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操練38期集合写真2021年08月24日 11時00分40秒

浅川さんの写真の中に、操練38期の初練の集合写真がありました。

これは郵送で送っていただいた中にあったので、わたしも最近になって初めて見ました。

背景の建物は、先日取り上げた操練36期・操練40期の集合写真背景と同じ建物のようです。


これ、坂井三郎さんの『写真 大空のサムライ』(光人社)に同じ写真が掲載されていました。
それで操練38期だとわかったんですが(^^;)

そのキャプションには、
『昭和12年6月、霞ヶ浦海軍航空隊初歩練習機教程終了記念。後列、右から2番目が坂井一水。右上の円内は、教官の石川満男海軍中尉。昭和12年4月、事故死』
と書かれています。

手記の方を読むと、この霞ヶ浦海軍航空隊は友部分遣隊(のちの筑波空)のことだとわかります。



坂井さん。




浅川教員。


ちょっと考えてみてください。
わたしは海軍航空隊には『大空のサムライ』から入ったようなものなので、坂井三郎さんというのは台南空の下士官搭乗員の主、泣く子も黙る先任下士、ですよ。
この写真を見ると、その坂井先任にも雛鳥時代があって、さらにその雛鳥が羽ばたくために指導した教員のおひとりが浅川さんですよ。
浅川さん、どんだけベテランやねん、って話です。


ただ、浅川さんは坂井さんの直接の指導教員ではありません。

『大空のサムライ』(光人社NF文庫)。
『つづいて操縦実技の受け持ち教員が発表された。大部分の組が教員一人に対し練習生三名であったが、二名の組も幾組かあった。
私の教員は久保二空曹ときまった。久保教員は、艦上攻撃機(雷撃機)専修の下士官で、昨年までは空母『加賀』に乗っていたとのことである。』


坂井さんの担当教員は「久保二空曹」。

これだけではわたしにはどなたかわからないのですが、浅川さんの写真の中に当時の教員仲間と思われる下士官6名の無帽写真があり、それに階級と氏名が書かれていました。
そこに「一等航空兵曹 久保啓治」のお名前が。
※この写真では浅川さんが三等航空兵曹なので、12年4月以前の撮影と思われます。この写真のことはいずれまた。

この人が坂井さんの担当教員の久保さんかな?
一等航空兵曹になっているんですが。

操練17期、新潟県出身、戦後生存。




この人、操練38期の写真にも写っているようです。


『大空のサムライ』(光人社NF文庫)
『海軍の操縦者は、霞ヶ浦を巣立つと、空母や陸上航空隊の実施部隊に配属になり、第一線機に乗って活躍するのであるが、何年か後には、たいてい一度は霞ヶ浦に帰ってきて、教員となって後輩の指導に当たる。これを私たちは母校への「お礼奉公」といっていた。
久保教員もその「お礼奉公」の下士官で、私たちが二期目だといっていた。体格の立派な眉毛が太い、落ち着いた、見るからに雷撃機乗りといった感じの強者――この強者の兄弟弟子に平山練習生と岡部練習生、それに私の三名がなり、これから初歩練習機教程三ヵ月間をみっちり仕込まれることになった。
昼休みに私たち三人が揃って挨拶にいくと、久保教員はちょうど指していた将棋盤から目を離して立ち上がった。
「外へ行こう」とひとこと言って、私たちを藤棚の下のベンチに連れて行った。
私たちは直立不動の姿勢で、自分の官職氏名を次々に名乗って、
「よろしくお願いします!」といった。すると久保教員は、
「おい、あんまりかたくなるなよ、まあ坐れよ」といってベンチをすすめながら、煙草を一本ずつくれた。
海兵団や砲術学校のように、いきなり気合を入れると思っていたのに、あまりにやさしいので、私はかえってびっくりした。
「あすからの初練期間中、おれがお前たちを受け持つことになった、しっかりやれよ。クビにならなくてよかったなア。厳選に厳選されてきたお前たちに、注意することはないが、あすから、空中で、また、地上で、俺の教えることをすなおに聞いて、それを体得して、この友部における初練教程をみごとパスするんだな。今夜の温習の時間に、始業式のときの司令の訓示を、なんべんも読みかえすんだ。あの訓示を、かたときも忘れずにがんばれよ。ほかの組に負けないようにいこうぜ」
私たち三人はなんどもコックリをしながら、久保教員の、この言葉をかみしめた』


教員にも余裕が感じられますね。
この頃は受け持ち練習生も少なくて、まだ手取り足取りできていたんでしょうね。
のちになればなるほど、期間も短くなり(9期は初練教程すっとばし)、受け持ち練習生も多くなり、教員の負担も激増したように思います。


坂井さんの手記によると、久保教員は霞空の前に加賀にいたということなので、浅川さんの加賀艦攻隊(1回目)の集合写真を探してみたのですが、そこでは見つけられませんでした。
もしかして、違う久保さんなのかな?(^^;)
それとも加賀勤務の時期が浅川さんとは違うのかな?(^^;)

階級のことも気になっているんですが、坂井さんの手記では階級間違いはたまにあるので(^^;)

「私たちが二期目」というのは、浅川さんの操練36期写真に久保さんも写っているので、それが1期目とすると操練38期は2期目で、「なるほど」なんですが。

絶対久保啓治さんだ、とは断言できませんが、現時点では「久保教員」の候補、ということで。








浅川さんの霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊時代の担当クラスは、写真から推測すると、操練36期、操練38期、操練40期、といったところみたいです。


操練36期
ペア写真から、初練。



操練38期
坂井さん手記から、初練。




操練40期

飛行服写真の背景から、初練。




※画像は浅川さんご家族ご提供