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乙1期 赤松作さん2022年06月05日 21時43分30秒

「つくる」さんとお読みするそうです。
愛媛県出身、偵察。


浅川さんの加賀・15空時代(13年)のほぼ固定のペアです。
操・浅川三雄1空曹
偵・渡辺初彦大尉
電・赤松作1空曹

このペアで出撃していることが多いです。


浅川さんは乙2、赤松さんは乙1出身なので、浅川さんから見たら先輩です。
15空時代は浅川さんはmyカメラをお持ちで、同僚の写真も数多くあるのですが、残念ながら赤松さんのオフショットはありませんでした。
同じ乙1の佐賀睦夫さんも加賀・15空にいらしたのですが、佐賀さんのオフ写真もないです。
わたし思うに、やはりさすがに先輩とか上官にはカメラを向けにくかったのでは?(^^;)
渡辺大尉の写真も1枚もないです。
北島一良大尉の写真は百里原時代に1枚ありましたが、浅川さんがカメラを向けたのかどうかはわかりません。浅川さんの性格を考えると、むしろ逆で、カメラを持ってウロウロしていたら北島大尉に見つかり、
「撮ってくれ」
と言われて撮ったのでは? なんて想像しています。

というわけで、赤松先輩のオフショットは残念ながらありませんでした。



集合写真を紹介します。

皇居の二重橋前で。
ガイドさんが一緒なので、そういう行事でしょうか。
メンバーから加賀時代と思います。
これの他分隊らしきバージョンも見たことがあるので、加賀御一行様という感じでガイドさんとまわっていたのでしょうかね?
13年の初めごろかなあ?と思っていたのですが、赤松さんがいつから加賀にいるのか・・・・。
そこが判明したら、時期が絞れるかも。








この2枚は加賀、13年5月の撮影のようです。
上は飛行機隊総員でしょうか。艦攻隊だけではなく、艦爆隊・戦闘機隊も一緒に写っています。

下の少人数写真の方は、渡辺中隊とでもいいましょうか。
艦攻隊の一部です。
ここに写っている人たちは全員どなたか判明しているので別記事でちゃんと紹介したいです。




13年6月末か7月初ぐらい。大村?
15空開隊時の分隊集合写真(5分隊)。
15空の開隊時の(たぶん)全分隊の記名入り集合写真、アジ歴に出ています。が、ぼやぼやしていてほとんど判別不能です。
この写真もありますが、お顔はほぼわかりません。記名の方はわかる人もいます。赤松さんはちゃんと「赤松」と書いてあるのがわかります。イスに座っている6人のうち右端です。








13年11月。明治節のようです。
上の写真は何度かここに出しています。5分隊集合写真。
下の集合写真は初めて出すんじゃないかな。傷んでいる部分があります。ちょうど赤松さんの部分も亀裂が入っていてわかりにくいですが、たぶん、これが赤松さん。

同じ日に、メンバーを変えて何枚も撮っているんですよ(服装などからそう判断)。
たぶん5分隊バージョンが最少人数のもので、他に総員集合写真らしきものもあります(印刷物の15空アルバム)。でも、総員と言いながらその1とその2があるので、総員を2回に分けて撮っているのかも。

上に出した写真は総員を2回に分けて撮ったものより人数が少ないようなので、どうなのかな? 艦攻隊搭乗員+整備員とか、そういうメンバーなのかな?
お顔がよくわからず、検討していません。






これはわたしの願望込の話ですが。
浅川さんのアルバムに貼ってあった、加賀時代ではないかと思われる96艦攻の出撃時の写真。


もし、2番機の偵察員・亀田政義さんが1番機(操・浅川さん、偵・渡辺大尉、電・赤松さん)を撮ったものだとしたら・・・・。

拡大して見たところでどなたかわからんですけどね(^^;)

まあ、こんな感じで出撃したんだなあ、というのはわかるかと思います。





次は浅川さんの15空時代の97艦攻とのツーショット。
浅川機=赤松機でもあるのであげておきます。
ただ、一緒に写っている機が浅川さんの愛機かどうかはわからないんですよね。
たまたまそこら辺にあった飛行機と一緒に撮ったのか、自分が操縦した(する予定)機と撮ったのか、それはわかりません。
乗った可能性が排除できないので出しておきますね。
「攻撃直前ノ我」
10-37■機。
「3」の状態から、下に出している373号機ではなさそうです。
ふつうに考えたら、この機で出撃したのかなあ、と思いますが。


「搭乗直前ニ於テ」

「九江飛行場ニテ」
10-373号機。
同じときに、飛行服と3種バージョンと2枚とったんですかね?
もしかして、浅川さん搭乗機なのかな?



「戦地ニテ」
10-352号機。

この飛行機、電信員の吉野正美さん(偵34)とのツーショットもあります。

固定の飛行機はなかったのか、たまたまそこら辺にあった飛行機と撮っただけなのか。
ちょっとわかりません。









赤松さんは15空のあと鈴鹿空教員(空曹長に進級してから教官)、さらにそのあと宇佐空。




これは乙10期・飛練16期の久保伊勢市さんのアルバムにあった宇佐実用機飛練時代の集合写真。
艦攻・艦爆操縦専修生と教官・教員。
10期生が特技章をつけているので卒業式でしょう。
17年3月31日。


前列左端が赤松教官。



赤松さんはその後、飛龍へ。
いつ飛龍に転勤されたのかは把握していません。




ちょっと余談。
先日、赤松さんのことを検索していて「赤松さんは船酔い体質だったらしい」という情報を目にしました。
船に酔う=乗り物全般に酔う
と勝手に解釈してしまい、
「もしかして、飛行機にも酔う人だったのでは!?」
とペアの操縦員だった浅川さんのことを気にしたのですが。

↓こんなイメージ   ※あくまでイメージです

その話、よくよく聞いてみると・・・・。
『雄飛愛媛記念誌』(雄飛会愛媛県人会)にこんな記述があるのだとか。
「飛行機に乗ればシャントするのに船には弱い。海がしけると必ず船酔いして蒼白になり、横になり、何も食べられない。食事は同乗の者がみんな食べてしまうのが通例であった。」
城戸藤寿さんという方が赤松さんの義理のお母さんから聞き取りされた内容だそうです(Tさんご教示)。
お義母さんには赤松さんがご自分で話されたのか、赤松さんの戦友の方が話されたのか?

というわけで、飛行機は大丈夫だったようです。
まあ、予科練に入ろうというぐらいなのでね。
上のイメージ図のようなシーンはなかった、ということで。

船酔いするなら加賀時代と飛龍時代はたいへんだったことでしょう。






さて、飛龍。
赤松さんが飛龍の行動調書に最初に出てくるのはミッドウェーの1回目の攻撃からだと思うんです。

ミッドウェーの1回目の攻撃時は、
操・髙橋利男1飛曹  偵・赤松作特務少尉  電・小山富雄3飛曹
で出撃し、エンジン不調で引き返し。
※先日髙橋さんの投稿内で赤松さんを「飛曹長」と書いていましたが、「特務少尉」のようです(行動調書)。

髙橋利男さん(操24)。

この方も浅川さんとご縁がある方で、百里原で一緒に教員をしていました。浅川さんのアルバムにけっこう写っています。
操縦技量抜群であったと橋本敏男大尉の回想にありました。




2回目の出撃は、
操・友永丈市大尉  偵・赤松作特務少尉  電・村井定1飛曹

村井定さん(乙6)。


1回目の攻撃の時の友永機、高橋機の偵察員を入れ替えた形での出撃になりました。
髙橋機は雷撃を終えて無事帰還、友永機は還りませんでした。







※画像は浅川さんご家族、6期生ご家族、久保伊勢市さんご提供
赤松さんご遺族、Kさん、Oさん、Tさん、ご教示感謝いたします。

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