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再び訂正しました2019年04月06日 23時14分43秒

何度も申し訳ありません。

8期の大本三千人さんですが「4空」と書いていましたが、「千歳空」の誤りでした。
申し訳ありません、わたしが手書きの文字を見間違えていました。
Kさんから「千歳空ですよ」とご指摘いただきまして・・・・。



9期の植田武雄さんが戦死されたときのペアの主電信員でした。


訂正しました2019年04月06日 10時03分13秒

昨日投稿した乙7~9期広島出身者集合写真に関して。
Kさんから情報提供をいただいて一部訂正・追記しました。

8期生に関することです。

大木三千人さんですが。
「大木」ではなく「大本」三千人さんでした。
訂正してお詫び申し上げます。
17年2月1日、4空、タロアで戦死されています。中攻の主電信員。
※4空ではなく「千歳空」でした。

不明と書いていた真田光雄さんは無事に終戦を迎えられたようです。

松本栄治さんはやはり福岡の集合写真に入っている可能性が濃厚です。


乙7~9期 広島県出身者集合写真2019年04月05日 13時01分54秒

渡邉邦夫さんの遺品の中に乙7~9期の広島県出身者の集合写真がありました。
7期卒業に際して撮られたもの。
7期生も8期生も2空の階級章をつけています。この2クラスが同時に2空だったのは13年8月1日~14日までの間。その間の撮影だと思われます。



うちにある7~9期の名簿類って、『予科練外史』、『予科練のつばさ』(7期)、7期卒アル、8期同期生会誌、『九期生名簿』、予科練名簿(知人Aさん作成)なんですが。

広島県出身者が何人いるか? 資料によって微妙に違っているんですよね(^^;)

あとでちゃんと書きますが。


とりあえず照合してみました。
リンクが貼ってある人(下線のある人)は個人ページがありますのでそちらをご覧ください。

わかりやすいところから。9期。4列目左から。


上原定夫さん 戦後生存






3列目左から


ここに写っている9期生は以上です。9名。
9期生存者が戦後に編集した「九期生名簿」では畑中嘉夫さんも広島出身ということになっているのですがここには写っていません。
が、畑中さんは『予科練外史』では岡山出身になっているので、そちらの集合写真に入っているのかもしれません(岡山出身者の集合写真は見たことがない)。

『予科練外史』といえば、そこでは大畠久利さんと柳川健さんも広島出身になっていますが、この集合写真には写っていませんね。
大畠さんは戦後の『九期生名簿』では和歌山になっているので、そちらかも。
柳川さんは・・・・途中で辞められているので詳細不明です。が、13年の8月にはまだいたはずなので、写っていないのは「?」です。




次、7期。
知人作成の予科練名簿では12名です。
これは山口良一さんの卒業アルバム(全員の氏名入り個人写真あり)があるので照合してみました。自信は・・・・あまりないです。異議は受けつけます。

中島勇壮さん 偵
16年12月10日 鹿屋空 マレー沖海戦


中川紀雄さん 操
20年4月7日 攻撃第一飛行隊 南西諸島方面 特攻

森田稔さん 操
17年2月3日 3空 蘭印方面
まったく同じ日に9期の森田勝さんも3空で戦死されています。勝さんは戦闘機ですが、稔さんの方は陸偵の操縦員です。行方不明。

教員

佐々木利照さん 操

神田忠美さん 偵
17年2月1日 横浜空 南洋方面

田中実さん 偵
18年4月18日 705空 ソロモン諸島方面
山本長官機が撃墜されたときの主偵察員。

2列目左端。
中山澤雄さん 偵
17年9月16日 東港空 ビスマルク諸島方面

そこから少しとんで・・・・(間は8期生だと思います)

2列目右から2人目。
島津勇さん 偵
15年12月25日 舞鶴空 飛行訓練中殉職

2列目右端。
野田栄作さん 偵
戦後生存

右上の特別枠。左。
檜垣英次郎さん 操
18年11月8日 翔鶴 ソロモン群島方面

右。
田坂要さん 操
16年5月 海軍病院にて戦病死

写っているのは12名。予科練名簿と一致しています。卒アルも12名です。
たぶん7期生は全員いると思うんですよね。
わざわざ特別枠を設けて貼り込んでいるので。
ちなみに他県の中には主役の7期生でも不在のまま卒業記念写真が作られてしまったところもあります(静岡とか)。
『予科練のつばさ』では岩本秀雄さんも広島と書かれていますが、ここには写っていないし、卒アルでは山口になっているんで、そちらが本籍と思われます。


あと残っているのが8期生だと思うんです。
2列目左から2人目から。







3列目左から3人目から。


後藤元さん




8期生は予科練名簿によると11名いるはずなのですが、ここに写っているのは10名ですね。
どなたがいらっしゃらないのかわかりません。松本栄治さんが8期生同期生会誌で福岡になっているので、松本栄治さんがここに写っていないのかもしれません。
予科練名簿の8期11名は、
池田高三さん  17年6月5日 飛龍 ミッドウェイ  ※9期清水巧さんの戦死時のペアの操縦員
大本三千人さん  17年2月1日 千歳空 南洋  
            ※「大木」と書いていましたが「大本」でした。
            ※9期植田武雄さんが戦死されたときのペアの主電信員でした
太田政富さん  17年6月5日 高雄空 蘭印方面  ※大田さんかも
岡崎繁雄さん  戦後生存
唐川集次さん  19年6月15日 521空 南洋群島
北村利秋さん  17年10月14日  751空 ソロモン
後藤元さん   16年12月8日 赤城 真珠湾攻撃
真田光雄さん  戦後生存
原晃さん     19年6月19日 761空 南洋群島
松本栄治さん  15年2月27日 鹿島空 伊勢湾にて殉職(飛練中)
松本久さん   16年1月10日 龍驤 岩国

後藤元さんだけは辺見じゅんさんの『戦場から届いた遺書』(文春文庫)に顔写真が出ていたので、それをもとに照合しました。たぶん、上の練習生が後藤さん。

8期生の同期生会誌にはもうひとり広島出身者としてお名前が挙がっている人がいるのですが、「免役帰郷後消息不明」と書かれてあり、13年8月の段階で予科練に在隊していたのかどうかすらわかりません。写っているのか、いないのか?

大本三千人さんは、生存者、戦没者、消息不明者いずれにもお名前がなく詳細不明です。
※Kさんからの情報提供で判明しました






7期卒業時の県別集合写真、現時点で茨城、静岡、熊本、長野(中庭)、愛知(中庭)、広島・・・・と見ることができました。
全部、見たいです。道のりは遠いけれど・・・・(^^;)


※画像は7期生ご遺族ご提供
※Kさんからの情報提供で追記・修正しました(4月6日)
※再びKさんからのご指摘で追記・修正しました(4月6日)

ある不時着2018年10月18日 08時56分06秒

石田勝さん(左)と一緒に写っている伊藤誠一さん(右)



以前、伊藤さんの個人記事を書いたときに、倉町先生が伊藤さんから聞いたと思われる不時着の話をちょっとかいつまんで紹介しました。

ここの後半です。

千歳空時代の17年10月21日、ウェーク島から哨戒に出て海上に不時着、ゴム筏で漂流のち、三日後に救助された――という話です。



わたし、『予科練外史』は9期生のお名前にはマーカーで印をつけ、さらに付箋を貼ってすぐにわかるようにしているんですが、それ以外のクラスの人は特に何も印をつけていません。

今日、ある9期生の個人記事を書こうと思って、
「そういえば、あの人のこと、『予科練外史』に書いてあったな」
とマーカーを頼りに探していました。

で、見つけちゃったんですよ。
マーカーをつけていないお名前を。
伊藤さん遭難の記事の冒頭部分です。

『さて、二十一日M3区哨戒に出て行方不明になった千歳空陸攻の捜索は、翌二十二日から実施された。乙八期の岡宮祐二飛曹(千歳空の陸攻の操縦員)も捜索にあたった一人である』

あ。

岡宮さん。
わたしが6年以上、「この人、誰、誰?」と言い続けてきた、「謎の三空曹」こと8期の岡宮祐さん。

岡宮さんだとわかったのが今年の5月なので、『予科練外史』を読んだときには読み飛ばしてしまっていたようです。ここに岡宮さんのお名前があることに気づいていませんでした。

倉町先生によると、岡宮さんの手記の引用だそうです。
『――十月二十三日、捜索は今日も続けたが、相変わらず見えるのは波頭ばかり。昨日は、ロギンリッタ、今日はピギンニを低空飛行する。不時着機よ何処へ行ったのか・・・・。もう断念するより外はない・・・・。吾々は海上に不時着したらもう断念するより仕方がない。
二十四日、奇蹟が報ぜられた。全くの奇蹟である。不時着、行方不明機の八名が全員生存していたそうだ。ルオットに向けて十四日に横須賀を出港した補給船「那岐山丸」(十一航艦所属)に救助されて二十五日にはルオットに入港するという。あきらめて、今日で捜索は打ち切りという時だったので余計に嬉しかった。救助の電報を受け取った通信長は雀躍りをして喜んだそうだ。
丸三日漂流したのだからよく頑張ったものと思う。人間は最後の最後まで頑張らねばならぬ。最後の瞬間まで自暴自棄になってはならぬ。人事を尽くして天命を待つ。もし、吾にしてこのことあれば、生きられるだけ生きなければならぬ。而して後は天の命ずるままに従えばよいのである。――』

「この奇蹟は、岡宮の人生観をも変えたようであった」という倉町先生は、これを書いた時点で果たして岡宮さんの最期をご存じだったのだろうか。




翌月の11月12日、岡宮さんはルンガ泊地攻撃で戦死。


岡宮さんのことは5月に書いていますが、あの話には訂正と続きがあります。



※画像は9期生ご遺族ご提供

飛練10期 中攻偵察 木更津大型機講習集合写真2018年05月08日 08時49分46秒

16年10月30日に大分と宇佐で飛練を卒業した偵察員の一部が、木更津航空隊に移って中攻偵察員となるべく大型機講習を受けました。
その修了写真です。
16年12月30日。


ただ、持ち主の藤原さん本人は裏に、
と書きこんでいます。

何度も言いますが、本人たちはあまり「卒業」「修了」ということばに対する区別意識はなかったように思います。




この修了記念写真に、9期生ではない人が4人写っています。

お一人は乙8期の小薬武さん
鈴鹿から飛練10期に合流したのだろうと思っています。

お一人は甲3期の篠田義雄さん
篠田さんは同期と一緒に宇佐に入隊し実用機偵察員教育を受けていて(新制度の飛練1期)、卒業が飛練10期と同時期になっています。そこで合流したのだろう、と。


あとお二人、氏名不詳者が写っています。
お二人は兵階級の人です。



「偵練の人かなあ? 丙飛の人かなあ? 乙飛以外の偵察員だったらもうわかんないだろうな」
と半ばあきらめていました。

どちらかが偵練52期の斎藤武さんという方みたいです。
写真のどちらの方かまではわかりません。

Kさんから連絡をもらって、だいぶ前にいただいた宇佐空の資料を見返してみたら、偵練52期(新・飛練4期)の偵察練習生名簿の備考欄に卒延の理由と飛練10期と同日に卒業した旨が小さな字で書かれていました。
こういう備考欄にまで注意を払ってもらって、ホンマにありがたいです。

その後、木更津で大型機講習を受けて中攻の偵察員になられたようです。


18年6月30日  702空  レンドバ攻撃





もうお一人の方に関してはまったく手掛かりがありません。
宇佐の資料を探しても、もうお一人の方に該当しそうな人は見当たらないんですよね・・・・。
時期が違うのか(宇佐の資料に書かれているより以前の期の人?)、それとも大分組なのか? それとも他の練習航空隊なのか?
あるいは木更津の大型機講習中に何か起こって、飛練10期の大型機講習に合流したのか。


※画像は9期生ご遺族ご提供