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予科練入隊時私服写真2021年04月05日 19時45分13秒

先日、見せてもらった7期生のアルバムに、入隊当日の私服姿の写真が貼られていました。

顔ぶれは違います。
2枚で7期総員なのか?
帽子のひさしでお顔がよく見えない人がいるんでまだ照合はしていません。

が、お顔がはっきり見えてすぐにわかった人も!
小見山さん(上)や西澤さん(下)はすぐにわかりました。
おふたりとも19年ごろの写真と比べるとやはり”少年”という感じです。

書き込みがあり「入隊当日、高台」と書かれていました。
予科練の裏ですかね。9期の「おもいで」にも出てくる場所です。



たぶん同じ場所。9期と10期。東日本の一部の県出身者。
10期生がいるので、これは入隊当日ではなく試験で横須賀に集まったときに撮ったものと思われます。






じつはですね。

もう1期分あるんですよ。
乙2です。昭和6年。
昭和11年の7期や昭和13年の9期10期とも雰囲気が違います。


これは乙2の浅川三雄さんのお写真です。
息子さんが送ってくださいました。
浅川さんは9期が操偵適性検査をした筑波空百里原分遣隊の教員でした。

操練35期の原田要さんが浅川さんのことを覚えておられて、教員集合写真を見て氏名を書き込んでくださったんです。
それで浅川さんのことをブログに書いたら、息子さんが見つけてくださったと。
原田さんには一度もお目にかかれなかったのですが、ご教示がなかったらブログに書くこともなかっただろうし、そういう意味で原田さんのお引き合わせだと感じています。


他にもたくさん写真を送っていただいているので、[乙2期]のカテゴリを新設しちゃいました。
(”乙”と書かれるのはご本人たちはどうかなとも思うのですが、流れ的に乙9期の直接の先輩であるのでわかりやすくするために”乙2期”としています)
上の私服写真もそうですが、他の写真ももうちょっと撮影状況や写っている顔ぶれなど研究してから出そうと思っています。


7期生のアルバムも出せる写真から紹介しようと思います。


※画像は2期生ご家族、9期生ご遺族、Mさんご提供

予科練生と桜2021年03月16日 20時36分34秒

桜の開花宣言がちらほら・・・・。

予科練生のアルバムにあった桜の写真をアップします。
過去、何度か出している写真もあります。









霞ヶ浦海軍航空隊。
(4枚目は不明。アルバムの貼り位置からおそらく霞空)



亀城公園。







桜川。


※画像は9期生ご遺族ご提供

乙9期 西本宗方さん2021年03月06日 17時28分22秒

西本さんは出身地が判然としません。
「九期生名簿」では島根になっているのですが、『予科練外史』では鳥取。
あとで出てきますが、自筆の寄せ書き(卒アル)には「伯耆」と書いています。Kさんご教示の出身地も旧伯耆国の範囲になるので、本人の認識的にも海軍の資料的にも鳥取県出身でいいのかな、という気がしています。
「九期生名簿」で島根になっていた理由はわかりません(名簿が編まれた昭和40年時点の住所が島根というわけでもなかったです)。

偵察、中攻。
戦後生存。

1学年時14班、班写真。


東京行軍



霞ヶ浦航空隊に移転してすぐぐらい?
マスクをしている人もいます。お掃除中でしょうか。


操偵検査。


予科練卒業時の寄せ書き。
署名はありませんが、旧伯耆国出身者は西本さんおひとりなので、西本さんの寄せ書きと思われます。



飛練・鈴鹿。

奈良行軍
橿原神宮。



運動会
相撲部優勝。




これも運動会。
相撲部は左端の方で軍服姿で写っている一団です。




教員(マフラーの人たち)とともに、飛行服で。


飛練・大分


大型機講習・木更津




実施部隊は高雄空、753空。

753空時代に負傷で戦線離脱しています。

18年7月6日 クーパン基地からブロックスクリーク飛行場攻撃
行動調書では特に何も記載がないように思うのですが、7期の中攻偵察員・丸岡虎雄さんの手記(七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社収録)に詳細が記載されていました。
7期卒アルの丸岡さん

『予科練のつばさ』丸岡さん手記より
当日の三小隊一番機の搭乗割は、つぎのとおりであった。
主操 小隊長 飛曹長 鈴木益次郎
副操      飛長   島津良生
主偵 機長  上飛曹  丸岡虎雄
副偵      飛長   安立芳明
主電      一飛曹  西本宗方
副電      二飛曹  大住勇 
搭整      一整曹  大久保淳


副電の「二飛曹 大住勇」は乙10期の大住勇さん。
のち月光の偵察員。
19年9月12日 戦闘901 比島 ダバオよりセブに移動中敵艦載機と交戦戦死
(押尾一彦・野原茂『日本陸海軍航空英雄列伝』光人社)



これは前にも書いたことがあるんですが、偵察員だった丸岡さんが、機上戦死した主操に代わり操縦(副操は重傷)、着陸までやってのけた、という例の戦闘時です。

丸岡さんの手記から(太字)。
”バリ、バリ、ガン、グワーン”と猛烈な被弾音。
(あっ、上がやられたな!)
と直感する。
ぱっと伝声管をかなぐりすて、操縦席下の通路を一気に突っ走って上を見た。
主電西本、搭整大久保、副電大住の三名が、そろって操縦席を指差し顔面蒼白である。驚いてふり返って見ると、主操鈴木小隊長は前方に伏し、副操島津飛長は、右腕、右顎を血で染めている。最悪の状態である。

丸岡さんはとっさに鈴木飛曹長を抱きかかえて通路に移し、自身が操縦席に。
丸岡さんは偵察員ですが、前々から操縦の研究もしていたのです。

約十五分が経過し、ようやく空戦も終わった。すぐに大久保、西本を呼んで、副操島津飛長の応急手当をさせたが、顎の止血はできなかった。

機位も確認できたので、基地あてに電文を作成し、暗号文にして副電大住二飛曹に送信させた(主電、右手首損傷のため)。
「三中隊三小隊一番機、主操鈴木飛曹長機上戦死、副操島津飛長重傷す。偵察丸岡上飛曹の操縦にて帰投する。基地到着一三二○の予定」


偵察員の丸岡上飛曹でしたが何とか無事に基地に着陸成功。

すぐに、指揮所にさしまわしの救急車が着いたので、重傷の島津飛長と負傷の西本一飛曹、機上戦死の鈴木飛曹長を乗せ、病室へと向かわせた。

指揮所での報告を終えて、丸岡さんは病室へ走りました。重傷の島津飛長が心配だったのです。

「命の心配はないが、すぐの回復はむづかしい」
と、言われた。
病床の彼を見舞ったが、島津飛長は麻酔がきいて眠っていた。西本一飛曹は軽傷で、すでに治療を終えて、宿舎に帰ったあとだった。


丸岡さん手記の、西本さんに関する記載はここまでです。
手記的には「ホッと安心」と言いたいところですが、西本さん、、結局入院して内地に帰されているんですよね。
詳細はわかりません。
治療を終えてすぐに宿舎に帰されるような「軽傷」でひと月半も入院するとは思えないんですよね。
思ったより重傷だったのか、別の病気を併発してしまったのか?


復帰後は教員。
詳細はちょっと・・・・保留という感じでしょうか。


※画像は9期生ご遺族・ご家族、10期久保さんご提供。

乙9期 岸田良親さん2020年07月27日 21時00分54秒

高知出身、操縦。

岸田さんは『予科練外史』の9期生の名簿にお名前があります。
が、戦後に編集された『九期生名簿』にはお名前がありません。おそらく同期生たちも戦後の消息はつかんでいなかったのではないでしょうか。

16年6月に航空科から飛行科に転科、兵籍番号が振り直されたことがありました。これはわたしの想像ですが、その時点で在籍していなかった人が『九期生名簿』に載っていないのかな、という気がしています。



1学年2班。


東京行軍。



大楠山慰安行軍。
真ん中でたばこをふかしている教員のすぐ右に座っているのが岸田さんです。



霞空の2班。


操偵適性検査。



操縦専修生たちの整備実習。
たぶん、この写真が岸田さんの予科練時代の一番新しい写真です。
これ以降、見当たりません。
予科練中に辞められています。



残念ながら、『九期生名簿』にも島田さんの日記にも、岸田さんの人柄がわかるような話はありません。


しかし意外なところに岸田さんのお名前が。
10期生会誌『とんぼ』です。

松村伊豆夫さん(20年3月2日 951空 五島列島)に寄せた笹岡義重さんの文章です。
ちなみに松村さんも笹岡さんも高知出身です。

昭和十三年三月、佐世保航空隊へ二次試験に向う高知駅。九期生の岸田さんと貴様がセーラー服の女学生と共にタクシーで乗り着けて注目をあびた。


9期と10期は一緒に試験を受けて入隊時期をずらされたいわば双子の兄弟みたいなクラスですので、出身県から試験会場まではおそらく引率者がついてみなで一緒に行ったのでしょう。

この”セーラー服の女学生”が気になるところですが、どちらかの姉妹の方ではないのかと想像しています。”どちらかの恋人”説も否定はしませんが、もしそうならその顛末まで笹岡さんが語っているのでは?という気もします。
まあ、わかりません(^^;)


※画像は9期生ご家族・ご遺族ご提供

海軍省許可済第一二一六號写真2020年07月05日 07時59分34秒

発掘しました。

ふつう考古学で「発掘」というと、土の中から遺物や遺構を掘りだすことを指していますが、今日の話は考古学の話ではありません。


2015年に見せていただいた丙16期長渡良雄さんの写真の中からすごい写真を見つけてしまいました。


5年間、わたしのパソコンの写真フォルダに埋もれていたってわけです。
歓喜と同時に申し訳なさでいっぱいです。


長渡さんはもともと中攻の偵察員でしたが、終戦の前は762空攻撃501飛行隊で銀河に乗っていました。

アルバムは予科練・飛練時代の戦友の写真が多く、とても興味深いものでした。

その中に1枚、ちょっと毛色の違う写真がありました。アルバムに貼られていたのではなく、1枚モノの写真でした。アルバムに挟んであったのかな?

実施部隊の、出撃前の搭乗員整列のような?
場所は南方っぽかったです。

「長渡さんは写っていないよな? 長渡さんとは関係ない写真か」

ちらと搭乗員のお顔を見てそう判断し、ロクロク見ていませんでした。
そのときは「どこの部隊かもわからないし、見てもわからないだろう」と思ってよく見なかったんだと思います(反省)。



あれから5年――。



昨日、まったく別件の調べ物をしていて、「松島空」というキーワードにたどり着き、

「そういえば長渡さんが松島空時代の写真をたくさんアルバムに貼っていたな」

と思い出し、写真を見返していました。


そして再びあの写真。


これなんですけどね。。
わたしも5年の間に多少写真を見る目が肥えました(自分で言うか)。

「この背景、ラバウルに似ているよな」

↓西澤さん「南空の勇士」。
台南空の下士官搭乗員集合写真ですが、この背景の様子によく似ていると思いました。
わたしはこの写真の撮影場所はラバウルだと思っています。


んで、ラバウルじゃないかと疑い始めたら俄然やる気が出て、超拡大して搭乗員のお顔を見てみました。

「あれ? もしかして、この人は・・・・」

知っている人のお顔が・・・・(^^;)

しかも3人。

3人の共通点は「582空戦闘機隊」

ラバウルの582戦闘機隊か!?

え? でもどうして長渡さんがラバウルの582空戦闘機隊の写真を?



もっと何かないか?

写真を隅々まで見たら、右下に「海軍省許可済第一二一六號」と印字がありました。
たぶん、この写真、長渡さんが個人的に誰かからもらったものというより、当時の広報写真、報道写真みたいなものでは?


とりあえずネットでこの許可番号で検索したのですが何も引っ掛かりませんでした。



搭乗員3名は582空の人だと思ったのですが、もう一人、「これも582空の人じゃないか」という人が写っていました。

わたしが手記まで持っているあの人です。

角田和男さん(乙5)。

写真の搭乗員の並びの左端の人です。

わたしのSNS友に、実際の角田さんをご存じの人がいるので、SNSで「これは角田さんでは?」と問いかけてみたところ、その人から「角田さんですよ」との回答をいただきました!


発見した順に書いていきましょうか。
左が海軍省許可済写真から。
右は大澤芳夫さん(丙3)のアルバムにあった名入りの582空搭乗員集合写真(18年6月、角田さん離任に際して)から。

まず、この人に目が行きました。

「10期の福森大三さんじゃないか!?」

福森さんは予科練時代の写真も動画も、さらに台南空・582空の実施部隊時代も写真をたくさん見ているので間違いないだろうと。


福森さんの隣は同期の古本克己さん(乙10)だー!

古本さんも予科練時代、582空時代と写真を見ているので間違いないだろうと。



この人はちょっと斜めなので自信がなかったのですが、甲5の楢原憲政さんではないのか。



そしてこれがSNSで問いかけた「角田さんでは?」って写真です。
角田さんのお顔は認識しているつもりですが、うつむいていてよくわからなかったのです。
知人に「角田さんです」と言ってもらえて、いよいよ本格的に調査開始。



わたし、以前から台南空とか251空とか、行動調書から「誰がいつ誰と仕事をしているか」が一目でわかるように搭乗員ごとに出撃(哨戒)した日をExcelに打ち込んでいるのですが、大澤さんの582空集合写真を調べたときにそれの582空版を作っていたのです。
「角田さん、楢原さん、福森さん、古本さんが一緒に行動していて、しかも9人で出ている日」
と限定して探したら「17年12月3日」がありました。
※お顔が写っていない人も含めて搭乗員は9人写っています

他にあやしい日がないか、角田さんの離任日まで探しましたが、おそらく「17年12月3日」で決まりです。

17年12月3日
ブナ物量投下中攻隊掩護
ラバウル基地

1小隊1番機  飛曹長 角田和男
    2番機  一飛曹 楢原憲政
    3番機  飛長  山内義美(芳美)
2小隊1番機  上飛曹 武本正美(正実)
    2番機  二飛曹 福森大三
    3番機  飛長  沖繁国夫(国男)
3小隊1番機  一飛曹 松永晋松(留松)
    2番機  二飛曹 古本克巳(克己?)
    3番機  飛長  大沢芳夫
     

行動調書通りに並んでいるとしたら、「じゃあ、こういうこと↓だな?」

真上から見たらこうです↓
角田さんは全体の指揮官でもあるので列から外に出ています。





楢原さんの後ろの人、確かに山内芳美さんだー。

福森さんがデカいことは認識していましたが、山内さんの方がさらに長身ですね。
いつも座っているので気づきませんでした。


山内さんの奥にお顔の一部だけ見えています。
行動調書通りなら沖繁さんらしいです。



ゴーグルしか見えていないのが大澤さんか。


背を向けている上官らしき人で隠れてしまっているのが松永留松さん(操57)ということでしょうかね。


大澤さんを隠してしまっている最前列の人が武本正実さん(操37)ということになりますが、これだけお顔がはっきり写っているのだから照合したいです。

またまたSNSで問いかけてみました。

結論から言うと「これが武本さんだ」とはっきりわかるご教示はなかったのですが、

「この中に武本さんがいるらしい」

という写真を提示してくれた知人がいまして、そこにこの人と同一人物ではないかと思われる人が写っていました。




それ以外に、もう1枚。

以前、大澤さんのアルバムにあった582空搭乗員集合写真だとここに出した写真。
書籍参考&わたし調べで氏名を書き込んでいます。

3列目の右から3人目の人。
どなたかわからなかったんですが、同一人物ですよね。
立ち位置的にも、武本さんでもいい感じの立ち位置です。

しかし現時点では武本さん特定は今後の宿題かな。



というわけで、たぶん、海軍省許可済第一二一六號写真は17年12月3日、角田和男飛曹長指揮の582空戦闘機隊ということで。



搭乗員の向こうに「582空らしいなあ」という99艦爆が写り込んでいます。
これはわたしにもわかりました。


この飛行機、何だろう?と思っていつものYさんに写真を見てもらいました。

一式陸攻じゃないかとのこと。
582空の前身の2空が輸送(角田さん手記では「連絡」)用の一式陸攻を持っていたとか。
東飛行場でも離着陸可だそうです。



あとわたしがまったく見えていなかった飛行機もご指摘いただきました(^^;)
一式の左に、99艦爆らしき飛行機。
よく見えないですよね、Yさんも「99艦爆かなあ?」みたいな感じでした。


角田さんの上の奥の方に零戦らしき小型機。





というわけで、いろんな情報が詰まった写真をまたしても見落としていました、という話。

ときどき見返さないといけないとあらためて深く反省。



※画像は9期生・長渡さん・大澤さんご家族、武田信行氏ご提供
戦史研究家Hさん・Mさん・Yさんご教示感謝