Google
WWWを検索 ひねもすを検索

むかーし、むかーしの作品ですが2008年02月13日 09時24分09秒

赤膚焼き
春海がまだお空を飛んでいる頃に、パパと二人で赤膚焼きの陶芸教室に行って↑を作りました。
ママはあとお皿を2枚作りました。

これは小物入れにしようと思って作ったのですが、引き出しの中に入れたまま、何も使っていません。

パパはコーヒーカップを作っていたと記憶していますが、その作品がいまどこにあるか、定かではありません。


昔から図画工作のたぐいは好きでした。
大学のときは、橋下さんが「不必要!」と言っている弥生文化博物館に足繁く通っていて、そこの土器作り体験で二重口縁壺を作りました。それはいまでも持っています。
春海に「クモの巣はってる」と嫌がられている不気味な壺ですが。今度載せましょう。

考古学をやっている人はたいがい、自分が研究テーマに選んだ遺物は一度は作ってみたことがあるんじゃないでしょうか。
ハニワさんはきっと埴輪を作ったことがあると思います(ホント?)
壺ならいいけど、埴輪だと作ったあとの置き場所に困りますね。

家庭教師とおやつ2008年02月13日 21時15分41秒

パパがもらってきたバレンタインチョコ
タイトルと画像は無関係です。
myukumaさん、よしむらさん、パパに(実際はママと春海に)チョコを下さってありがとうございます♪
お皿は赤膚焼き陶芸教室でママが作ったお皿です。

さて、本題の「家庭教師とおやつ」ですが。
ママは10年ぐらいにわたり、6軒ほどのお宅に家庭教師に通いました。

家庭教師につきものなのは勉強後の「お・や・つ☆」ですね。
軽いものではクッキーとか煎餅、重いものならケーキ、サンドイッチなど、まあ、いろいろ出していただきました。
いま思い出せるものだけでも、ミスド、わらび餅、果物、プリン、ヨーグルト・・・・手作りのお菓子のときもありました。
変わったものでは・・・・その日の晩ご飯の一部ってのもありましたね。
困ったおやつもあって・・・・いや、嫌いじゃないんですよ。早く帰りたかったのに、デラウエアが一房出てきて、食べるのに非常に手間取ったことがありました。

春海が生まれてからは春海にまでおやつを出していただいて本当に悪かったなあ、ありがたかったなあ、と思っています。

時給でお給料をいただいた上におやつまで出してもらって、いつも「悪いなー」と思いつつ、食べながら「家庭教師を辞めたらきっと激やせするだろう」と期待もしていました。

ところがどっこーい。
まったく逆でしたね。家庭教師を辞めた途端にぶくぶくと太ってしまいました。
家にいるときはあまりおやつは食べません。なのに、どうして太ったのか?
家庭教師先がいずれも駅から遠かったんです。15分ぐらいかかるところばかりでした。毎日その距離を歩いていたら、おやつを食べた分ぐらい消費していたんでしょうね。
行かないようになってから、食べてないのに太る一方です。

だれか駅から遠い人、わたしを家庭教師に雇ってください。おやつ抜きで結構ですから(笑)。