良き町並みを残した港町を何とか残していきたいと努力されたり、お住まいのある大村湾の生態系を復活されようとされたり・・・・。これが、余生と呼んでいいものなのでしょうか。

池田さんのされていることは「建築家」という概念ではないような気もします。
うまく表現できませんが、環境クリエーター? 町全体、地域全体を見据えた仕事をされています。

池田さんの話をしたあとでこんな話をするのも何ですが。
うちの父親も建築士です。
池田さんが重油まみれになりながら沖縄の海を漂流していた日、満2歳の誕生日を迎えていました。もう、定年退職して、それこそ、悠々自適、余生を楽しんでいます。

庭で野菜を作ったり、犬の散歩をしながら近所のゴミ拾いをしたり、台所でジャムを作ったり。
自分で耕耘機やユンボを庭に持ち込んで「枯山水」の庭を造って遊んだりしています。
池田さんと、かなりスケールが違いますが(^_^;)まあ、楽しそうです。

話が逸れてしまいました。
東京の景観を劇的に変化させた池田さんが、人工環境にストレスを感じ、日本の原風景(どこにでも神様のいる共同体)に戻っていくというのは、なかなか興味深かったです。
テレビに見入っているうちに、春海のお迎えに行くのを忘れていました。