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パパが買ってくれました☆2008年02月18日 19時34分35秒

『100万回生きたネコ』
昨日、ママはシノ先生の誕生祝いという名目のランチに出かけていて、お昼はパパと春海と別行動でした(あら、めずらし)。

夕方、帰ってきたら、春海、パパはお昼、回転寿司に行ったらしく、そのついでに絵本を2冊買ってもらっていました。

今日、春海に『100万回生きたネコ』を読んでもらいました。

春海は、
「悲しいお話」
と言っていたのですが、読んでもらったら、あまりのいい話に感動しすぎて、ママ、号泣でした。洗濯取りこんで、そばにたたんで置いてあったひこにゃん手ぬぐいを手に、わーん(>_<)となってしまいました。

あらすじ、書いてもいいですか?
いまから読むぞ、って人は、これ以下は読まないで下さい。

いつも好きでもない人間に飼われていたネコ。
人間の都合でかわいがられ、人間の都合で死んでいきます。
王様にかわいがられ、戦争に巻き込まれて死んだり、漁師にかわいがられ、海に落ちて死んだり・・・・。
ネコはその都度生き返って、次の人生(猫生?)を送るのですが、同じことの繰り返しです。
そして、あるとき、とうとう人に飼われずノラネコになります。
そこで出会った白いネコのことを初めて好きになり、子猫もたくさん産まれ幸せに暮らします。
やがて白いネコは死んでしまいます。その横でワンワン泣き続けてとうとうネコも死んでしまいます。今度こそネコは生き返りませんでした・・・・。

こんなお話です。

「はーちゃん、これは、かわいそうなお話じゃなくて、ネコが幸せになった話だよ」
とママの感想を述べたのですが、春海は「死=悲しい」という思いがあり、それはまだ理解できないようです。

いま、この話のママ解釈を春海に詳細に話して聞かせるよりは、春海自身がこの話がどんなお話か気づくまで黙っておいた方がいいかな、と思い、それ以上は言いませんでした。

『大淀』のカッター2007年10月29日 12時58分06秒

昨日読み終わった神野正美著『空母瑞鶴』にこんな話が載っていました。

エンガノ岬沖海戦のとき、損傷して旗艦としての職務を果たせなくなった空母『瑞鶴』から司令部が軽巡『大淀』にうつされることになります。
うつす、といっても、洋上ですから、小型の船艇(カッター)での移動になります。
『大淀』から『瑞鶴』にいる小澤長官らを迎えに行くカッターを洋上に降ろしたとき、上空直衛中だった艦載機が、下りる空母がなくなって、次々とカッターの近くに不時着水してきたらしいのです(自分たちの収容だと思ったらしい)。
水没しようとしようとしている操縦席から飛び出して泳ぐ搭乗員。カッターの近くまでたどり着いて救助されました。次の搭乗員も泳いでくるので、カッターはそれを待っていたらしいのですが、もともとこのカッターは『瑞鶴』の司令部幹部を迎えに行くためのカッターです。
『大淀』艦上から見ていたU副長(本には実名・・・・)が、「そんなことにかまわないで早く(司令部を)迎えに行け」と怒鳴ったらしいのですが、カッターの艇長であった北浦少尉(海兵73期)には聞こえないらしく、知らん顔をしていたようです。ところが、他かからも急いで迎えに行けと怒鳴られ、結局、搭乗員は一名しか救出できなかったようです。
空襲の合間に一刻を争う状況でカッターを洋上に降ろしたのですから、「早く行け!」と怒鳴る副長の立場もよくわかります。
でも、本当は「聞こえていたのに聞こえないふりをして」搭乗員の救助を続けようとした北浦少尉に感動しました。
不時着水した搭乗員が全員助かっていたらもっと感動していたのですが・・・・。