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家庭教師は見た!・・・22007年12月19日 09時27分31秒

自慢の腕をふるうNくん
写真の子はNくんです。
中学生・高校と一緒に勉強をしました。いまはもう社会人です。

かれは、高2か高3ぐらいのときに歴史の道に進みたいと希望して、大学もその関係の学部を受験したのですが、残念ながら受からず、浪人しました。浪人中にどう気が変わったのか、料理人になりたくなったようで、結局、調理の専門学校に行きイタリア料理を専攻し、いまはフランス料理店で働いています。

この写真は、専門学校時代に自宅に招待してくれて、イタリアンのミニランチをごちそうしてくれたときのものです。わたしが好き嫌いが多いので、それにあわせて作ってくれていて、とても美味しかったです。

そのかれが高校生の時、夏休みのレポートで戦艦大和をテーマにしたことがありました。かれが決めたテーマですよ、わたしは口出ししていません!
図書館に通って書き上げたらしいのですが、完成したレポートを読ませてもらいました。
「なあ、なあ、ここ『主砲の射程距離は東京-大船間に匹敵する』って書いてあるけどさあ、大船ってどこ?」
「あ? 知らん・・・・」
と、かれの返事。かれも根っからの関西人。
「あんたなあ、主砲の射程距離40㎞、ってのがいかに遠いかをわかりやすく伝えるための例えなんやから、自分が知らんところ書いてどうすんねん。クラスの子にも、先生にも伝わらんのとちがう? 自分の住んでるところから40㎞離れている場所を考えて書きーや」
と、そこだけ口出しした記憶があります。
たぶん、参考にした本をそのまま引用したんでしょうけど。大船がどこかわからんのに、距離感が伝わるわけがないでしょ。
大船なんて、わたしだって知らんわ!

家庭教師は見た!・・・12007年12月16日 14時15分57秒

またまたかわいい赤ちゃん春海のおしり
市役所を辞めてから、春海が2歳になるぐらいまで・・・・いろんなご家庭で家庭教師をさせていただきました。
今日は、ネタがないので(たぶん年賀状作成に追われるでしょう)、家庭教師の話。

学生時代はアルバイトと言えば発掘調査で、学生アルバイトの王道・家庭教師はやりませんでした。
でも、一度だけ、夏休みに田舎に帰省する友だちが、「どうせ帰らずに発掘やろう? わたしの代わりに家庭教師に行って」と言うので、頼まれて行ったことがあります。

山の手の、閑静な住宅地でした。
生徒は何とか女子校とか。花の名前の校名でした。
もう20年前のことで、その子の印象も、ご家庭の印象も、あまり強くは残っていないのですが、ただひとつ、どうしても忘れられないことがあります。
普通、家庭教師のことは何と呼ぶのでしょう。
自分が経験した他の子供たちはみな「先生」と呼んでくれました。いまだにそう呼ぶ子もいてちょっと恥ずかしいのですが。

でも、彼女はわたしのことを「先生」とは呼びませんでした。
「お姉様」
と呼ばれたときは、誰のことだ、と後ろを振り返りそうになりました。
お姉様、ですよ、お姉様。
これが女子校の世界かーーーーー!!!!!
と、卒業した先輩に「女子は恐竜ランド」と言われた大学の女子学生は、羽がついて天に昇っていくような気持ちになったのでした。