蒼龍艦攻隊 11分隊・12分隊Ⅱ ― 2022年05月07日 18時05分29秒
蒼龍艦攻隊、11分隊・12分隊間のことで解決していないことがあります。
わたしが見た手書きの11分隊名簿には、潮さんのお名前が書かれている欄に、もともとどなたかのお名前が書かれていた痕跡があります(田村ペアではない)。
これを解決したい。
16年11月1日時点では誰かほかの搭乗員が11分隊構成員だった、ってことですよね。
それに潮さんのお名前、不自然な場所に入っているんです。
潮さん自身は甲1出身の1飛曹なわけですが、名簿のお名前が書き込まれているところは野崎実男3飛曹と宮崎徳三郎1飛の間です。
この名簿、基本的に先任順に書かれていると思うんですよ。
なので、最初は、他が詰まっていてそこしか潮さんの名前を入れられる場所がなかったのかな?とも思いました。
だとしたら、ここに入っていたのは操縦の3飛曹か1飛の人。
心当たりを当ってみたのですが(いつものように周囲の方にも(^^;))、わかりませんでした。
ここで重要な証言があります。
森拾三さんです。真珠湾時は11分隊・長井分隊長(雷撃隊)の2番機の操縦員です。
浅川さんの操練38期集合写真の森さん(練習生当時)。
この森さんが、自分が蒼龍に転勤してきたときのことをこんな風に書いているんです。
※『奇蹟の雷撃隊』(光人社NF文庫)
『もうひとつ気になる問題があった。私が所属する第十一分隊は、艦上攻撃機九機編制なのに、操縦員が十名いることであった。
「森の乗る飛行機などないよ」
「なんで転勤してきたんだ」
仲間たちは、そんなことを言って私を冷やかした。
(ひょっとしたら、予備員ではないのか? いや、そんなはずはない。おれの乗る配置がないなど、そんな馬鹿なことがあってたまるものか!)
私の飛行時間は、四千時間から五千時間にもなろうとしている。それに、一応は支那戦線の経験もつんでいるのだ。それなのに、予備員だとしたら、なんともはや情けないしだいである。
(ほんとうに予備員だったら、仮病をつかって訓練を休んでやるぞ、馬鹿にしくさって!)
だが、翌日、私の心配はふっとんでしまった。というのは、分隊長の二番機の操縦員が、前々からからだが悪くて母艦勤務ができないので、その補充に、私が霞ヶ浦から引っぱられたのだということがわかったからだ。
私が着任すると同時に、彼は退艦して、私は、あらたに一小隊二番機の戦列に加わった。わたしの飛行機番号は三一二号である。昨夜のふてくされた考えが、急に恥ずかしくなってしまった』
「森の乗る飛行機などないよ」
「なんで転勤してきたんだ」
仲間たちは、そんなことを言って私を冷やかした。
(ひょっとしたら、予備員ではないのか? いや、そんなはずはない。おれの乗る配置がないなど、そんな馬鹿なことがあってたまるものか!)
私の飛行時間は、四千時間から五千時間にもなろうとしている。それに、一応は支那戦線の経験もつんでいるのだ。それなのに、予備員だとしたら、なんともはや情けないしだいである。
(ほんとうに予備員だったら、仮病をつかって訓練を休んでやるぞ、馬鹿にしくさって!)
だが、翌日、私の心配はふっとんでしまった。というのは、分隊長の二番機の操縦員が、前々からからだが悪くて母艦勤務ができないので、その補充に、私が霞ヶ浦から引っぱられたのだということがわかったからだ。
私が着任すると同時に、彼は退艦して、私は、あらたに一小隊二番機の戦列に加わった。わたしの飛行機番号は三一二号である。昨夜のふてくされた考えが、急に恥ずかしくなってしまった』
この一件、手記にはいつ頃の話かはっきり書かれていないのですが、前後の文脈から16年9月の前半頃の話ではないかと思われます。が、これ(日付)はちょっと違うかも?
もっと後の話ではないのかな?
日付の混同はあったとしても、分隊長の2番機の操縦員がいなくなった、というところは事実なのではないか?
「もしかして、この蒼龍を退艦した分隊長の2番機の操縦員が潮さんの前に書かれていた人だろうか?」
「そうだ! 潮さんのお名前を消してみたらどうだろうか!(・∀・)」
消してみました。
ちょっと画像の掲載はやめておきますが、
「最後の字は『雄』だな」
という感じに浮かび上がってきました。
※わたしの主観が入っているかもしれません
階級的に野崎さんの後ろに入る予科練出身操縦員はいないと思われるので、〇〇〇雄さんはきっと操練だろうと思って、操練の若い人を探してみましたがわかりませんでしたorz
「こんなん、もう、わからんわー!( ;∀;)」
いったんあきらめたですけどね。
なんか、わかったような気がします。
わたしの勝手な思い込みかもしれませんが。
画面をスクロールしたらでてきたんです。
いつもの「やらかし」ってヤツですわ(´・ω・`)
送っていただいた11分隊名簿、PDFで3ページのデータでした。
1ページ目冒頭から操縦員、偵察(電信)員の順で書かれてあり、1ページ途中から整備員のお名前が並んでいます。2ページ目も整備員。
「あー、こっから先は整備の人たちか」
12分隊搭乗員を特定するために必要なのは11分隊の”搭乗員”だったので、そこから先を見ていませんでした。
「これ以上はもう、わからんわ」、袋小路に入り込んで他にすることもなくなってしまい、何の気なしにマウスをくるくるして画面をスクロールさせたら・・・・。
3ページ目の欄外に艦攻隊ペア表が書き込まれていました!!(゚Д゚;)
手書きでね、こんな感じで↓
「ひいいいいい!!!!(゚Д゚;)」
まあ、驚かんでもいいのですが、いや、驚くべきことが書かれていますよね。
16年11月1日の日付のある名簿の欄外に書かれた編制表に、森拾三さんのお名前はなく、本人が「一小隊二番機」と言っているその配置の操縦員には「佐」に下士官マークの人が・・・・(゚Д゚;)
「どういうこと!?」
ふつうに考えたら、この人が森さん言うところのからだが悪くて母艦勤務ができないので蒼龍を降りた分隊長の二番機の操縦員、ってことですよね。
いつも頼りにしているKさんによると、森さんが蒼龍に転入してきた時期(手記に書かれている時期よりあと)に転出した搭乗員に心当たりはないとのこと。
「どういうこと!?」
姓の一文字目が「佐」の下士官。
そこで、11分隊名簿の「消された人」ですよ。氏名の最後が「雄」。
「あっ!! 12分隊の佐藤寿雄1飛曹ではないのか!?」
ってなっちゃいました。
蒼龍を降りた、のではなく、単に11分隊から12分隊に移っただけならKさんが心当たりがなくても納得。
そう思って名簿の潮さん氏名を取り除いたところをじっと見てみると、「藤」とか「壽」とか書いてあるようにも見える・・・・。 ※あくまで個人の感想です
つまり、こういうことなのか?
(手書きの方は一部階級が誤っているようなので、右欄で11月1日名簿のものに修正しています)
ま、これはわからんです。
自分でも「いつもの暴走かも」と思わないでもないです。
佐藤さんが11分隊から12分隊に移ったという立証は難しいです。
隊内での分隊間の異動なら公文書的なものはないのではないか?
あとは個人の手記ですが、森さんも大多和達也さん(乙5)も何も書いていませんでした。
さらに個人の日記。島田さんも書いていないです。もうおひとり、12分隊の人の日記があるのですが、そこにも佐藤さんの分隊異動に関する記載はありません。
残るは、この名簿のコピーの現在の持ち主の方の記憶――
人づてに聞いてもらったのですが、分隊長2番機の「佐(下士官)」さんのことは覚えておられないそうです。残念!
まあ、しかたがないですわ。この時点で分隊を移られているならお付き合いもあまりなかったでしょうしね。わたしが想像している「佐(下士官)」さんは古株だし、操縦員だし。
最初の名簿作成時に3飛曹の野崎さんと1飛の宮崎さんの間に1飛曹の佐藤さんのお名前が入ることの不自然さも指摘されました。
たしかに。
潮さんは後から来られたので空いているその部分にお名前を書かれたのだと思いますが、最初からそこに1飛曹の佐藤さんのお名前があったというのは全体から見ると不自然です。
お名前の上に書かれている配置番号は当初寝台番号とリンクしているということだったので、もしかして、その寝台番号(021)が古参下士官が好きな場所だったのでは?と思い、そのことも聞いてもらったのですが、それはないようでした。
ただ、空母の搭乗員の寝室は2段ベッドや3段ベッドで、やはり搭乗員によってはお気に入りの場所があったというようなお話でした(舷窓付きの寝台があり、明るくて本が読めた、とか)。
021に潮さんが書き込まれたことと、寝台場所の心地よさは関係ないみたいでした。
この、「空母の搭乗員の寝室」なんですけどね。
わたし、まったくイメージが沸いていなかったんです。
たとえば、2段ベッドや3段ベッドとして、それが何台あって1部屋に何人が寝ていたのか。あるいは、分隊ごとに部屋が割り当てられていたのか、搭乗員全体で先任順にまとめらていたのか、とか。
森史朗さんの『零戦 7人のサムライ』に、岡元高志さん(操43、2飛曹、戦闘機)が金井昇さんとベッドが隣だったとの証言が出ていました。
金井さんは艦攻隊12分隊の偵察班の班長(先任搭乗員だと思う)です。
もし、これが本当だとしたら、この頃の蒼龍は機種関係なく、分隊関係なく、おまけに操偵も関係なく、おそらく先任順か年式順に部屋を割り当てていたんだろうか?と想像しました。
岡元さんは大正7年生まれの10年志願兵(『零戦 7人のサムライ』)、金井さんは大正8年生まれの9年志願兵。経歴的にはまあ同じ部屋で寝起きしていても不思議はないかなと思います。
まあ、ちょっと横道にそれてしまいましたが、正確に言うと「佐(下士官)」さんは不明のままです。
この手書きのペア表がいつ書き込まれたのかもわからないんですよね。
11月1日には確実に森さんがいたはずなのに森さんのお名前がない。となると、もっと前に書かれたのかとも思えます。名簿の日付は11月1日なんですが。
沼尻さんのお名前もないですよね。沼尻さんも11月1日には蒼龍にいたはずです。
あと、このペア表にはすでに操縦員が11名書かれています。
森さんと沼尻さんを加えたら13名になってしまう(^^;)
それはともかく、手書きペア表は、真珠湾のときの編制のベースになっているものと思われます(一部入れ替わりはあるものの)。
森さんは真珠湾のときは加藤豊則1飛曹と早川潤一2飛曹とペアなので、まさに分隊長2番機、「佐(下士官)」さんが抜けたあとに入っています。
この書き込みに森さんのお名前がないのがとっても引っかかるんですよね。
森さんと「佐(下士官)」さん以外は特に不審な点はないので、真珠湾時の搭乗員がほぼ揃ったけっこう新しい時期の書き込みだと思うんですよね。9月中旬に飛練9期を卒業した甲4の人たちのお名前がありますから、それ以降なのは間違いない。
11分隊は真珠湾前最後の外部との搭乗員出入りは森さんの着任なんだろうか?
その直前に書かれたもの?
(12分隊に関しては真珠湾前最後の外部との搭乗員出入りは、島田さんと佐々木さんの飛練10期組の着任(16年10月末)だと思っています)
どういう順序でこの名簿の書き込みがなされたのか、よくわからんのです。
森さんのお名前がないという理由で。
欄外のペア表(森さんなし、「佐(下士官)」あり)→名簿(森さんあり、「佐(下士官)」なし(あったけど消された?)
だろうか?
それとも、名簿の潮さんの前の搭乗員は「佐(下士官)」とはまったく無関係の別の人か?
何日もかけて表の訂正だけして、結局わからないままのことが山積状態。
いや、むしろ新たな問題が増えているとか何とか・・・・(´・ω・`)
これらはおいおい解決できたらいいなと思っていますが・・・・。
※画像は浅川さんご家族ご提供