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横から見た西殿塚古墳2023年03月04日 10時14分16秒

先日行った天理の大和古墳群の西殿塚古墳。

帰って来て墳丘測量図を見て、
「この古墳、カッケー!(*´▽`*)」
って大ファンになりました。


色々さがしたら航空測量で作成した赤色立体地図というのが出てきました(アジア航測株式会社)。
これ、ぜひ見てほしいです、スゴイです。


西殿塚古墳は傾斜地に作られていて、南北を主軸にした墳丘の西側が低いので、そちら側の段築が1段多いです(西4段、東3段)。
西側の一番下の段を除いた墳形がめっちゃかっこいいんですよ。

現地で見たら、鬱蒼とした樹木に覆われていてなんのこっちゃ全然わからんのですが(^^;)




西殿塚古墳の測量図としては宮内庁が出している墳丘測量図もあるのですが(天理市教育員会2000『西殿塚古墳 東殿塚古墳』天理市埋蔵文化財調査報告 第7集)、こちらは1mコンターなのでざっくりはわかるけど、細かい部分がよくわかりません。

赤色立体地図の方は細かいところの凹凸までわかってすごいですよー!(・∀・)
あんなに樹木に覆われているのにほぼ正確に地表を計測できるのってすごいです。

上に挙げたリンク先には赤色立体地図の真上から見た図と南側上空から見た図(鳥瞰図)が掲示されています。

「すげー!(;゚Д゚)」
ってなって、次に、
「複雑な形態しているなあ! 横から見たらどう見えるんや?」
が来ました。

ネットをいろいろ探してみたんですが、西殿塚の側面図ってないですね?
報告書にも載っていませんでした。

ないなら作っちゃえ!(*´▽`*)

ってノリで作ってみました。

赤色立体地図をもとに平坦地と斜面をざっくり色分け。
そこに宮内庁の測量図(標高を得るため)や天理市の発掘調査トレンチの位置(墳裾の推定の参考にしようとした)を重ねて、高さや位置を合わせて側面図を作ってみました。あくまで個人が能力の範囲で作った模式図みたいなものですので参考や引用しないように(^^;)
※西側の最下段は省略
くびれ部あたりのテラスと斜面がどうなっているのかいまいちわからない(^^;)
多少間違っているかもしれませんが、大きくは外していないのでは?と思います。大きく間違っていたら訂正して再投稿します。

おもしろい形態ですよねー。
後円部ににも前方部にも方形の壇があるんですよ。
わたしは古墳の構造とかよく知らないんですが、前方部にも後円部にも方形壇があるって、他にもあるんですかね? 今度詳しい人に聞いてみよう(笑)

前方部の方形壇は現地写真を見返してみたらなんとなくわかりますね。
上の写真、前方端の方がもこっと樹木が盛り上がっているでしょう。あそこが前方部の方形壇の高まりなのかな?
南西部から見たらこんな感じなんです。

あと、赤色立体地図では後円部の方形壇の下にもう一段、ひとまわり大きな薄い方形壇があるようにも見えます。
※リンク先本文では「後円部墳頂の方形段を囲む環状の高まり」とある
んで、この方形壇、墳丘の主軸から若干東にズレているように見えます。あえてズラしているんでしょうかね。

そもそも西殿塚、後円部が左右非対称ですよね。東側がちょっと小さいように見えます。
後世に削平されたかな?と思って天理市の発掘調査報告書を見たんですが、墳裾は若干外側になるようですが、左右対称になるほど大きくはなりません。
後円部はテラスを見ても左右でバランスが違いますもんね。
”見られる”メインは西側からだろうから、そっち側を立派に作って、東側は地形に制約を受けたんでしょうかね? 想像ですけど。


後円部と前方部をつなぐスロープの両脇に低い段があるのも見て取れます。築造当時のモノかどうかわかりませんが、たいへん興味深いです。

陵墓は基本立ち入り不可で(最近は限定的に立ち入りや発掘調査を行っている)、現地に立ち入っての詳細な測量図作成は困難かと思います。立ち入らずに飛行機で測量してこれほどの図が作れるって技術の進歩はすごいですね~。



って、ここまで3月2日に書いていました。

西殿塚に惚れすぎて、3月3日にもう一度行ってきました!(・∀・)
前回よりさらに接近して墳丘を観察してきました。接近と言っても陵墓なので墳丘内には立ち入れません。しかし、最下段の段はちょっと距離があるところからでも「きれいに残っているな」ってのが見えます。写真を撮ったんですが、写真で見たらなんのこっちゃ全然わかりません( ;∀;)
↑なんのこっちゃよくわからない前方部南西角の段築写真。
肉眼で見たらもっとよくわかります。
木の陰で真っ黒ですが、肉眼で見たらこんな感じ↓だったと思います。
これは西側の一段多い段部分かな(わたしが作った側面図には入っていません)。




西側の、墳丘全体が見渡せる場所に立ってみて、頭の中で自分が作った側面図を重ね合わそうとするんですが森が深すぎて何かよくわかりませんでした。

帰って来て、写真と合成して往時の姿を偲びました。
遠くから撮った写真に合成したんで背景の山が入ってわかりにくいです。

西側からはこんな風に見えていたんじゃないかな、という想像図です。


西殿塚古墳の後円部墳頂の標高は141.2メートル(宮内庁測量図)。基底部で120メートルほど。
下から見上げたら壮観だったろうなと思います。
と、同時に、
「あれ? もしかして、西側から見上げたら、東殿塚古墳は見えんかったんちゃう?(´・ω・`)」
ってなりました。
いまも見えませんが、これじゃあ当時も見えないですね(^^;)

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