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乙8期 金子一郎さん2021年06月11日 21時08分19秒

百里原海軍航空隊の8期飛練のペア写真。
イスが浅川三雄教員(乙2)、後ろ左が金子一郎さん。右が高■さん。
手元の予科練名簿では8期の高■さんは8人いて、わたしはまだ操偵すらわけられていないので、この方がどなたかはちょっと保留ということで。




今日は金子一郎さんのことを。
山口県出身。




飛練時代の金子さん。





16年7月24日  龍驤  都井岬沖(宮崎県)  殉職


昨日、『予科練外史』(倉町秋次)を読んでいたら金子さんの殉職のことが触れられていたので。

『七月二十四日、「龍驤」艦爆、操縦金子一郎三飛曹(乙八)、同偵察巽三郎二飛曹(甲二)は、暗夜着艦訓練中殉職。
――金子機帰らず。この夜雲量六、雲高低くしばしば驟雨来襲。六時四○分、暗夜着艦訓練機出発、金子機もこの中にあり。十二時、未だ帰投せず。迫り来る不安を抑えて寝に着く。明朝四時起床、五時発進、捜索飛行の予定。金子機に幸あれ。同乗は巽二飛曹――
同期生遠藤正二の日記である。遭難機は都井岬沖で発見された』

同期生会誌では、
『入隊時同班で貴様は何時もニコニコ笑をたたえ滅多に怒ったことはなかったね。健啖家の貴様に俺は同情して食器一杯押さえつけてやったものだ』(金沢秀利さん)



『日本海軍戦闘機隊2』の巻末の戦闘機搭乗員名簿に金子さんのお名前があるので、てっきり戦闘機搭乗員だと思っていたのですが、『予科練外史』の殉職状況からは艦爆の操縦員みたいですね。戦闘機から艦爆に転科されたのか、誤記なのかわたしにはちょっとわかりません。







9期生のアルバムに貼られていた写真にも金子さんが写っていました。予科練時代の写真。
こんな難易度の高い写真、わたしには到底8期生のお顔は見分けがつかないのですが。




幸い、名札がはっきり見える状態で写っていました。

8期生の電信の授業風景みたいです。

他に名札が読める人が小南良介さん、犬塚教市さん。
操縦分隊の授業なのかな、と思います。

なぜこれを9期生がアルバムに貼っていたのか。




※画像は9期生ご遺族、浅川さんご家族ご提供

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