加賀艦攻隊艦内3分隊 ― 2023年01月13日 14時37分29秒
※毎度毎度申し訳ありませんが、間違いを見つけたので編制表を差し替えました。
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真珠湾攻撃時の加賀艦攻隊の分隊に関してちょっと考えてみました。
ベースはこの総員集合写真なのですが、相変わらず下士官兵搭乗員不明者数名が判明しておらず、中途半端なものになってしまっています。
こういう方面に詳しいYさんによると、加賀の艦内編制は3分隊から成っているとのこと。
図入りで説明してくれました。
いままで北島一良大尉の分隊だけは上の写真と同じときに撮られた集合写真あったおかげで、分隊員が判明していました。
昨年終わり頃に、同じときに撮られた鈴木三守大尉の分隊写真も存在することがわかり(町元善春さんご遺族ご提供)、2分隊分が揃いました。
となると、この2分隊に所属していない人が残りのもう1つの分隊、牧秀雄大尉分隊ではないのか。
Yさんの図には個人名は入っていなかったため、わたしの方で個人名を入れたものを作り直しました。
こんな感じ。
たぶんここまでは間違っていないはず。
分隊員ですが、ほぼわかっているのですが、あと数名、これはどなた?という方や予備員らしき方がいて判然としないので「分隊員」とひとくくりにしてしまっています。
総員集合写真から判断すると、総勢93名で、北島分隊が33名、鈴木分隊が29名写っているので、残り牧分隊は31名ではないかと想像できます。
ただ、問題がありまして。
もしかしたら、加賀艦攻隊に所属しているのに、あの総員集合写真に写っていない人がいるのではないか?
武田友治さんがね・・・・。
お顔がわかっているのにどこに写っているのかわからないんです・・・・。
もしかしたら、何か事情があって写っていないのか?
それとも、霞がかったようになっていてちょっと見にくい最後列の中にいらっしゃるのか?
ここら辺の問題が解決しておらず、いったんひっこめた総員集合写真の記事が再アップできていません。申し訳ないです。
まったく進展していないわけでもなく。
多少の進展はありました。
いままでお顔がわからないと思っていた搭乗員の写真を何年も前から見ていたことに数日前に気づきました(^^;)
わたしのパソコンのフォルダに入っていたんです。戦没者の方のアルバムなんですが、別件で見返していて、その人と同僚のツーショット写真の台紙に加賀艦攻隊の搭乗員のお名前が書かれているのに気づきました。
「あっ!(゚Д゚;)」
ってなりました。
めっちゃはっきりお顔がわかったのですが、「集合写真のこの人????」みたいな、はてながたくさんついている状態です。ちょっと自信がないので保留。
もし、「集合写真のこの人?」が間違っていたら、その人も写っていないことになります。
これらの件、もう少し何か探してみたいです。
話をもとに戻します。
この艦内編制3分隊を基本にして、それをばらし、真珠湾攻撃時の攻撃隊編制(水平爆撃隊3中隊、雷撃隊2中隊)を作っている、ということでした(Yさんご教示)。
分隊集合写真から推定した艦内3分隊を、真珠湾時の編制表に反映させたものが下の表です。
やっぱりこれも問題があって(^^;)
長井泉さんです。
たぶん鈴木分隊集合写真に写っている人が長井さんだと思っているのですが、そうなると、長井さんは牧分隊の植田米太郎1飛曹と武田友治1飛とペアを組んで出撃したことになります。
ふつうのことなんですかね?
植田さんと武田友さんのお顔はわかっています。
おふたりとも北島分隊集合写真にも鈴木分隊集合写真にも写っていません。
となると、牧分隊だと思うんですよね。
以前、蒼龍の艦内2分隊(11分隊、12分隊)について考えたときに、やはり同じようにそれを真珠湾の編制表に反映させたものを作りました→ここ
今回の表と形式が違うので見にくいですが、言いたいことは「ペアは同じ分隊内で組んでいる」ということです。
他の隊――たとえば赤城艦攻隊とか加賀艦爆隊などもそうなのかと聞かれると、そもそもの艦内分隊の顔ぶれがわかっていないので何とも言えないです。
わたしが把握している(と思っている)蒼龍艦攻隊に関しては、同じ分隊内のペアで出撃している、ということ。
もちろん、真珠湾後は戦死や転勤などで入れ替えがあったためか、別の理由かわかりませんが、分隊をまたいだペアが見られます。
長井さん(鈴木分隊)、植田さん(牧分隊)、武田友さん(牧分隊)のペアは不自然なペアではないのかな?
そういうわけで、わたしが「長井泉さん」と思っている人が本当に長井泉さんなのか、編制表的に引っかかっています。
今日、出しましたが、もしかしたら長井さん部分は後から訂正するかもしれません。
※画像は9期生ご遺族ご提供
吉良敢・吉野泰貴『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』大日本絵画
加賀艦攻隊 鈴木三守大尉分隊集合写真 ― 2023年01月05日 11時08分47秒
乙8期の町元善春さんのご遺族の方から、加賀艦攻隊・鈴木三守大尉(兵64)の分隊集合写真を提供していただきました。
各人の装備等から、この写真は16年12月5日(北原收三さん日記による、「7日撮影」という話もあり)、真珠湾に向かう加賀飛行甲板上で撮られた艦攻隊総員集合写真と同じときに撮られたものと判断しました。
加賀艦攻隊総員集合写真
町元さんの写真ですが、まず、呼称に関して説明します。
この写真に写っている一番エラい人はイス列中央の飛行隊長・橋口喬少佐(兵56)です。
次が橋口少佐左隣りの分隊長・鈴木三守大尉。
最初、この写真のことを「橋口分隊集合写真」と呼んでいたのですが、こういうのに詳しいいつものYさんに加賀艦攻隊の構成に関して尋ねてみたところ、橋口少佐は飛行隊長で、その下に3人の分隊長たち(北島一良大尉(兵61)、牧秀雄大尉(兵61)、鈴木三守大尉)がいて、さらに各分隊長の下に分隊士たちがいて、分隊員がいる構成――というのを図入りで説明してくれました。
それが艦内編制で、その艦内編制をばらして編制し直したのが攻撃隊編制になるとのことでした。
(著書の『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』大日本絵画に見やすい説明があります)
そういうわけで、この集合写真は艦内編制の鈴木三守大尉の分隊に、飛行隊長の橋口少佐が加わったものである(橋口隊長は攻撃時は鈴木分隊の分隊員とペアを組んでいるので、ここに加わっているのでしょう)。なので「鈴木分隊集合写真」という名称にしました。
Yさんに説明していただいた艦内分隊に関してもちょっと書きたいことがあるので、もう少し整理してからアップしたいと思っています。
ちなみに加賀艦攻隊艦内3分隊のうち、すでに北島分隊集合写真は書籍などでも紹介されています。
北島分隊集合写真。
これも同じときに撮られたものでしょう。
3分隊中、2枚の分隊写真があるということで、残り牧分隊のメンバーはおおよそ推定できています(まだ不明者がいるので完全ではない)。
鈴木分隊の集合写真、細かく見ていくとたいへん興味深いものが写っています。
カウリング下の機番号。
プロペラで一部隠れていますがどう見ても「56」。
これは鈴木三守大尉・森田常記飛曹長(乙3)・町元善春2飛曹の真珠湾時搭乗機と言われているAⅡ-356号機のようです。
真珠湾で撃墜され、数日後に湾内から引き揚げられたと言われている機体です。
(この時の状況に関しては諸説あるようです)
他の2枚(総員、北島分隊)はちょうどこの部分は搭乗員たちで隠れていて見えません。
なので、同じ機体なのか、違う機体なのか、それは判断できません。
飛行機の塗装の塗りむらなので判断できないか拡大して見てみたのですが、わかりませんでした。
可能性としては、
・各分隊長の搭乗機を背後に配置して記念撮影した
・同じ機体の前で全部の集合写真を撮影した
などが考えられると思うのですが、実際どうなのかわかりませんでした。
この写真からは他にも判明したことがまだあるので、それに関しては後ほど書きたいと考えています。
それと総員集合写真の訂正版、遅れていて申し訳ないです。
また、町元さんご遺族のご厚意で、写っている島田直さんのご遺族に写真を送らせていただいたところ、初めて見る写真だとかでたいへん喜ばれていました。ありがとうございました。
※画像は町元さんご遺族、9期生ご遺族、大澤さんご提供
加賀艦攻隊総員集合写真 いったん非公開 ― 2022年12月09日 22時50分45秒
昨日投稿した加賀艦攻隊総員集合写真の投稿ですが、追加修正事項があるのでいったん非公開にします。
申し訳ありません。
加賀艦攻隊 北島分隊集合写真訂正 ― 2022年12月09日 13時47分37秒
蒼龍艦攻隊12分隊宴会写真 准士官以上 ― 2022年12月04日 15時46分12秒
鹿熊粂吉さんの蒼龍艦攻隊12分隊宴会写真で×印がついていた6名。
金井昇1飛曹(偵35)、花田芳一2飛曹(乙8)、小紙彰正1飛(操50)の3名は間違いなかろう、大谷末吉3飛曹(偵49)もたぶんそうだろう、ということを前回書きました。
その後、知人から情報提供があり、佐藤治尾飛曹長(操18)のお顔がわかりました。
ただ、見せてもらったのはこの写真より10年ぐらい前の佐藤さんです。
拝見したところ、
×がついていたこの方が佐藤さんで矛盾はないのかなあ?という感じです。
この写真よりずいぶんかわいらしい感じなのですが、10年経ったらこうなるのかなと納得は出来ました。
残るは栗田照秋1飛(操50)ですが。
×がついている残りおひとり。
わたしには杉山弘興さん(甲1)に見えるんですよねえ。
しかし、×印6人中5人はやはりウェーク島の戦死者についていたということは、この方が栗田さん????
鹿熊さん、甲飛の先輩(杉山さん)を間違えんやろ、という気持ちもあって困惑しています。
知人が操練50期の初練集合写真を所有していて見せてくれたので、蒼龍宴会写真と同じ人が写っていないか探しているのですが(川島甲治さんと栗田さんが写っているはず)、宴会写真のお顔が集合写真のお顔と風味が違い過ぎて探し出せません。
栗田さんはまだ保留で。
蒼龍艦攻隊12分隊には准士官以上が6名います。
阿部平次郎大尉(兵61)
中嶋巽大尉(兵65)
中村太門飛曹長(乙2)
佐藤治尾飛曹長
大迫加一飛曹長(偵29)
笠原治助飛曹長(乙4)
この中で間違いないだろうと思うのは、
阿部平次郎大尉
加賀時代(13年5月)
中村太門飛曹長
予科練卒アル
で、今回の佐藤飛曹長ですね。
わたしはずっとこの人は「中嶋大尉なのでは?」と思っていたわけですが。
ということは中嶋さんはどこ?
という問題が出てきます。
宴会写真の中で確実に准士官以上だろうという方はこの方です。長髪なので准士官以上と判断しました。
もしかしてこの人が中嶋大尉だろうか?
もとにしている写真が書籍の写真なので、もっとクリアな写真が出てくるまで保留にしておきます。
坊主頭ですがこの人も准士官以上の人ではないかと疑っています。
立ち位置が佐藤飛曹長と阿部大尉の間で、着ているシャツの襟がチョーおしゃれなんですよ。
わたしがスキャンした分ではない高精細の画像があるんで(スイマセン、ブログで使えない💦)、それを拡大してさらに色調調整などした結果、こんな形の襟に見えます。
わたしは紳士服に疎いのでネットで調べてみた結果、これ、ウイングカラーっていうらしいですね。よく見たら、佐藤飛曹長の襟も同じですね。
下士官の人でこんなシャツを着ている人って、わたしは見たことがないです。
ネットで検索したら「シャツの襟」、というより、別付けのカラーをつけた、みたいな記事もあったのですが、わたしは詳しくないのでここには立ち入らないことにします。
残る行方不明准士官以上は中嶋大尉、笠原飛曹長、大迫飛曹長と、3人です。
その中のどなたかだろうと思うのですが・・・・。
上の長髪の人が中嶋大尉だったら、笠原飛曹長か大迫飛曹長なんでしょうね。
ちなみに大迫飛曹長の加賀時代(13年5月)。
ウィングカラーの人は違いますよね。
そういえば、宴会写真に飛曹長の階級章がついた軍服を着ている人が2人写っています。
飛曹長の軍服を着ているおふたり↓。
ふたりともコスプレ(中の人は下士官か兵?)なのか、どちらか一人が准士官以上なのか?
そういえばそういえば大尉の軍服を着ている人もいるんですよ。
この人、中の人はたぶん渡辺勇三2飛曹(甲3)です。
卒アル写真を入手することができました。
着ている軍服は阿部大尉か中嶋大尉が脱いで置いておいたものを拝借したんでしょうね(笑)
この軍服にはカラーがついていないように見えます。
よく見たら、阿部大尉もシャツの襟が変わった形しています。襟ナシの白シャツに別付けのカラーがついているように見えます(とれかけている?)。
准士官以上全員ではないにしても、上着の詰襟の内側にカラーをつけるのではなく、シャツ側にカラーをつけるってことなんでしょうか。
紳士服とか軍装に詳しくないので、頓珍漢なことを言っていたらスイマセン💦
下士官の人たちは上着の詰襟の内側にカラーをつけるんだと思います。
いまの学生みたいな感じ。
とりあえず准士官以上は着ている白シャツでもある程度「この人、准士官以上では?」と推定していいのではないかと。
あとは本人とわかるお写真があれば(^^;) ←そこが一番問題
※画像は9期生ご遺族、鹿熊さんご遺族、浅川さんご家族、Sさんご提供、Mさんご教示