宇佐に行ってきました5 戦争遺跡 ― 2024年11月28日 12時51分18秒
長く書いていませんでした。
4までは宇佐市の平和ミュージアム担当者の方と知人の戦史研究家・織田祐輔さんが案内してくださいました。
おっと!
そういえば織田さんの著書『米軍カラーフィルムが捉えた日本軍の艦船・航空機・軍事施設』が12月に発売されるようです。
頼まれてもいないのに勝手に宣伝しておきます。
前回4は城井の掩体壕で終わっていました。
そこで平和ミュージアム担当者の方と織田さんとはお別れしました。
「ありがとうございましたー(T_T)/~~~」
搭乗員さんのお孫さん姉妹とお昼ごはんに。
わたしの好き嫌いのせいであちこちさまよっていただく羽目に。
大変申し訳ありませんでした<(_ _)>
これは食べられる!!
ネギ焼き(*´▽`*)
ごちそうになってしまいました。
ありがとうございます。
めっちゃおしかったです。
わたしは、姉妹さんたちが織田さんに案内してもらうツアーに便乗――のつもりで宇佐にやってきたのですが、姉妹さんたち、
「ママさんが行きたいところに行きますよ!」
と言ってくださって、あちこち車でまわってくださいました。
住宅が散在するのどかな田園地帯にぽつぽつと戦跡が残っています。
で、まわった戦争遺跡はほぼ駐車場完備・あるいは公的駐車場から歩いて行ける範囲という充実ぶりでした。
案内板も、わかりやすくてきれいな立派なものが。
いや、ホント、最近、近代とか現代の産業遺跡や戦争遺跡なども重要視されつつあります。
宇佐の取り組みは本当に素晴らしいと思いました。
今回わたしは織田さんや姉妹さんの車に乗せてもらったからまわれましたが、あとは公共交通機関利用のおひとりさまがいかにまわるかを考えていただくと文句なしと思います(わたしは最初いつものようにレンタサイクルを使おうとしたけど利用時間や貸し出し場所が合わなかった)。
耐弾式コンクリート造建物やタンク跡
柵の間から中を覗いてみました。
80余年ほど前の建物ですが、何に使っていたのかはっきりとわからないみたいですね。
宇佐市のサイトでは「受信所と考えられている」って書かれています。
このU字の部分にタンクを置いたってことですかね。
見学を終えて次の戦跡へ。
ここは宇佐空の郷に車をとめて歩いて行ったんだったか。すぐです。
こんな案内標識もあります。雷装の九七艦攻。
ふつうの住宅地に、ふつうの住宅のようにあらわれる戦跡。
落下傘整備所
80年を経ても機銃痕が生々しいです。
ここは車で移動。 歩いてもいい距離ですが(^_^;)
発動機試運転場
周りにふつうに家がありますが、当時はここ、航空隊内ですからね💦
あの人たちが飛行服、飛行靴で行き来していたかもと思うと感慨深いです。
休憩用のベンチもあります!
なんと! 海軍機の主翼デザインベンチ!
九七艦攻だよな!
隊の戦跡はこれが最後。
爆弾池。
横に展望デッキがあり爆弾池が見下ろせ、航空隊周辺が見渡せます。
のどかです。
戦跡見学を終えて、姉妹さんたちのおじいさん(戦死された搭乗員)のゆかりの地に向かいました。
駅館川です。
姉妹さんたちのお父さんが子どものころ、父親に釣りに連れて行ってもらった思い出があるそう。
わたしは9期生の「おもいで」に出てくる駅館川が小川のイメージだったので意外と大河で驚きました。
あ、写真の場所は河口近くなんですけどね。
ただ何となく「駅館川に行こう」ってここに来たんじゃなく、ここにも戦争遺跡というか、海軍の関連遺構があったのでやってきたわけです。
海軍桟橋。
ちょっとわかりにくい場所で、他県から来られた姉妹さんたちもカーナビを見ながら「あっちじゃない?」「こっちじゃない?」と迷いながらようやく到着。
しかも道が狭かった(;´・ω・)
車を端に寄せて、お姉さんとわたしが降りて写真を撮っていたら、タイミング悪く車が来ちゃって💦
わー💦
となっていたら、なんと!
ホントに「なんと!」なんですよ。
その車、織田さん(仕事中)だったんですよ(;゚Д゚)
「なんでっ!?」
ってなりました。
偶然ですよ。
仕事で巡回中の織田さんがたまたま通りかかったという。
なんの連絡も取っていませんよ。掩体壕で別れたきり。
そこでもまたごあいさつして、
「さようなら~(T_T)/~~~」
同乗していた同僚の方はさぞかしびっくりされたことでしょう。
つづく。