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加賀艦攻隊 鈴木三守大尉分隊集合写真2023年01月05日 11時08分47秒

乙8期の町元善春さんのご遺族の方から、加賀艦攻隊・鈴木三守大尉(兵64)の分隊集合写真を提供していただきました。

各人の装備等から、この写真は16年12月5日(北原收三さん日記による、「7日撮影」という話もあり)、真珠湾に向かう加賀飛行甲板上で撮られた艦攻隊総員集合写真と同じときに撮られたものと判断しました。


加賀艦攻隊総員集合写真




町元さんの写真ですが、まず、呼称に関して説明します。
この写真に写っている一番エラい人はイス列中央の飛行隊長・橋口喬少佐(兵56)です。
次が橋口少佐左隣りの分隊長・鈴木三守大尉。
最初、この写真のことを「橋口分隊集合写真」と呼んでいたのですが、こういうのに詳しいいつものYさんに加賀艦攻隊の構成に関して尋ねてみたところ、橋口少佐は飛行隊長で、その下に3人の分隊長たち(北島一良大尉(兵61)、牧秀雄大尉(兵61)、鈴木三守大尉)がいて、さらに各分隊長の下に分隊士たちがいて、分隊員がいる構成――というのを図入りで説明してくれました。
それが艦内編制で、その艦内編制をばらして編制し直したのが攻撃隊編制になるとのことでした。
(著書の『真珠湾攻撃隊 隊員列伝』大日本絵画に見やすい説明があります)


そういうわけで、この集合写真は艦内編制の鈴木三守大尉の分隊に、飛行隊長の橋口少佐が加わったものである(橋口隊長は攻撃時は鈴木分隊の分隊員とペアを組んでいるので、ここに加わっているのでしょう)。なので「鈴木分隊集合写真」という名称にしました。

Yさんに説明していただいた艦内分隊に関してもちょっと書きたいことがあるので、もう少し整理してからアップしたいと思っています。

ちなみに加賀艦攻隊艦内3分隊のうち、すでに北島分隊集合写真は書籍などでも紹介されています。
北島分隊集合写真。
これも同じときに撮られたものでしょう。


3分隊中、2枚の分隊写真があるということで、残り牧分隊のメンバーはおおよそ推定できています(まだ不明者がいるので完全ではない)。






鈴木分隊の集合写真、細かく見ていくとたいへん興味深いものが写っています。
カウリング下の機番号。

プロペラで一部隠れていますがどう見ても「56」。

これは鈴木三守大尉・森田常記飛曹長(乙3)・町元善春2飛曹の真珠湾時搭乗機と言われているAⅡ-356号機のようです。
真珠湾で撃墜され、数日後に湾内から引き揚げられたと言われている機体です。
(この時の状況に関しては諸説あるようです)

他の2枚(総員、北島分隊)はちょうどこの部分は搭乗員たちで隠れていて見えません。
なので、同じ機体なのか、違う機体なのか、それは判断できません。
飛行機の塗装の塗りむらなので判断できないか拡大して見てみたのですが、わかりませんでした。

可能性としては、
・各分隊長の搭乗機を背後に配置して記念撮影した
・同じ機体の前で全部の集合写真を撮影した
などが考えられると思うのですが、実際どうなのかわかりませんでした。


この写真からは他にも判明したことがまだあるので、それに関しては後ほど書きたいと考えています。
それと総員集合写真の訂正版、遅れていて申し訳ないです。



また、町元さんご遺族のご厚意で、写っている島田直さんのご遺族に写真を送らせていただいたところ、初めて見る写真だとかでたいへん喜ばれていました。ありがとうございました。



※画像は町元さんご遺族、9期生ご遺族、大澤さんご提供

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