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軍艦利根の人たち2024年11月21日 00時08分38秒

今日、11月21日は利根の誕生日(進水式)らしいですね。
1937年なので、87回目の誕生日ですか。


といっても、わたしは艦船のことはわからないので、艦の話ではありません。

軍艦利根の機関科下士官だった富山県出身の樋爪正雄さんのご遺族の方から遺品の写真を見せていただく機会がありました。

紹介したいしたいと思いながらいまになってしまいました。

紹介と言っても、9期生のようにはいきませんが、わかる範囲でこんな写真がありました、ということだけでも書きたいと思います。





樋爪さんの経歴など個人的なことは次回にまわしたいと思います。
今日は、利根関連の写真を。
樋爪正雄さん。
ペンネントは大日本軍艦利根。
2等機関兵。
海軍工機学校を出て、左袖には普通科電機術章の特技章をつけています。

ご遺族の方によると、樋爪さんは利根一筋だったようなので、これ以降の写真はすべて利根と思われます。




「大東亜戦争母港第一次凱旋記念」。
布哇攻撃から帰ってきたときのものでしょうね。
「母港」は呉ですか。
利根の人たちなんでしょうけど、どんな集団かよくわかりません。
おねーさん以外は全員兵階級の人たちです。階級章を見るといろんな科の人がいます。見えている袖から判断すると善行章1線の1等兵の人たちばかりなので、もしかしたら同年兵の宴会かもです。
テーブルの下に軍帽がひっくり返っているんですが、見えている範囲から推測するに「大日本帝国海軍」のペンネントのようです。




利根の根拠はありません。樋爪さんが写っているので利根かなと。
艦上でしょうかね?
写っている人たちの階級章から、同じ機関科の人たちのようです。兵から士官までいます。分隊写真でしょうか。



これも利根の根拠はありませんが、樋爪さんがいます。
上の写真との前後関係もわかりません。前後関係はわかりませんが、上の写真の先任者らしき人(中尉さんみたい)、下の柔道写真にも写っています。

この人の階級章がもう少しはっきり見えたら・・・・。少尉のようにも見えるので、少尉だったらこちらが時間的には先なんでしょうね。
兵曹長の人ももしかしたら同じ人が写っているかもです(ちょっと自信ないですが)。

これも艦内なんでしょうかね?





これは利根のようです。
Yさんに見てもらったら、
「利根の飛行機運搬軌条を上から見下ろしているのは、これちょっとめずらしいですよ」とのこと。
「後ろに零式水偵を配置している」とも。

わたしは何もわからないのでまた印象で語ってしまいますが、後ろの景色がトラックっぽいですよね。
いや、わかりませんよ。内地かもしれないですが。
ちゃんと検証しろ、って話です💦

この写真の人たちは丸型の古い階級章(冒頭の樋爪さん写真参照)をつけています。
ペンネントは判読不能です。
下士官の人たちの帽章も古いタイプのように見えます。
17年11月より前の可能性大。

この写真の配置、おもしろいですよ。
一番手前、広範囲に兵の人たちが座り込んでいます。
その後方におそらくイスでしょう、たぶん艦の幹部の士官たち。
その後ろにまた兵の人たちがちょっといて、さらにその後ろの傾斜がきついところ(飛行機の上込み)に下士官の人たちがいます。
下士官の人たちは一人一人のお顔は重ならずに写れそうですが、遠すぎてまったくお顔がわかりません。たぶん本人が「これ、おれ」って言わないとわからないレベル(^_^;)





この写真はちょっとおもしろい写真。
ペンネントと階級章に注目してしまいました。

どなたか不明ですが、最前列の兵の方。
ペンネントは「大日本軍艦利根」で、階級章は新しい盾形の階級章なんですよ。
この階級章は17年11月以降に使われ始めたと理解しているので、それ以降の撮影でしょう。
「大日本軍艦利根」のように、艦名や航空隊名が書かれたペンネントはわたしは16年6月に「大日本帝国海軍」に統一されたものと思っていました。
17年11月以降にもまだ利根は使っていたのですね。

写真館で撮られた樋爪さんの個人写真で、善行章から16年以降のものではないかと思われるものがあったのですが、それでは「大日本帝国海軍」のペンネントをつけています。
利根では「大日本帝国海軍」と「大日本軍艦利根」のペンネントを使い分けていたのでしょうか。たとえば上陸するときは前者、艦内では後者、とか。まったくの想像で言っていますが、この写真を見てちょっとそんなことを考えました。

あ、下士官の帽章は古いタイプです。
これは航空隊にもたまにいます。17年11月以降も使い続けている人が。
同じように丸型の階級章を使い続けている人もいます。なんならそれヒトからもらったでしょうっていう丸型階級章をつけている人もいます(^_^;)





この写真はまったく詳細不明です。
ただ写っているフロートは、Yさん曰く「九四水偵」と。
これだけしか写っていないのにわかるのかー。

そういえばわたしも九四水偵の写真を持っていたんだった。
霧島の飛行機隊。
搭乗員の右にあるのが九四水偵だってYさんが言われていました。
なるほど。


九四水偵はいいとして。
この写真、利根のものなのか、他艦のものなのかまったくわかりません。
樋爪さんはずっと利根だったようですが、もしかしたら海兵団や工機学校の同期生などからもらった写真ってこともありえますからね。
ただ、「利根じゃない」とも言い切れいないので、ここに出しておきました。
「利根の可能性がある」ぐらいの感じです。





ペンネントは大日本軍艦利根。
2等機関兵。特技章は普通科電機術章。
お名前は不明。樋爪さんの同僚の方なのでしょう。

上の人と同じ人ですかね?
ペンネントは大日本軍艦利根。
特技章も上の方と同じです。階級章がちょっと見えにくいですが、機関科の人でしょうね。1等兵なのか2等兵なのか微妙な感じで見えません。

左下の刻印は「BEPPU S.KIMURA. 別府 木村」です。
いまも別府で営業されている写真館です。
この刻印のスタンプ台は現存しているそうです。
「S」は当時のご主人・木村栄さんのSだそうです。

樋爪さんも同じ写真館で撮った写真がありました。上でちょっと触れた「大日本帝国海軍」のペンネントをつけている写真館写真、それが木村写真館撮影の写真です。
それはまた今度。



樋爪さん個人に関してはあらためて別に書きたいと思います。






※画像はご遺族ご提供 木村写真館さんご教示

軍艦利根の人たち22024年11月21日 10時55分12秒

前回、用意していたのに出すのを忘れていました。


この方も利根の人のようです。
ペンネントは大日本軍艦利根。
階級章や特技章は見えません。もしかしたら特技章はないかも。

誇らしげな感じです。



賞をもらった記念の写真のようです。

賞状
海軍●等水兵 ●●●●
右昭和十五年軍艦利根乗組中機銃員の職に在りて操法検定に参与し優等の成績を得たり仍て茲に賞状を授与す
昭和十五年十月三十一日
第二艦隊司令長官古賀峯一

※原文は旧漢字・カタカナ

階級と氏名は判読不能です。
氏名の最初の文字は「角」のような気もします。
もしかしたら2文字目は「崎」かなあ?
ちょっと検索してみたら、角崎さんは富山にも多い姓みたいなので、「利根の角崎さん」は大いにありえそう。樋爪さんの同郷というご縁でこの写真を持ってらしたのかも、という気もします。
わかりません、想像です。





ちなみに昭和14年末~15年ごろの第2艦隊司令部。
前列中央の人が古賀峯一さんです。




※画像は樋爪さんご遺族ご提供(第2艦隊司令部写真はわたし)