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大人の遠足 春編22023年03月26日 12時46分31秒

金曜(24日)に行って来た自転車旅。
大人の遠足 春編1」の続きです。
田原本駅→唐古・鍵遺跡→東大寺山古墳→赤土山古墳→天理教本部

と見て来て、お昼ごはんを食べるところを探しました。

先週、パパと車で萱生(かよう)古墳群を見に来たときに、天理環状線を走りながらパパが道路脇の看板を指して、
「カフェがあるらしいで」
と教えてくれたのですが、道沿いに店が見当たらず、
「どこにあったんやろ?」
と不思議に思っていたカフェがありました。
ネットで調べてみたら、看板の場所から細い道を入っていったところだとわかったので、自転車で行ってみました。カフェサマナラガーデン。

軽自動車でもスレ違いできないような細い道を入っていったところで、東側にはのどかな山の辺の道の光景が広がっていました。晴れていたらよかったんですけどー(^^;)

外観を撮って来るのを忘れましたが、めっちゃ雰囲気の良いカフェ。
わたしが行ったときはすでにランチが売り切れていました。


マルゲリータの単品。
めっちゃおいしかったです。
一人で食べられるかな?
という量だったのですが意外と軽くてペロッと食べちゃいました♪

わたしが食事をした場所は、気候が良いときは窓を取っ払ってオープンなスペースになるそうですよ。



サマナラガーデンの近くに小さな神社があったのでお参りしてきました。
夜都岐神社(やとぎじんじゃ)。


拝殿の屋根が萱葺でした。





さて、ランチの次は。
場所を変えてソフトクリーム(^^;)
ちょっと引き返して、なら歴史芸術文化村にやってきました。
まるかつ(とんかつ屋さん)でソフトクリームを買って、二上山が見えるテラスで。
天気が悪いね~(^^;)


何しに来たかというと、文化財修復棟で開催している山の辺の道展を見に来ました。
無料ですよ、無料(^o^)
みなさん、ぜひ。


櫛山古墳の柵形埴輪。

昨日ブログに出した赤土山古墳の出土品にもこれに似た意匠がありました。

囲形埴輪(復元)。

入口の上の部分。

古墳時代の導水施設の埴輪にこの形が取り付けられています。
先日、富雄丸山古墳で見つかった埴輪が「遺体を洗浄した施設(殯所)の埴輪か?」みたいな記事が出ていましたが、アレも囲形埴輪ですよね。用途は知らんけど(^^;) ぎざぎざの部分のことは触れられていなかったけど、あったんじゃないのー?なんて思いながら記事を見ていたんですが。

あの、ぎざぎざ、古墳祭式(というかふだんの祭祀空間?)においては何か意味のある重要なものだったのかなあ? 結界的な。
数年前に桜井茶臼山古墳の主体部を囲むように丸太垣の痕跡があったような記事が出ていましたが、櫛山古墳の柵形埴輪はこれを埴輪化したものかも。
※個人の感想です



他にも山の辺の道の古墳の出土品(レプリカ含む)が展示されていて大変興味深かったです。


これなんかもすごいですよ(レプリカ)。

古墳に埋葬されている人の頭の下に置かれるものです。
出土場所が「伝渋谷」。
渋谷向山古墳(伝景行天皇陵)があるところです。
もしかして・・・・。大王の石枕だったのかも? ロマンがありますねえ。
いやいや、これがもし渋谷向山から出土していたらあそこは盗掘されているということですから喜んでいる場合ではないですorz

あ、ひとつ書き忘れていることがありました。
先日、奈良県前方後円墳墳長ランキングの表を出したのですが、渋谷向山の読みを間違っていました。わたし、「しぶたにむこうやま」と思い込んでいたのですが、上の石枕の説明板にも『前方後円墳集成 近畿編』にも寺澤薫さんの著書にも「しぶたにむかいやま」ってルビが振ってありました。早く訂正せねばと思いつつ、まだできていません。「しぶたにむかいやま」だそうです<(_ _)>



考古の展示だけでなく、神社やお寺関係のものも展示されていました。

複製らしいですが、近くでじっくり見れるのでよいです。
詳細に見ると、コワいですよ~( ;∀;)



なら歴史芸術文化村の横に幾坂池という池があって、そのほとりに大きな桜の木があります。去年施設オープン時に来たときはたしかまだ蕾だったんですよね。
今回は、手前の桜はすでに散っていて、奥の桜がよい具合に咲いていました。
(写真は奥の桜)

幾坂池の桜と二上山。
素晴らしい眺めです。





ではふたたび古墳めぐりへ。
なら歴史芸術文化村から少し南に下ったところにある西乗鞍古墳。
冒頭の地図には書いていません。
今回は前期古墳に全力集中だったので?、ここは道路から見るだけで通り過ぎました。

近くに公営駐車場があったので、今度パパに連れてきてもらってゆっくり見学しまーす。




自転車でさらに南下していくと、多少のアップダウンがあり、一番高い所にドーンとありました。ヒエ塚古墳。
この横の天理環状線はよく通るのですが、いままでこれが古墳だと気づいていませんでした。
先日、パパと来て、
「あれ、古墳やろ!」
となったのですが、道が狭そう&車止められなさそうだったのでスルーしました。

近寄って行ったら、前方部と後円部の間に細い道が!?(;゚Д゚)

箸墓もいまは樹木に覆われていてぱっと見わかりませんが、赤色立体地図や墳丘測量図を見ると前方部と後円部の間に斜めに道が突っ切っていますよね(^^;)
迂回すりゃいいものを、昔の人は古墳の中を通りたがりだったんでしょうかね。


ヒエ塚の道路を挟んだ西側に設置されている案内板。


これがノムギ古墳の高まりなのかな?


ここら辺は萱生(かよう)古墳群と言って(大和古墳群の支群になるのかな?)、古めの前期古墳が集中しています。
車では来づらいという難点もありますが(とめる場所がない)、樹木も少なく墳丘の様子はよくわかるので(後世の改変あり)、なかなかおもしろいです。
ただ、周辺が果樹園というか農地みたいな感じなので、私有地かもしれません。案内看板までは入っても大丈夫だと思いますが、見学するときは注意が必要。


鉄塔の向こう、マバカ古墳。

ここも前方部と後円部の間を道が走っています(^^;)




マバカ古墳の横の細い道を山の方に上がっていくと、道の北側に墳丘らしき高まりが。
もしや波多子塚古墳では?と思い案内板を探したら、墳丘の東側の駐車場みたいなところにありました。


めっちゃ古い前方後方墳です。特殊器台形埴輪が出土しています。

案内板のところから見た波多子塚古墳。後方部側から見ています。前方部は見えません。
これ以上近づくルートがわからなかったので、ここから見学。
(帰宅後にネット検索したら、もっと近づけたみたい)



波多子塚のすぐ南側に西山塚古墳という、これまた古い古墳があるはずなんだけど・・・・と細い道を入って行ったら・・・・ありました!
(スイマセン、西山塚は後期古墳でした)

ここも墳丘に接近する道が見つけられず、周濠の外から見学。


「よし、次は大和神社近くの馬口山古墳に行くか」
と細い道を走っていたら、見たことがある場所に出てきました。

西殿塚古墳の後円部側に出てきてしまいました!(・∀・)
やっぱ何度見ても圧巻です!

ここらへんですでにめちゃ焦っています。
「時間がない!( ;∀;)」

自転車返却期限が1700なんですが、さすがに1700ぎりぎりはマズいので、1630頃には返したい。
そろそろここを離れなければ、って時間になっていました。


急いで山を下り、大和神社脇の馬口山古墳へ。
説明看板を見つけられなかったので『前方後円墳集成 近畿編』の情報を書いておきます。

馬口山(ばくちやま)古墳
前方後円墳
墳長約110メートル
埴輪なし? 葺石なし?
特殊器台小片が1989年に表面採集されている




さーて、はよ帰ろ、帰ろ。
と急いでいたら、大和神社の脇の細道の側溝で茶色いふさふさのしっぽ発見!

側溝の横に延びるトンネルみたいなところに駆け込んでいくのが見えました。

自転車をとめてしばし待ってみる。

ひょいと顔を出したので撮りましたが、なんか残念な画像(泣)

帰って来て画像検索してみたところ「テン」みたいです。
あんなところにいてるんやなあ!



時間ロスしてしまいましたが、なんとか1630過ぎに自転車を返却できました。


※参考文献:近藤義郎編1992『前方後円墳集成 近畿編』山川出版社