Google
WWWを検索 ひねもすを検索

乙9期 髙田忠勝さん 追記2022年06月03日 16時05分25秒

広島県出身、偵察。

予科練入隊時の髙田さん。


1学年時の水泳大会優勝時の集合写真。
選手みたいです。
帽子の2本線は相当泳げるレベルです。



飛練卒業後は翔鶴に配属。

真珠湾攻撃時は第2次攻撃隊水平爆撃隊の電信員で出撃しています。
操:折笠俶三3飛曹(操52)
偵:松山弥高2飛曹(偵44)
電:髙田忠勝3飛曹(乙9)


その後、17年1月21日、マダン攻撃(爆撃)
操:伊藤東吾1飛(操51)
偵:佐藤一三3飛曹(偵45)
電:髙田忠勝3飛曹


4月9日、トリンコマリー攻撃(爆撃)
操:伊藤東吾1飛
偵:佐藤一三3飛曹
電:髙田忠勝3飛曹


5月7日(珊瑚海海戦)、敵機動部隊攻撃(艦攻隊第一次)
操:伊藤東吾1飛
偵:佐藤一三3飛曹
電:髙田忠勝3飛曹


5月8日(珊瑚海海戦)、敵空母第三次攻撃(雷撃隊)
操:伊藤東吾1飛    自爆戦死
偵:佐藤一三3飛曹   自爆戦死
電:髙田忠勝3飛曹   自爆戦死


わたしはこの記述を見て、敵空母雷撃時に対空砲火か敵戦闘機に撃墜されて「自爆戦死」ということになったのだと勝手に思っていました。


どうやらそうではないらしい・・・・。




というのも、先日知り合った渡辺大助さんのインタビュー記事です。
「九七艦攻かく戦えり」
古俣さんのインタビューをされているということでおねだりした記事なのですが、記事自体は操練52期の佐藤仁夫さん(操)、操練52期の折笠俶三さん(操)、甲3期の丸山泰輔さん(偵)、操練26期の古俣豊壽さんの4人の艦攻乗りのインタビューをまとめたものです。

どれどれと読んでいたら、折笠さんの記事にただならぬことが書かれていました。
珊瑚海海戦の攻撃帰りの話です。

『攻撃は終了した。折笠三飛曹は、ついさきほどまでの激しかった戦いを脳裏に去来させながら、無事だった数機の艦攻と帰路についた。折笠三飛曹ののどは声も出ないほどカラカラにかわいていた。だが、彼らの戦いはまだ終わったわけではなかった。
艦攻隊は、帰投途中に同じく帰投中の米戦闘機隊に発見された。二機のグラマン戦闘機が艦攻隊に襲いかかってきた。
折笠「突然、目の前にパッパッパッと火が見えたんです。”あっ、グラマンだ”と思う間もなく、あっという間に艦攻が一機、火を吐いて落ちていきました」
”やれやれ、きょうも命があったか”と激しい対空砲火をくぐり抜け、任務を終えた搭乗員の誰もがホッとして、何となく緊張の糸がゆるみがちになった瞬間の出来事であった。
折笠「三人の搭乗員が海上に出たので、私は市原大尉の指示で、三人の近くに救命具と食糧を投下しました。海上で手を振っている三人(操・伊藤東吾一飛、偵・佐藤一三三飛曹、電・髙田忠勝三飛曹)の様子が今でも目にうかんできます」
渡辺「・・・・・・・・」
折笠「帰ってみると、自分の母艦である『翔鶴』は敵の攻撃を受けて傷ついていました。まだ煙が出ていてとても着艦できる状態ではなく、『瑞鶴』に着艦しました。私の飛行機は右翼に被弾していました」』
※市原大尉・・・・市原辰雄大尉(兵60)



髙田さんは攻撃を終えてみなと一緒に帰投中だった?

グラマンに撃墜されてもペアみんな無事で、泳いで救助を待っていた?

行動調書の行動経過概要にはたしかに、グラマンに襲われたことは書かれています。
『0950 帰途ニ就ク 途中敵グラマン機一機ト空戦 撃退ス』
折笠さんの回想と、機数も状況も違うように思います。
肝心の不時着機が出たことはひとことも書かれていません。

見間違えるはずはないと思うんです。
証言者の折笠さんは、真珠湾時の髙田さんのペアです。


さらに、渡辺さんから口頭で重要なご教示をいただきました。
「森史朗さんの『暁の珊瑚海』にも髙田さんたちが泳いで救助を待っていたシーンがありますよ」

森さんの瑞鶴シリーズは途中まで読んでいたのですが(確認したら、珊瑚海の途中まで読んでやめていました。続きを見ましたが、それには髙田さんたちのシーンはありませんでした)、『暁の珊瑚海』の方は読んでいませんでした。

しかも、
「森さんは折笠さんには取材されていないようなので、別の人からの証言だと思いますよ」
とのこと。



森史朗『暁の珊瑚海』(光人社)
『佐藤機はわずか一撃で火を噴いた。
――中略――
グラマン戦闘機が佐藤機につづいて、石川一飛曹機に襲いかかる。直衛の零戦は姿をみせず、操縦席の石川一飛曹はぎりぎりまで首をねじって米軍機の接近を見張る。銃口が火を噴いたと思った瞬間、彼は操縦桿を左に倒し、思い切って左のフットバーを踏み込む。射弾をうまく右にそらしたな、と思った瞬間、右翼に衝撃をうけた。ガソリンタンクの五〇センチ外側に被弾が四発。つづいて第二撃を加えようと、米軍機が右上方に引き上げる。わきの下から冷汗が流れた。
そのとき、前方から零戦が一機姿を現し、矢のようにグラマン戦闘機にむかって行った。翔鶴の西出伊信一飛曹が彼らの交戦に気づき、急いで反転してきたものである。
これでようやく、市原隊は虎口を脱した。火を噴いた佐藤機は海上に不時着水しており、彼と操縦員伊藤東吾一飛、電信員髙田忠勝三飛曹の三人の小さな頭が波のあいだに見え隠れしている。市原大尉は偵察員斎藤政二飛曹長に命じて、浮袋、不時着糧食を投下させ、つづいて列機の一機がそれにならった。
「がんばれ! かならず助けにくるぞ」
五機に減った市原隊の各機から、搭乗員たちが風防をあけ、身を乗り出すようにして手を振っていた。海上にただよう三人からも、それに応えてさかんに手がふられた。
市原機の電信員、宗形一飛曹は母艦あてに緊急信を打電する。「艦攻一機不時着ス」
だが結局彼らは救助されなかった』

※佐藤機・・・・髙田さんが搭乗している機のこと。
※石川一飛曹・・・・石川鋭一飛曹(操31)
※西出伊信一飛曹(甲1)
※斎藤政二飛曹長(偵30)
※宗形一飛曹・・・・宗形義秋一飛曹(偵43)※20220615、Kさんご教示「(偵38)」


状況的には折笠さんの回想と一致しているようにあります。

ここにお名前が出ている中で生きて終戦を迎えられたのは石川さんだけなので、森さんのソースは石川さんということでしょうか。

この記述、本当にショックでした。
無事だった艦攻隊も翔鶴が傷ついており着艦不可能で瑞鶴に降りたようなので、そういう混乱のもとで救助してもらえなかったのか。あるいは捜索隊は出たものの見つけられなかったのか。

被弾して火を噴いた状態で冷静に不時着水させた伊藤1飛の技量。
手を振っていたということなので、3人ともたいした怪我もなく機外に脱出できたのでしょう。
なのに最終的に救助できなかったとは。
きっと助けが来る、と海上で待っていた3人のことを思うと泣けてきます。

髙田さんたちだけでなく、他の戦場でも同じようなことはあったようですが・・・・。
本当に、ただただ残念。



※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供
※渡辺さん、Kさん、Oさんご教示