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偵27 藤波貫二さんの写真 大日本軍艦長門2023年07月17日 13時36分36秒

今回送っていただいた写真の中にこんな写真がありました。

どこかの艦上?


藤波さんをよく見たら、ペンネントに「大日本軍艦長門」!

藤波さんが袖につけているのは、
階級章。

特技章。

島田清守さん(9期)のところにあった海軍々人官職区別章及各章之図より





先日、Kさんから貴重情報をいただいたのですが、何かというと藤波さんの偵練時・偵練前のことがわかる資料。※偵練27期は昭和9年にやっているそうです

藤波さん、偵練卒業時の成績が全体の3番目、成績優秀でした。偵察員としての技量だけでなく人物評価も含めた成績で好成績でした。

さらにその資料には偵練に入る前のことも書かれていて、偵練直前は「長門」にいたそうです。
偵練時の階級は「一等機関兵」。※卒業して「一等航空兵」になったものと思われます

この写真の藤波さんは階級章は2等機関兵、善行章ナシ。

善行章は入団(隊)年がわかっていれば、何線つけているかで写真の撮影期間が絞れたりします。
これ、下士官・兵は海軍にお勤めして3年に1線付与されるものです(何もやらかさなければ)。


藤波さんの善行章に関してですが。
先日ここに出した藤波さんの家族写真。お孫さんによると昭和16年撮影とのことでした。
藤波さん、善行章を2線つけているんですよね。

善行章に関してはもひとつヒントがあって。
以前に、長井分隊長が所持していた蒼龍11分隊の名簿(昭和16年11月1日付)があるって話をここに書いているんですが、その名簿、下士官のお名前の下に善行章の数が併記されていて、藤波さんは山形が3本書かれています(ちなみに11分隊下士官兵で善行章3線は藤波さんだけ)。

藤波さん、16年になって、11月までの間に2線から3線に増えたってことです。

金井昇さんの16年の日記を読んだって話も書きましたかね?
藤波さんと金井さんはともに蒼龍艦攻隊水平爆撃隊の嚮導機偵察員で金井さんの行動(私的除く)はつまり藤波さんの行動とかぶっているだろうと思って読みかえしています。
上の家族写真もおおよそいつ撮影されたものか推定はできそう。金井さんが公務で関東近郊にいる時期とか(藤波さんは東京出身)、内地にいない時期などから。

それらのことからさらに推定すると、藤波さんは昭和7年に海軍に入ったのではないか。
成績優秀、人物評価も高い藤波さんが何かやらかして善行章付与に影響が出ていることは考えにくいので、順調にもらっていると仮定して逆算すると、3線目16年なら、2線目は13年、1線目は10年ってことかな。

長門写真は「善行章がない」&「2等機関兵」などから推定して昭和8年か9年の初めごろの撮影なんじゃないかなと思っています。
※入団年に関してはこれを書いた後でKさんに確認したところやはり「昭和7年」とのことでした。





この写真もYさんに見てもらったのですが、「後ろの短艇に『トガナ』って書いてある」とのご指摘が!
ホントだ!(・∀・)

なので撮影場所もほぼ長門で間違いないのでしょう。
後ろの大きな筒は主砲か。



※画像は藤波さんご遺族、島田清守さんご遺族ご提供
金井さん日記・長井さん名簿はOさん(『真珠湾攻撃隊 隊員と家族の80年』)ご提供

多摩の斉藤さん2023年07月17日 09時44分18秒

※202307171438追加修正あります→赤字

昨日、偵27藤波貫二さんと一緒に写真に写っているということでここで取り上げた「多摩の斉藤さん」ですが。

昨日、わたしは「知らんけど」と書いちゃいましたが、「多摩の斉藤さん」を知っている人がいました!!



Kさんがブログをご覧になられたようで、
「操練25期の斎藤(斉藤)義兵衛さん」
と。




斉藤か斎藤かはわかりません。本人でも省略して書く人がいますので。
飛行靴には「斉藤」と書いてあるように見えるんですが・・・・。戸籍は「斎藤」だったかも。それはもうわたしには確認できないので。

昭和12年後半~13年前半ごろ藤波さんと一緒に多摩勤務だったようです。
多摩の水偵は1機のみらしく、ペアで飛んだこともあったかもとのこと。
このころの多摩の航泊日誌というのがアジ歴に公開されているのでいくつかざっと見てみました。水偵がどんな任務を行っていたのかは書かれていますが、搭乗員の名前は出てこないので、搭乗員が何人いたのか、どんなペアで飛んだかなどはわかりませんでした。

同年兵ではないようですが、入団1年違いの藤波さんの後輩のようです。
※入団時期は1年も違わないそうで、斉藤さんが約半年遅いだけだそうです。

誕生日も約半年違いで、同年代みたいです(藤波さんの方が早い)。



18年12月15日  938空  ブーゲンビル島南方索敵攻撃(ブカ発進) 未帰還





※画像は藤波さんご遺族ご提供

偵27 藤波貫二さんの写真 タマ2023年07月15日 23時02分05秒

藤波さんのお孫さんが、親戚宅に写真が残っていたと送ってきてくださいました。


たいへん興味深い写真ばかりで。



今日はこの2枚を紹介させていただきます。


飛行服姿の藤波さん(左)。
一緒に写っているのは同僚でしょうか。
艦上に見えます。
装備品に詳しいHちゃんに見ていただいたところ、右の人が上半身に掛けているベルト類は拳銃を携帯するためのベルトだそうです。左わきの下あたりにポシェットみたいなものが見えるのですが、拳銃を入れる拳銃嚢(ホルスター)だそうです。紐の先に拳銃がついているそうです。

同じ紐は藤波さんの左腕の辺りにも見えていて、Hさんは「紐を肩から外して隠しているのかな?」という感想でした。




で、これがいつ、どこで撮られたものか、なのですが。
わたしは艦はさっぱりなので見ても何もわかりません。
が、搭乗員は穴が空くぐらいジロジロ見ますよ(笑)

見つけました!!

どこかわかるヒントを!!

右の同僚さんの飛行靴、左足の内側。
「タ■   斉(齊?)藤」


飛行靴、右足の内側。
「マ  斉(齊?)藤」


タマの斉藤?

多摩の斉藤さんだ!!

知らんけど(^^;)

スイマセン、多摩の斉藤さん、存じ上げません。

が、どうやら軽巡洋艦 多摩の飛行機隊らしい。



藤波さんが手に持っている飛行手袋にも何か文字が書いてあるのですが、何が書いてあるのか、判読不能です。



同じ人(多摩の斉藤さん)とのツーショットがもう1枚ありました。
左・斉藤さん、右・藤波さん。

階級章とか善行章とか全然見えないんですよねー。
見えれば時期のヒントになるんですが。


ただ、右側に写っているエンジンはいつものYさんに見ていただいたところ、90水偵か95水偵のものでは?みたいな感じでした。

この写真は多摩の艦上だとすると、後部のシェルター甲板かなあ?みたいなご意見。




ふたりの関係性ですが。

斉藤さん、飛行服を着たり、飛行眼鏡を装着されているのでたぶん搭乗員の方でしょう。
もしかしたら藤波さんのペアの操縦員の方かな?
あるいは同年兵ぐらいで仲良しだったのかな?
などなど想像してみたり。
多摩時代らしき写真はこの2枚だけで、2枚とも同じ人と写っているので何かしら強い関係性があったのだと思います。








あーーーー!

ここまで書いて、いま気づきました。

2枚目の写真、おふたりに重なるようにお名前が書いてあります!!
右は「藤波」、左には「斉藤」と書かれてあるように見えます。

色調調整してみました。

やっぱり斉藤さんだそうです。

ブログ書きながら気づくとかね(^^;)

BⅠ-312号機 修正2023年07月15日 10時28分27秒

昨日出した藤波貫二1飛曹搭乗機(真珠湾攻撃時の蒼龍水平爆撃隊第2中隊嚮導機)のBⅠ-312号機ですが、じつはあまりうまくいっていませんでした。


尾翼機番号、どうしてもBの中に迷彩をつけれなかったんです。

こんな感じで。

先にベース色を塗ってその上に迷彩、さらにその上に帯や機番号が塗ってるのですが、Bの部分は下から白縁、赤いB、中の白縁(上の図では白縁出すの忘れていた!)、最後に白縁の中のベース色が塗ってあります。

本当はBの中を迷彩が見えるように刳り抜きたかったんですが刳り抜き方がわかりませんでしたorz


昨日、この図をやや自慢げにいつものYさんに「こんなん作りました」って送りつけて、Bの中に迷彩の地を出すことができないってぼやいたら、ちゃんとやり方を教えてくださいました!!!

「複合パス」

なんや、それ?

と思ったのですが、パソコンがあるので自分で調べてみました。

刳り抜きできる機能!!

スゲー!!


やってみたらでけました!!(*´▽`*)
これこれ、こんなふうにしたかったんですよ!!


とりあえず佐藤機(金井機)と同じバージョンのだけ修正しました。
全バージョン修正して、昨日の投稿分も差し替え予定です。




Yさん、飛行機や部隊のことだけでなく、イラレの使い方まで教えてくれる!!(*´▽`*)わーい
Yさん、ありがとう!!(*´▽`*)わーい

BⅠ-312号機 もう1機の蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機2023年07月14日 23時31分00秒

蒼龍艦攻隊水平爆撃隊嚮導機の金井昇1飛曹の真珠湾攻撃時の愛機はBⅠ-318号機と言われています。

ウェーク島攻撃時の写真が残っているとかで、よく図化されているものを見かけます。
プラモデルにもなっています。

(この写真の金井機は爆弾を吊っていないようにありますが、ウェーキ島攻撃時は爆弾を落とす前に敵機からの攻撃を受けているので、この写真はどういうことかな???? それ以前の哨戒時の撮影だろうか?)


ちなみに、わたしもずいぶん前に350分の1赤城艦載機のうちの1機を金井機にしてストラップを作ったことがありました。


先日、蒼龍艦攻隊水平爆撃隊のもう一人の嚮導機偵察員である藤波貫二1飛曹のお孫さんと金井機の話になって、
(そういえば、藤波さんの愛機の機番号はわかっているのかな?)
と疑問が沸き、藤波機操縦員の乙5期・大多和達也さんの手記『予科練一代』(光人社NF文庫)を見返してみました。

ありました!!

真珠湾攻撃出撃時の話に、
『私が愛機(BⅠ-312号)に駆け寄ると、機付きの江口二整曹が・・・・』
というくだりが。


おお、これこれ(^o^)


で、最近どはまりしているイラストレーターで藤波機を再現してみようと思い立ちました。

まず見たのは『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』(吉良敢/吉野泰貴)大日本絵画。
巻頭カラーページに真珠湾参加機の塗装図が出ているんです。塗装図は西川幸伸さんという方が描かれたみたいです。

佐藤機(金井昇1飛曹搭乗機のことですが、これ以降は機長の佐藤治尾飛曹長(操縦)のお名前をとって「佐藤機」という名称にします)は胴体後部に白縁のある青ラインを巻き、垂直尾翼には白縁のある赤い機番号が入っています。
こんな感じですね。
ホントは大きい絵は見せたくないんですが(笑)

ちなみに蒼龍は2航戦の「B」に1番艦の「Ⅰ」、ハイフンの後に3から始まる3ケタの数字が入っています。佐藤機は「BⅠ-318」です。

同じ本に、長井彊大尉機(長井大尉(操)、谷口惣一郎飛曹長(偵)、太田五郎1飛曹(電))の塗装も載っていました。雷撃隊隊長。
こんな感じで、胴体後部の帯にも機番号にも白縁はありません。
機番号の下の青い2本線は分隊長のしるしだそうです。
機番号はBⅠ-311で再現されています。実機写真があったようなことは書かれていなかったので、どなたかの証言でもあったのか、作者が推測して描いたのか、それはわたしにはわかりません。



ちょっと古いんですが、1992年発行の文林堂の『世界の傑作機 97艦上攻撃機』には佐藤機と山本貞雄中尉機(新谷潔1飛曹(操)、山本中尉(偵)、鈴木四郎3飛曹(電))の塗装図がありました。
こちらの考証協力は押尾一彦さん、作図野原茂さん。
佐藤機は『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』版と違い、機番号に白縁がありません。
しかし、一番上に出した画像(アレはトレースですが)が本当にウェーク島攻撃時の佐藤機であれば、尾翼の機番号は白っぽく見えるので白縁があった説の方が説得力があります。
たぶんベタ塗りの赤だったらあんな風に白く浮かんだように見えないと思うんですよね。
もしかしたら赤ではなく、もっと明るい色でベタ塗りしていたのかとも思えますが・・・・。


山本中尉機
山本さんは水平爆撃隊の第2中隊の中隊長です。
再現は「BⅠ-320」号機。
この人の2番機、この中隊の嚮導機が藤波機です。
本が違うので何とも言えませんが、中隊長機には機番号の下に青い線が1本入るってことなんでしょうね。



さて。
胴体後部の青ラインに白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?
垂直尾翼の機番号に白縁があったりなかったりするのはどうしてなのか?

真珠湾攻撃時の他の艦の97艦攻の機番号写真も見たんですが、はっきり白縁だとわかる写真はないんですよね。
どちらかというと黄色っぽいベタ塗り?って感じの白っぽい機番号はありました。飛龍のBⅡ-307号機。けっこう機番号がはっきり見えているんですが白縁にも見えないし、赤のようにも見えないし。赤だとしたらずいぶん明るい赤なんじゃないか。白黒写真なので何とも言えないんですが。

『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』の塗装図の解説には佐藤機のBⅠ-318号機は尾翼の写真が残っていて「白フチ付の文字で描かれている」とはっきり書かれているので、まあ、佐藤機はそうなんだろうな、と思います。

もし、佐藤機だけ白フチ付だったとしたら、どういう違いがあるのか?
考えてみたのですが、
・12分隊の機番号は赤に白縁付き(佐藤機は12分隊)。11分隊は赤ベタ(長井機、山本機は11分隊)。
・嚮導機は赤に白縁付き(佐藤機)。嚮導機以外は赤ベタ(山本中尉機)。雷撃隊も赤ベタ(長井大尉機)。
これぐらいしか思いつきません。


青い帯に白縁があるとかないとかも実際そうなのか、そうだとしたらどういう違いがあるのか考えないといけないのですが、わたしが見た中では明らかに胴体後部の帯に白縁がついているのは赤城の淵田機(印度洋作戦時)だけで、他にはなかったんですよね。一番上の佐藤機と言われているBⅠ-318号機の写真もよく見ても白縁があるのかないのかわからないです。



結局、いろいろ考えてみたのだけれど実機写真がない以上どれも想像でしかなく、とにかく大多和さんが愛機と言われているBⅠ-312号機をいろんなバージョンで作ってみました。
(風防枠の迷彩はわたしには至難の業だったのでベタ塗りにしました)


※2307151107尾翼機番号の作り直しをしたので(Bの中の迷彩が出るようにした)、ここ以下、図を差し替えました。


青帯も機番号も白縁付き。





青帯も機番号も白縁なし。





青帯だけ白縁付き。





機番号だけ白縁付き。





このうちのどれかなんじゃないかな?(^^;)

ちょーいいかげんな結論でスイマセン。