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神雷桜花隊・片桐清美さん2021年10月23日 00時16分07秒

以前に書いた片桐清美さん(丙15)のことを再掲します。




【ピカピカの飛行グツ】2010年3月27日投稿

戦時中、報道班員として神雷部隊の隊員たちに接していた山岡荘八さんの手記『最後の従 軍』(昭和37年・朝日新聞に連載)の中に、「破れた飛行グツ」という話があります。

神雷部隊第5筑波隊の西田高光中尉(大分・大分師範・予13期、20年5月11日特攻戦死)のエピソードです。

ご存じの方も多いと思いますが、かいつまんで紹介。

西田中尉の出撃二日前、新しい飛行靴が配給されました。
すぐに西田中尉は、しばらくあとに残ることになった部下の片桐1飛曹を呼びました。

『「そら、貴様にこれをやる。貴様とおれの足は同じ大きさだ」
すると、 いかにも町のアンチャンといった感じの片桐一飛曹は、顔いろ変えてこれを拒んだ。
「頂けません。隊長のくつは底がバクバクであります。隊長は出撃される・・・・いりません」
西田中尉は傍に私がいたのでニヤニヤした。
「遠慮するな。貴様が新しいマフラーと新しいくつで闊歩してみたいのをよく知っているぞ」
そういってから「命令だ。受取れ。おれはな、くつで戦うのでは無いッ」』

片桐1飛曹は無理矢理ピカピカの飛行靴を受け取らされてしまいました。

西田中尉はバクバクの飛行靴のまま出撃していき・・・・。

あろうことか、その翌々日に、何も知らないかれの母親と妹さん(あるいは婚約者)らしき女性2人が鹿屋に面会にやってきた・・・・。

「破れた飛行グツ」・・・・これは西田中尉のエピソードです。


「破れた飛行グツ」・・・・この話は「西田中尉の霊」と書かれた祭壇の前に女性2人を案内してしまって動揺する山岡さんが、若い娘さんの方から、
「お母さんは字が読めません」
とこっそり聞かされたところで終わっています。
(のちに、お母さんが西田中尉の戦死に気づいていたことがわかる)


しかし、もらった側、「ピカピカの飛行グツ」には続きがあります。

神雷の隊員たちは宿舎のある野里村から外に出ることを禁じられていました。
しかし、かれらは時々こっそりと鹿屋の町に遊びに行っていました。いわゆる「脱(ダツ)」と呼ばれる違法行為です。

山岡さんはそれを見て、
「あれだけ立派に死んでゆく人々に、軍規を犯したという一点のかげりをも心に止めさせてはならない」
と思い、かれらが堂々と町に遊びに行けるように、司令の岡村基春大佐に進言しました。
司令はそのことをすぐに許可してくれたそうです。

もちろん、これは脱走者が出ないという前提。

ところが、山岡さんが肝を冷すような出来事が起こりました。

6月22日午前3時ごろ。
特攻出撃を前に整列してみたところ、隊員が一人足りません。
西田中尉にピカピカの飛行靴をもらった片桐清美1飛曹がいないのです。かれは、今日出撃の桜花搭乗員の一人でした。

山岡さんの回想。
『「おれはここではちょっとした不良さ」そんなことを いい、飛行服の裏に「三途の橋でおけさ踊らん」などと書付けている彼だった。もしかしたら、自分の最後のだて姿を町の女にでも見せに行って、死ぬのがいやになったのでは・・・・』

かれらが堂々と町に遊びに行けるよう司令に進言したのは山岡さんでした。
山岡さんも責任を感じ、必死で片桐兵曹を捜し回りました。

しかし、時間切れ・・・・。

「よし! 代わりを起こせ」
無情にも、急遽、片桐兵曹の代役が立てられることになったのです。

山岡さんは「Nという少年兵」と書いていますが、神坂次郎『特攻 還らざる若者たちの鎮魂歌』によるとこれは小城久作上飛曹(丙11期と書いてあるが、丙10期)。

小城兵曹の回想。
『宿舎で頭から毛布をかぶって寝ていると、急に誰かに毛布をはぎとられ顔の真上から懐中電灯で照らされました。驚いて見上げると「小城、いまから出撃してくれ、片桐がいないのだ。代わりに君が出撃してくれ」という林大尉の声で夢から現実の世界につれ戻されました。身を半分起しながら「はっ」と答えたものの、出撃をする番でないので身のまわりの整理はしていない。 で、一言、林大尉に整理のしていないことを愚痴って身じたくを急いで朝食をとり、別盃の式が行われる広場に行くと、すでに山村、堀江、武井、勝村その他本日の出撃者全員が集まって私が着くのを待っていました。間もなく岡村司令の訓示、別れの言葉、別盃をかわし、再び戻ることのないこの世に別れを告げ、三途の川行きのトラックに乗り込み出発です』

山岡さんは小城兵曹が代役に仕立てられたのを見届けたあとも、まだ片桐兵曹を捜し続けていました。
おそらく自分のためというより、小城兵曹のため、片桐兵曹のため、他の隊員たちのため・・・・。

そして、いままで見なかった壕内入口右そでのわずかな空きベッドに、すっかり武装して桃色のマフラーを巻き、ピカピカの飛行グツを履いたままイビキをかいている片桐兵曹を見つけたのです。

『「あ、こんなところに・・・・おい、出番だぞ」
私が飛びつくようにして起すと、彼は 「あ・・・・」と小さく叫んで時計を見ると、私の方など見向きもせずにそのまま整列に加わった。それっきりだった・・・・』


小城兵曹の回想。
『その時です。乗り込もうと私が片足をトラックの荷台にかけ他の片足がまさに地上を離れようとした時、私の飛行服のバンドに誰か手を掛け、私を地上に引き降ろそうとするのです。振り向くと片桐清美兵曹です。 「小城、俺の番だ、俺の番だ」いうと片桐は荷台に飛び乗り、片手をあげバイバイをし、アカンベーをしました。片桐兵曹は三度出撃しましたが、天候不良、エンジン不調のため引き返していたのを無念に思い、「俺が死んだら三途の川原で 鬼を集めておけさ踊らん」と飛行服の背中に白ペンキで辞世を書いている猛者でした。彼を乗せたトラックは冥土行きの飛行機の待つ列線へと急行、三十分後に敵艦船を求めて飛立ち、ふたたび帰ることはありませんでした』


西田中尉にもらったピカピカの飛行グツ。
もらってから40日あまり。
ふつうに履いていればピカピカのままであるはずはありません。

中尉の形見・・・・と毎日磨き続けていたのか、この日のために履かずにとっておいたのか・・・・。

かれは中尉にもらったピカピカの飛行グツで、全速で駈けていったのです。
友を連れ戻すために。
自分の誇りを守るために。



片桐清美1飛曹
神雷部隊桜花隊・片桐清美1飛曹

福岡県出身。大正11(1922)年生まれ。丙15期。


20年6月22日
第10神雷桜花特別攻撃隊 

この日が最後の桜花攻撃になりました。




参考:文藝春秋編 協力・元神雷部隊戦友会有志『証言・桜花特攻 人間爆弾と呼ばれて』、 神坂次郎『特攻 還らざる若者たちへの鎮魂歌』
片桐兵曹の遺影はご遺族の方のご厚意で掲載させていただきました





【三途の橋でおけさ踊らん】2010年4月23日投稿

片桐清美1飛曹が飛行服の背中に辞世の句を書き付けていたという話――

山岡荘八さんは手記に、『飛行服の裏に「三途の橋でおけさ踊らん」などと書付けている彼だった』と書き、 戦友の小城久作兵曹は神坂さんの本の回想の中で『「俺が死んだら三途の川原で 鬼を集めておけさ踊らん」と飛行服の背中に白ペンキで辞世を書いている猛者でした』と言っています。
                                             →「ピカピカの飛行グツ」


昭和37年8月9日の朝日新聞に掲載された山岡さんの「最後の従軍 破れた飛行グツ」という手記に、「片桐一飛曹のうしろ姿」という写真があります。


(新聞記事の写真を出していたのですが消しました)


この写真がその辞世の句の実際のものです。正しくは飛行服ではなく救命胴衣の背中です。
                                   (記事はAさんにいただいたものです)

文字の特徴から、片桐兵曹自身が書き付けたものと思われます。

一行目は「神雷櫻花」と読めます。
最終行も「片桐一飛曹」
一番下には横書きで右から「岡村一家」と書いてあります。(神雷部隊の司令が岡村基春大佐)

2行にわたって書かれている下の句が、おそらく山岡さんが書かれている「三途の橋でおけさ踊らん」

問題は上の句です。
写真と見比べても、小城兵曹が回想している文句とは合いません。おそらく、小城兵曹の回想は「こういう意味のことが書いてあった」というもの。
実際、何が書いてあるのだろう・・・・とずっと疑問だったのですが、このたび、協力してくださる方がいて、やっとわかりました。

(協力してくださった方の話では、写真が不鮮明で、「三途の橋」の「の」の部分が「代」に見えるみたい・・・・ということだったのですが、山岡さんの手記と 前後の文脈から「三途の橋」と書いてあるんだろうなと思います



片桐兵曹の辞世です。

旅立ちに
米鬼百万共連れに
三途の橋で
   おけさ踊らん







【片桐清美兵曹のこと】2010年6月22日投稿

20年6月22日出撃の神雷桜花隊で特攻戦死した片桐清美兵曹。

同じく神雷部隊に在籍しておられた搭乗員さんのお話によると、
「おとなしい人」
やったらしいです。

「威勢のいいことを言うような人ではなかった」
と。

救命胴衣の辞世の句や、山岡さんの「町のアンチャン」という印象とはちょっと違う感じ。

片桐さんの印象を語ってくださったこの搭乗員さんは、元水上機の方なのですが、
「片桐さんは水上機じゃないような気がする」
と。
水上機はもともと所帯が小さいので、もし、水上機出身だったらわかるんじゃないかなーみたいなお話でした。
もともとの機種が何なのか、いまだに謎です。

「写真見てもらったらわかるけど、顔の細い、男前の・・・・ねえ・・・・」
これは、こちらから「片桐さん、男前ですよね~」って振ったわけじゃないんですよ。
搭乗員さんの方から言い出された片桐さんの印象。
男の目から見ても、男前の人だったんですねえ・・・・。

他にも少し、神之池時代の片桐兵曹のことをうかがったのですが、メモをとっていなかったので、ちょっと違っているかもしれませんが。
あまり脱やらかすような人ではなかったらしいです。
山岡さんが、
「自分の最後のだて姿を町の女にでも見せに行って・・・・」
と心配されたのはもともと杞憂だったのかも。



片桐清美1飛曹

実際にご存じの方にうかがうと、また、ちょっと印象が変わりますね・・・・。


欠損部分があるので、最後の部分だけ・・・・。
片桐兵曹の遺書。

 

此の國の惠をうけて

     二十四年

今ぞかへさん

    櫻花と散りて

靖国の櫻花

   と共に

 

体當り見事轟沈

    夷艦隊

勝鬨の聲

  三途で聞かん

今の今 笑顔で散■

      戦友に

吾も續かん

  醜の御楯と

 

 神雷特別攻撃隊櫻花(隊)

 海軍二等飛行兵曹 片桐(清美)



※写真と遺書はご遺族の方からご提供いただきました












【これは片桐清美さんではないか?】2021年10月23日


知り合いの搭乗員さんの遺品の写真の中にこんな写真がありました。
搭乗員ふたり。
ひとりは手に桜花を。
ひとりは飛行帽に桜花を。そしてつばを留めるスナップボタン?の周囲にも桜花が描かれているように見えます。

裏書きがあって、「(右)宮崎兵曹 丙17 鹿屋」と書いてありました。

右は丙17の宮崎泰弘さんのようです。


左、
「片桐さんじゃないのか?」


左の人物に関しては、裏書きには何も書かれていませんでしたが、わたしは片桐さんではないかと思っています。


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