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乙9期 西本宗方さん2021年03月06日 17時28分22秒

西本さんは出身地が判然としません。
「九期生名簿」では島根になっているのですが、『予科練外史』では鳥取。
あとで出てきますが、自筆の寄せ書き(卒アル)には「伯耆」と書いています。Kさんご教示の出身地も旧伯耆国の範囲になるので、本人の認識的にも海軍の資料的にも鳥取県出身でいいのかな、という気がしています。
「九期生名簿」で島根になっていた理由はわかりません(名簿が編まれた昭和40年時点の住所が島根というわけでもなかったです)。

偵察、中攻。
戦後生存。

1学年時14班、班写真。


東京行軍



霞ヶ浦航空隊に移転してすぐぐらい?
マスクをしている人もいます。お掃除中でしょうか。


操偵検査。


予科練卒業時の寄せ書き。
署名はありませんが、旧伯耆国出身者は西本さんおひとりなので、西本さんの寄せ書きと思われます。



飛練・鈴鹿。

奈良行軍
橿原神宮。



運動会
相撲部優勝。




これも運動会。
相撲部は左端の方で軍服姿で写っている一団です。




教員(マフラーの人たち)とともに、飛行服で。


飛練・大分


大型機講習・木更津




実施部隊は高雄空、753空。

753空時代に負傷で戦線離脱しています。

18年7月6日 クーパン基地からブロックスクリーク飛行場攻撃
行動調書では特に何も記載がないように思うのですが、7期の中攻偵察員・丸岡虎雄さんの手記(七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社収録)に詳細が記載されていました。
7期卒アルの丸岡さん

『予科練のつばさ』丸岡さん手記より
当日の三小隊一番機の搭乗割は、つぎのとおりであった。
主操 小隊長 飛曹長 鈴木益次郎
副操      飛長   島津良生
主偵 機長  上飛曹  丸岡虎雄
副偵      飛長   安立芳明
主電      一飛曹  西本宗方
副電      二飛曹  大住勇 
搭整      一整曹  大久保淳


副電の「二飛曹 大住勇」は乙10期の大住勇さん。
のち月光の偵察員。
19年9月12日 戦闘901 比島 ダバオよりセブに移動中敵艦載機と交戦戦死
(押尾一彦・野原茂『日本陸海軍航空英雄列伝』光人社)



これは前にも書いたことがあるんですが、偵察員だった丸岡さんが、機上戦死した主操に代わり操縦(副操は重傷)、着陸までやってのけた、という例の戦闘時です。

丸岡さんの手記から(太字)。
”バリ、バリ、ガン、グワーン”と猛烈な被弾音。
(あっ、上がやられたな!)
と直感する。
ぱっと伝声管をかなぐりすて、操縦席下の通路を一気に突っ走って上を見た。
主電西本、搭整大久保、副電大住の三名が、そろって操縦席を指差し顔面蒼白である。驚いてふり返って見ると、主操鈴木小隊長は前方に伏し、副操島津飛長は、右腕、右顎を血で染めている。最悪の状態である。

丸岡さんはとっさに鈴木飛曹長を抱きかかえて通路に移し、自身が操縦席に。
丸岡さんは偵察員ですが、前々から操縦の研究もしていたのです。

約十五分が経過し、ようやく空戦も終わった。すぐに大久保、西本を呼んで、副操島津飛長の応急手当をさせたが、顎の止血はできなかった。

機位も確認できたので、基地あてに電文を作成し、暗号文にして副電大住二飛曹に送信させた(主電、右手首損傷のため)。
「三中隊三小隊一番機、主操鈴木飛曹長機上戦死、副操島津飛長重傷す。偵察丸岡上飛曹の操縦にて帰投する。基地到着一三二○の予定」


偵察員の丸岡上飛曹でしたが何とか無事に基地に着陸成功。

すぐに、指揮所にさしまわしの救急車が着いたので、重傷の島津飛長と負傷の西本一飛曹、機上戦死の鈴木飛曹長を乗せ、病室へと向かわせた。

指揮所での報告を終えて、丸岡さんは病室へ走りました。重傷の島津飛長が心配だったのです。

「命の心配はないが、すぐの回復はむづかしい」
と、言われた。
病床の彼を見舞ったが、島津飛長は麻酔がきいて眠っていた。西本一飛曹は軽傷で、すでに治療を終えて、宿舎に帰ったあとだった。


丸岡さん手記の、西本さんに関する記載はここまでです。
手記的には「ホッと安心」と言いたいところですが、西本さん、、結局入院して内地に帰されているんですよね。
詳細はわかりません。
治療を終えてすぐに宿舎に帰されるような「軽傷」でひと月半も入院するとは思えないんですよね。
思ったより重傷だったのか、別の病気を併発してしまったのか?


復帰後は教員。
詳細はちょっと・・・・保留という感じでしょうか。


※画像は9期生ご遺族・ご家族、10期久保さんご提供。

乙7期 操縦分隊7班2021年03月05日 23時18分21秒

遅くなってしまいました、予告していた7期の操縦分隊(2学年)、7班の集合写真です。
山口良一さんの遺品です。




前列左から
田坂要さん(広島)
16年5月 海軍病院にて戦病死

佐々木利照さん(広島)

降幡武雄さん(長野)
艦爆

大迫留彦さん(鹿児島)
艦攻
19年8月29日 553空 北太平洋西部海面 索敵任務中墜落、戦死

大迫さん、わたしが文通している大澤昇次さんと戦死時、同じ隊だったようです。
大澤さんの写真の中に北千島で撮られたらしき同僚の方々の写真もあるんですが、大迫さんは写っていないような・・・・。手記にもお名前は出ていないです。

橋田一雄さん(石川)
中攻
15年6月16日 15空 重慶攻撃

斎藤益一さん(神奈川)
艦爆
17年4月5日 瑞鶴 インド洋方面 コロンボ空襲の際地上砲火により被弾自爆




中列左から
西義武さん(熊本)
偵察 中攻
18年2月2日 705空 ソロモン 敵水偵と交戦、行方不明
この日、705空では9期生も2名の戦死者を出しています。
そのうちの一人川原与三郎さんは西さんのペアでした。

西さん、操縦分隊の班写真に写っているし卒アルも操縦分隊員として掲載されています。
が、実施部隊での配置は偵察員。
Kさんにご教示いただいて、飛練に上がって2ヶ月ぐらいの間にどうも偵察に移ったようである、と。事情は不明です。

井方作雄さん(山口)
艦爆
17年8月24日 瑞鶴 ソロモン 敵機動部隊攻撃

森田稔さん(広島)
陸偵
17年2月3日 3空 蘭印方面 行方不明、戦死

千葉力男さん(奈良)

19年7月8日 1航艦司 南洋群島方面


山口良一さん(愛知)
中攻
15年11月25日 高雄空 馬公海軍病院で戦病死



後列左から
外塚四郎治さん(山形)

今城金嘉さん(愛媛)
水上機
戦後生存(『予科練のつばさ』に手記あり)
17年は山陽丸に所属されていて丙2谷川澄男さんの写真に写っていました。


鈴木要さん(静岡)
艦爆
17年10月26日 翔鶴 南太平洋海戦 敵空母攻撃の際行方不明


喜多義雄さん(北海道)
水上機
15年10月5日 大湊空 潜爆訓練中、殉職 


機種や消息を把握していない人もいます。





大迫留彦さんですが、戦死時の同僚だった大澤さんに大迫さんのことを尋ねてみました。
中隊が違っていたためにあまり交流がなかったそうです。
戦死時のことは隊誌から抜粋して送ってきてくださいました。
濃霧による視界不良で占守島南端の断崖に激突して戦死されたのだとか。4~5日後に陸軍守備隊の通報で発見されたそうです。


※画像は7期生ご遺族ご提供。七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社

乙7期 操縦分隊11班2021年01月28日 21時51分08秒

わたしは7期の班構成は把握してないんですが。
知人のMさんに見せていただいた7期の操縦班集合写真に書き込みがあり「十一班」と書いてあったので↑タイトルでそう称しています。


これなんですけどね、。
前列左から4人目は昨日が101回目の誕生日だった西澤さんです!
(本当は昨日アップしたかったけど調べているうちに時間切れに(T_T))


じつはこれと同じ顔ぶれの集合写真がほかに3枚手元にあります。
辻堂演習(13年3月15~18日)
一種で軍帽をかぶっている版(時期不明)
二種で階級章が2空(卒業間際か?)

なので上の集合写真のみなさん、わたしにとっては昔からなじみのみなさんです。
手元の3枚はどれも練習生の氏名は書かれていなかったのですが、山口良一さんの卒アル巻末の個人写真コーナーの写真をもとに照合済みでした。が、推定の域を出ないもの。

今回はしっかり名前入りの軍帽を手に持っている状態なのでご紹介。

前列左から
杉山輝雄さん(山口)
戦闘機
19年2月4日 253空 ラバウル来襲敵機邀撃、自爆

亀田道男さん(鹿児島)
水上機
戦後生存  『予科練のつばさ』に手記あり

釜田重男さん(北海道)
中攻
15年6月10日 13空 重慶 敵機と交戦、被弾。敵地に突入

西澤廣義さん(長野)
戦闘機
19年10月26日 戦闘303 比島 輸送機に便乗中、敵機と交戦

古賀鉄次さん(佐賀)
戦闘機
19年6月16日 戦闘316 グアム 空戦において戦死 

梅田八郎さん(富山(山口?))
艦攻
17年10月26日 飛鷹(隼鷹から発艦) 南太平洋海戦


中列左から
小野弘介さん(山口)
中攻
17年4月8日 4空 ニューギニア方面(行動調書なし)

秀寿さん(佐賀)
戦闘機
18年10月6日 252空 中部太平洋 敵機と交戦、自爆

日下部三郎さん(京都)
中攻
13空 15年6月3日 基地移動の際漢口基地近くに不時着重傷、病院にて死亡

佐々木仁さん(鹿児島)
水上機
16年12月31日 東港空 ハルマヘラ 敵巡洋艦攻撃の際自爆

佐野重作さん(静岡)
中攻
18年5月19日 705空 ガ島飛行場攻撃の際敵機と交戦、自爆


後列左から
広村勤さん(山口)
水上機
17年4月13日 讃岐丸 比島飛行場攻撃

藤本浩志さん(山口)
陸上機の操縦員ではないかと思っているのですが、現時点で機種不明

及川正雄さん(東京)
中攻
17年5月7日 4空 珊瑚海海戦 英米連合艦隊索敵攻撃、自爆

村松利平さん(静岡)
中攻
18年3月28日 755空 南太平洋方面 フナフティ島偵察攻撃 敵機と交戦

杉本諭さん(静岡)
艦攻
17年5月7日 瑞鶴 珊瑚海海戦 敵機動部隊攻撃




たぶん、上の11班写真と同じ時に撮られたと思われる集合写真。
山口良一さんの班です。アルバム台紙には「第ニ学年 第七班」と書かれています。
「この写真、ここで紹介しましたよねー」
って書こうとして念のため過去記事を見返してみたところ・・・・紹介していないっぽい・・・・ouz

近いうち紹介したいと思います。




※画像は7期生ご遺族、Mさんご提供
※七期雄飛会『予科練のつばさ』光人社、戦闘行動調書参照

北海道出身者 7~9期集合写真2021年01月24日 23時36分32秒

いつもお世話になっている知人から「研究の役立ててください」と何枚か写真が送られてきました。
いつもありがとうございます<(_ _)>

研究、というか、予科練生が好きで写真を見ているだけなんですけど(^^;)




見た瞬間、感激しました。
初めて見る9期生が写った写真や、西澤さんが写った写真などなど。
さらにアルバム台紙に持ち主の書き込みあり。戦友たちへの思いのこもった書き込み・・・・。



今日はその中の1枚、北海道出身者7~9期の集合写真を紹介します。

横須賀の予科練庁舎の中庭ですね。
いままでの例から察するにおそらく7期生卒業に際しての記念の集合写真だと思います。
少人数の場合は中庭で、大人数の場合は庁舎の玄関前で。
何人までが「少人数」で何人からが「大人数」なのか、正確な基準は把握していません、ざっくりです。

北海道出身の場合、前に座っているのが7期生と8期生、後ろに立っているのが9期生です。
前列は両端2人が8期生で、中の4人が7期生です。
8期生はお名前がわからないのですが、北海道出身の7期生4人、8期生2人で人数が合うので、お名前のわからない両端のお2人が8期生と判断しました。

前列左から、
8期生

7期喜多義雄さん
操縦 水上機  15年10月5日 大湊空 潜爆訓練中殉職

7期泉澤勝さん
偵察 中攻  マレー沖海戦参加(『予科練のつばさ』に手記あり)
戦後生存

7期釜田重男さん
操縦 中攻  15年6月10日 13空 重慶

7期小川武夫さん
偵察 中攻
戦後生存

8期生


8期生のお2人は、
小山内信夫さん  
操縦 戦闘機  15年9月30日 大村空 殉職 

小山一男さん    
偵察 中攻  18年11月29日 752空 南洋群島 第4次ギルバート諸島沖航空戦の触接任務 

写真のおふたり、どちらが小山内さんでどちらが小山さんかはわかりません。
8期の同期生会誌によると、小山内さんは頭が丈夫で硬かったそうです。
小山さんは、忍術研究の大家であり、鞍馬天狗研究の大家でもあったそうです。


後列、9期生。左から、






↑ご遺族の方からご提供いただいた写真のページにリンクを貼っています


9期生の「初めての写真」って久しぶりだったので、ちょっと目から汗が出てしまいました。
なんかうれしいです。
なんだろうな、懐かしい人に会ったような?


※7期生の戦没状況は『予科練のつばさ』(七期雄飛会 光人社)
※画像はMさんご提供

ご命日2020年10月26日 18時03分35秒

203空戦闘303飛行隊、安部醇大尉と搭乗員集合写真。
もちろん飛行隊の搭乗員全員ではないです。

前に紹介したときにメンバーは書いています。


この写真は9期の松本勝正さんのアルバムに貼ってあった写真です。
西澤さんが持っていたものとまったく同じです。


西澤廣義飛曹長(乙7)

松本勝正上飛曹(乙9)

本多慎吾上飛曹(丙4)

馬場良治飛長(丙14特)





一昨日、松本さんの妹さんからお電話をいただきまして、「犬」の話をしました。



※画像は9期生ご遺族ご提供