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玉津島神社 鹽竈神社2019年02月12日 10時04分52秒

神社、まだあるんです。

春海の試合を見に行ったのか、神社お参り目的で行ったのか?(^^;)


さらに、この人、仕事行かんでいいんやろうか?(´・ω・`)
と、我ながら心配になるほど休んでいますが。
けっしてずる休みとかはしていません。
正当に休んでいますのでご心配なく(笑)




1日目も2日目も、片男波海水浴場の駐車場に車をとめてから会場に行ったので(1日目は行き帰りとも散策しつつ徒歩、2日目は行きだけシャトルバス、帰りは散策しつつ徒歩)、その画像も交えつつ。













1日目の行きはあまりに時間が早すぎたので、玉津島神社のお参りだけしました。




試合が終わって駐車場に戻って来てから海水浴場の方におりてみました。



砂浜を歩いてみたところ・・・・。

なんか靴(スニーカー)の中が砂っぽくなっちゃって(^^;)

おかしいなと思って脱いでひっくり返してみたらたくさん砂が落ちてきました。

よく見たら、靴底のうちの一枚が接着がはがれていてそこから靴の中に砂が入り込んでいたのでした。

あー、暗越えで逝ったか?(´Д`)





2日目の行きはシャトルバスで会場に行ったのでどこにも立ち寄らず。

帰りに鏡山と鹽竈神社にお参りに行きました。
しおがまじんじゃ。



ケロ子、犯行自白中↓
「おまえがやったのか!?」
「わたしがやったって証拠があるのっ!?」
「犯行現場の様子は新聞報道されていない。おまえはそれを知っていたじゃないか。犯人しか知らない秘密だ」
「ぐぬぬぬ・・・・」

というシチュエーションがぴったりの崖でした。


向こうの山の中腹に紀三井寺が見えています。


この崖の南側の下に鹽竈神社があります。









ここは今回どうしてもお参りしたい神社でした。

前回、紀州東照宮にお参りしたとき、前を通ったのですが時間切れで立ち寄れませんでした。





この鹽竈神社。
クロちゃんの集印帖に印が押してありました。

わたしの想像ではお参りしたのはクロちゃん本人ではなくご家族のどなたかではないか?
お父さんが最有力ですが。

そういえば、弟さんがお父さんの西国霊場巡りの集印掛け軸を出して見て下さったみたいですが、それにも日付はなかったそうです。

わたしも御朱印をいただいてきました。

印のデザインはまったく同じですね。

クロちゃんの集印帖 つづき2019年01月14日 09時13分51秒

昨日明日香に行った主目的は、クロちゃんこと6期の中西義男さんの集印帖を弟さんにお返しする、ということでした。
万葉文化館で落ち合って・・・・。

お借りしていた写真、集印帖などをお返ししました。
あと、富士山行軍のことを書いたブログもプリントしてお渡ししました。



そのときに集印帖を見たわたしの個人的な感想もお話しました。
待ち合わせの打ち合わせを事前に電話でしたときに集印帖の感想を聞かれたのですが、「会ったときに直接話したい」と言って、昨日まで感想は伝えていませんでした。



クロちゃんの集印帖、おもて面は予科練行事・富士山登山行軍時の集印帖です。日付けも矛盾はないですし。
クロちゃん本人が集めたものと判断していいと思います。
「海軍少年航空兵 中西義男」の記名もあります。

この集印帖、裏面にも印が押されていてですね。
裏面は寺社の印が押されています。
関西の寺社ばかりで、和歌山、滋賀、大阪・・・・といったところ。
預かったときの弟さんのお話では「兄貴が帰って来たときにまわったんやなあ」というようなことで、わたしもそのつもりで見始めたのですが・・・・。


スタートは高野山総持院。

クロちゃんは大阪の人なんでね。
和歌山なら休暇で帰省したときに参拝可能でしょう。


見始めてすぐに「?」となりました。

根本中堂のページに押してあった印に日付が入っていました。
12年4月26日。


さらに・・・・。ここらへんは滋賀県の寺社ですが、ここに昭和13年4月17日の日付が書き込まれていました。


クロちゃん年譜的には予科練に入隊したのが昭和10年6月1日。
予科練を卒業して飛練に進んだのが13年1月10日。
飛練の卒業が13年8月16日。

ということなので、高野山根本中堂の12年4月26日は予科練中。
滋賀県の寺社参拝の日付13年4月17日は飛練中。



予科練や飛練時の長期休暇って基本的に年末年始の休暇と夏休暇だけだと思うんですよね。
いろいろな手記、『予科練外史』の年中行事、島田さんの日記を見た上でのわたしの印象です。
これらの休暇は必ずもらえるものではなく、時局によってはとりやめになることもあるようです。
あと、休暇があるとしたら親が危篤、あるいは死去の場合の特別休暇。これ、短いです。往復の時間を除くと家にいられる時間は1日2日ぐらい?

実施部隊に出てしまえば、転勤時の移動期間にちょっと・・・・とか、戦地から内地に戻って来たときなどにちょっと骨休め的な休暇がわたることもあったようです。
一木さんは「温泉休暇」って言われていたか。

練習生身分である予科練・飛練中の4月に長期休暇がわたるってのはわたし的には「可能性は低い」ということ。
というか「ありえない」と言ってもいいぐらい。



そのことを弟さんに伝えた上で、さらにわたしの想像も伝えました。


クロちゃんが富士山登山をきっかけに作った集印帖を休暇時に持ち帰って家に置いて帰った

その裏面を利用し、家族のどなたかが寺社の集印を始めた


弟さんは心当たりがあったらしく「ああー」と腑に落ちたような声を漏らされました。

「オヤジが西国霊場の印を集めた掛け軸を作っていた」




たぶんお父さんがクロちゃんの武運長久あるいは無事を祈って、クロちゃんの集印帖の裏面に祈りを込めて印を集めていった――というところが真相ではないかと、昨日はそういう話になり、ふたりでしんみりしてしまいました。



お父さんが集めた西国霊場の掛け軸はいまも残っていて家にしまってあるそうで、「ちょっと出して見てみるわ」と言われていました。



お父さんは家族に集印帖のことは何も話されていなかったそうですが、あの集印帖はお父さんの思いが込められた「クロちゃんとお父さんの遺品」なのではないかとわたしは思います。

筑波山登山行軍22018年12月30日 17時09分36秒

うれしいことがあったので連投。

ひと月ほど前に知人のMさんに見せてもらったアルバム――。
書き込みはないのですが、内容からおそらく6期生担当教員のアルバムだろう、ってものなのですが。

そこにこんな写真が貼られていました。
中央に座るのがオエライサン。膝に弁当箱みたいのを乗せています。
その右に立つのが分隊士か分隊長か?
下士官は教員でしょう。
周囲に予科練生?
すごくリラックスしていい笑顔。


神社かな?

平地ではないな。



そしてこれ↓ 葵の御紋。


この神社がめっちゃ気になってですね。
相当探したんです。

手当たり次第には探せないので、何かヒントになるものはないか、目をつけたものに絞って探すんです。

これは葵の御紋で。

いまから思うと方向性が間違っていました。
「東照宮系に違いない!!」
と思って探していました。

ペンネントが横須賀海軍航空隊。
写っている練習生?が6期生かどうかはわかりません。他の写真から判断して、6期の可能性が高いです。
横須賀から行ける場所。そう遠出はしないでしょう。
横須賀周辺とか東海とかの東照宮系、探していました。

高いところにありそうだったので「奥の院」じゃないかとも思って。

結局そのときは見つけられなかったんですよorz





ところがさっき、偶然見つけました!(・∀・)

いやね。
杉野さんの筑波山神社の写真を出したでしょう?
あの写真自体は夏前に筑波山神社って特定できていたんですが、投稿するにあたって再度間違いないか、場所の確認など(ブログに書いていないですがいちおう自分なりに確認はしているのです(^^;))・・・・と思って筑波山神社のサイトを見ていました。

まず、サイトに出ていた社紋を見て、
「へえ~、三つ葉葵なんだ~」  ←まったく気づいていない

そのあと、サイトのトップページに神社の風景画像がスライド形式で流れる部分があって、それを見ていたら・・・・。

「ああっ!?∑( ̄ロ ̄|||)」

筑波山の山上本殿。上空(ドローン?)から撮ったような画像が写しだされたんですが、それを見て驚きました。

「あの場所じゃないか!?」


そのあとはもう「筑波山神社山上本殿」の画像探しですよ。

男体山、女体山の山頂それぞれにあるということで。

お社の周囲に手すりがあるのは女体山の本殿なのですが、写真のお社は男体山の本殿ですね(現在手すりは見当たらない)。
ヒトのサイトにアップされた男体山本殿の石垣の石と、予科練生が写っている写真の石垣の石の積み方を見比べて断定しました。

まさか筑波山だったとは。
場所がわかるとうれしいです。



教員が自分の担当と関係のないクラスの写真を貼っている可能性は低いと思うので6期だと思うんですけどねー。
6期は横須賀から筑波まで行ったのかー。

『予科練外史』の予科練年中行事(3期基準らしい)には筑波山登山は書いていないです。

やはり学年によって行事もちょっとずつかわっているんだな。


※画像はMさんご提供

富士山登山行軍22018年12月29日 11時58分47秒

Kさんにお願いして倉町秋次先生の『予科練外史』の富士山登山行軍のところを見せていただきました。


入隊は六月一日だから、一か月余りで夏が来る。一学年は幕営生活に行き、二学年は富士登山をするのが年中行事であった。学年全員で行う登山行軍である。土曜日はいつもの通りに午前中も授業を受け、昼食を終わるとすぐ出発。夜を徹して御殿場口から登り、夜明けまでに山頂を極めて御来迎を拝む。そして日曜の夕方には追浜に帰隊して月曜から平常通りに授業を受ける。


と書いてありました。


ホンマかっ!?w( ̄▽ ̄;)w


登山は夜間っ!?

そして下りてきて翌月曜からまた平常通り授業!?
※授業といっても座学ばかりでなく体動かし系が多いです

若いからこそできる強行軍ですね。





もうちょっと詳細に書いてあるところもありました。

胸をはずませながら、頂上を目ざす或る年の登山光景を追ってみよう。
その日は曇ってはいたが、蒸し暑く登山日和というには遠かった。土曜日の午後予科練をたち、汽車で御殿場についた。所定の宿舎で服装を整え、手に手に金剛杖を持って大はしゃぎである。太郎坊まではバスで行き、登山開始は午後六時頃であった。
麓一面深い霧で十米先も見えぬ。勿論頂上など見えない。登るにつれて闇はいよいよ濃くなり、懐中電灯の光を頼りに、一列になって賑やかに登って行く。二合目を過ぎた頃、急に霧が切れて星が見え始め、遥か彼方に頂上が黒く偉容を現した。その山頂をめざす登山者の灯が、ゆるやかな稲妻型を描いて提灯行列のように続いている。

中略

山頂は、すぐ目の前に見えながら、登っても登っても近づかない。所謂胸突き八丁である。寒さが襲って来る。風も出たようだ。乾麺麭を噛り、賑やかな笑いを黎明の冷気の中に撒き散らしながら登って行く。
登り始めから約十時間、辺りは明るさをくわえて、頂上に達した時、将に太陽が雲から出ようとしていた。少年たちはしばらく見とれていたが、誰からともなく一同は万歳を叫んだ。満たされた明るい声であった。日本一の富士山を征服したんだと、新しい力が全身に溢れていた。



もし6期が上の通りに行軍したとしたら、
これが土曜(7月25日)の午後、御殿場到着後、宿舎(松屋旅館)で着替えて金剛棒を手にはしゃいでいる少年たちの図、ってところでしょうか。
※撮影場所はいまだ不明です




太郎坊までバスで行き――

登山開始は午後六時。


これは登りですよね。
6時に登り始めても夏だからこれぐらいの明るさがあるんでしょうか?



これが山頂での御来迎の瞬間写真なのか?


山頂らしき印は、集印帖の最初のページに押してありました。
頂上印のためにわざわざここを空けておいてから集印を始めたのかな?


これは下っているように見えます。
これが大砂走なんでしょうか。
わたしは脚で登り下りしたことがないのでちょっとわからんです(^^;)







というわけで、例年通りとしたら、7月25日夕方から登りはじめ、26日に下山してきた、ということになるんでしょうね。


※画像は6期生ご遺族、Mさんご提供

富士山登山行軍2018年12月22日 22時28分05秒

うーん・・・・。

この件に関してはわたしはほとんど無知なんです。

というのも、9期はこの行事、たぶん、やっていないんですよね。


ただ、予科練の古いクラスは富士山に登っている――というのは知っていました。
それっぽい写真を見たことがあったし、倉町先生の『予科練外史』で見たことがあったからです。

『予科練外史』に予科練の年中行事が載っています。
先生がここにあげているのは3期の行事みたいです。ということは9期から見たら6期(6年)も先輩です。

その中に「富士山行軍」があります。
3期は昭和7年6月1日入隊です。
富士山行軍は入隊の翌年8年の8月12日・13日に行われています。
入隊の翌年ですね。

9期もあのまま横須賀にいたら14年の夏に富士山行軍があったのかもしれません。
が、14年3月に霞ヶ浦に移転してしまったので、夏の富士山行軍は行われませんでした。
その代わりなのか、3期の行事表にない鹿島神宮、香取神宮参拝をやっています(14年7月16日日帰り)。

あ、9期が入隊直後の13年夏に富士山行軍をやった可能性はほとんどないと思っています。
島田さんの日記は13年分がないのでそこから裏は取れないのですが、松本さんの書簡にも出てこないし、9期生存者の思い出や手記にも一切出てきません。卒アルに写真もないし、個人の遺品のアルバムにもまったく写真は存在しません。


というわけで、わたしは富士山登山行軍に関しては「古い人たちはやったんだよなあ」ぐらいの認識しかないわけですが。



先月、知人に見せてもらった6期生のアルバムに富士山行軍の写真が何枚か貼られていました。

後ろ、富士山ですよね。


左の方に写っている幟?には「歓迎 大日本少年航空兵豫科登山・・・・」「熱海」「旅館 太郎坊」の文字が見えます。



これは登山中の様子でしょうか。
わたしは富士山はバスでしか登ったことがないので(修学旅行)、脚で登るルートに関してはまったくコメントできません(^^;)





今回、注目したのはこの写真です。
どこかの神社の境内らしきところでの集合写真。

6期生のお顔でわかったのは佐々木裕二さんだけですが。

注目してしまったのは、このおじさんです↓。
軍人さんの集合写真に一般人が一緒に写っているって、めっちゃレアです。
もちろん、背景に一緒に写り込んでしまっていることはありますよ。しかし、この写真みたいに明らかに一緒に写っている写真って、ほとんどないです。まったくないというわけではありません。飲みの席で女性が写っているとか、辻堂演習で宿泊先の家族が一緒に写っているとか。

しかし、こんな大人数(分隊単位か?)の集合写真に一般の人が一員として写っているのは初めて見たかもしれません。

このおじさん、着ている半纏に「松屋旅館」と書いてありますね。





ハイ、松屋旅館!!

↑これ、一昨日見せてもらった中西クロちゃんの集印帖にあった印です。


松屋旅館の印、他にもありました。
一番下、たぶん「東海道線御殿場驛前」って書いてあると思うんですよね。




見逃していたのですが、岩井さんのところにも同じ場所で撮られた写真がありました。
ふたご写真だろうか? ふたごにしては人数が少ないような気も・・・・。
それとももう1枚2枚あるのか?
顔ぶれは上に出した写真と違うようにあります。


中央背後で翻っている旗?ですが。
拡大してみると、
たぶん「歓迎 松屋旅館」って書いてありますよね。

んで、こっちには松屋旅館のおっちゃんは写ってへんのか?

写っていました!
さらに紛れ込んでいました(笑)
中央あたりで予科練生の中に紛れています。



この場所を特定したいな、と思って探しているんですが。

後ろの神社、ちょっとかわっていますよね。
神社の本殿や拝殿の屋根が桟瓦葺きってあまり見ない気がします。

社紋はたぶん桜です。
後ろの本殿?拝殿?に幕が張られているんですが、桜の紋が見えています。

屋根瓦にも桜紋が。



松屋旅館のおっちゃんが下駄ばきで写っているんで、松屋旅館の近くじゃないかと推測しています。

集印帖の隣りに押されていたのが「御殿場口 浅間神社」なので、そこかな?と思ったんですが。
この御殿場口浅間神社がどこを指しているのか?

たぶん御殿場駅近くの新橋浅間神社のことですよね。

そもそも「驛前」の松屋旅館、どこにあったのか?
ネットでいろいろ検索しているうちに、明治時代の御殿場駅前の手描き地図を載せているブログを見つけました。リンク貼らせてもらっていいですかね~
「松屋旅館」、ありました!!
駅前から富士山側に伸びる道路沿いに松屋旅館がありました。駅からすぐのところです。

新橋浅間神社もそう遠くないです。地図で見る限り歩いてすぐ。

しかし、社殿が全然違うんですよね。


新橋浅間神社は御殿場市観光協会サイト情報では昭和17年に社殿が大修理されているとか。建て替えたのか? 大修理前の画像は見当たりませんでした。


現時点で不明のままです。










クロちゃんの集印帖はおもて面は富士山登山の集印帖です。
最初の方にこのハンコが押してありました。
11年7月25日。

最後のページにこれ。
11年7月26日。

6期の富士山行軍は入隊翌年の11年7月25日と26日だったことがわかります。

ハンコの様子から、登山したのは26日ではないかと思っています。




※画像は6期生ご遺族・ご家族、Mさんご提供