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乙5 大林行雄さん 冠谷悟さん22022年06月20日 23時16分07秒

昨日、ブログをアップした後、何件が情報をいただきました。

ひとつは昨日のうちに注記したのですが、原田要さんの回想に関する事実関係について。
原田さんは自分と大林さんが同年兵だと書いていましたが、原田さん8年志願兵、大林さん乙5(9年入隊)なので、同年兵ではないです、とのご指摘(Kさん)。
言い訳してもいいですか。
わたし、原田さんから直筆履歴のコピーをいただいているのですが、途中からなんですよ(^^;)
入隊年が書かれておらず、大林さんと「同年兵」という記述を読んで、他の部分(手記の著者略歴とか)で確認もせずに、
「そうか、原田さん、9年兵なのかー」
と思い込んでいました。
いつもご面倒おかけして申し訳ありません<(_ _)>


2つ目。
知人のMさんから、筑波空の集合写真に教員として冠谷さんが写っているとのご教示!
15空搭乗員名簿には次の転勤先まで書かれてあって、冠谷さんも大林さんも「霞」と書かれています。
わたし、てっきり「霞ヶ浦海軍航空隊」(いわゆる予科練が移転したところ)と思い、手元の霞空の集合写真を必死で探していました。お二人とも見当たりませんでした。
「そうか、担当した分隊が違うんだな」
と自分を納得させました。
Mさんからのご教示で、「霞」がどうやら霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊(のちの筑波空)らしいとやっと気づきました。
Mさんが見せてくださった集合写真には冠谷さんだけでなく大林さんも写っていました。

「あ、やっぱり教員してはったんや(・∀・)」

とわかったので、あの写真に写っているんじゃないかと思い探してみました。

「あの写真」↑。
浅川さんの写真なのですが、書き込みがなく何の写真かわかりません。
わたしの中では「土浦(霞ヶ浦)周辺の航空隊にいた乙飛生の集まり」と勝手にタイトルをつけています。乙2の浅川さんとか小山内さん、青井さん(百里原)、乙6の山岸さん(筑波)、宮武さん(谷田部)などのお顔が見えます。あと、予科練の倉町先生もいます。周辺の練習航空隊の教官・教員の乙飛生が集まって慰霊祭でもしたのだろうか(お寺なので)?
※この写真に関しては知人Tさんも、わたしとは別の人を見つけて雄飛会だろうとの推察。

筑波で教員をしていたのなら、ここに写っているだろう!

探してみました。

冠谷さん

大林さん

いてはりましたー!(・∀・)

お手上げだった写真に知った人を見つけるとうれしいです。



それともうひとつ。

救命胴衣にさしている拳銃。
一四式拳銃・前期型というらしいです(Hさんご教示)。
あまり興味がないので見ていませんでした、スイマセン。
すぐに『日本海軍航空隊 軍装と装備』を見てみました。
前期型と後期型では、引き金を引くときに指を入れる輪の部分の大きさが違うそうです。
後期型の方が、手袋をしたまま指が入れられるよう大きくなっているそうです。へー。

でね。
まじまじと拡大していて気づいたのですが、冠谷さんの飛行服!
袖口がファスナーなんですよ!(;゚Д゚)
わたし、これ、初めて見ました。


ちなみに大林さんの飛行服の袖口。
これが一般的じゃないんですかね?
わたし、これがふつうだと思っていました。


あと、ベルトにボタンってやつ。
これは19年なんですが。


ファスナー!
おもしろい!
と思って『軍装と装備』を見たら、ファスナー式、わりとふつうに載っていました。
変遷があるみたいです。

とにかくわたしは初めてファスナー式飛行服の袖を見た、と。
家にある飛行服写真をいろいろ見てみたのですが、ここまではっきりファスナーが写っているのはやはりこれ1枚のようです。


※画像は浅川さんご家族、武田信行さんご提供

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