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航空母艦 加賀2021年06月06日 13時40分32秒

5日の夜中に一度アップしたのですが思うところあっていったん非公開にしました。
追加修正したうえでの再投稿です。


浅川さんの写真の中に昭和12年か13年ごろの加賀の飛行甲板で撮られたらしき集合写真がありました。


当時、浅川さんは加賀の艦攻隊。

どういうメンバーかは研究していません。人数が多いので艦攻隊だけではなさそう。

後ろは艦橋ですね。

白く塗りつぶしてあります。

「なるほど、軍機だな」

と思っていたのですが、先日ネットで見た同じころの加賀の飛行機隊集合写真ではばっちし写っていました。あれ?(´・ω・`)




下2枚も加賀(兵階級の人のペンネントが加賀)。

撮影場所は飛行甲板なのかな?
でも、同じ場所ではないようです。
写真の精度もだいぶ違うので、別の機会の撮影かなと思います。





昨日、予科練時代のアルバムの写真を送ってもらったのですが、その中に「航空母艦 赤城」と書き込みのある写真がありました。

三段式の飛行甲板。

「今日はミッドウェイ海戦の日だし、紹介させてもらおう」
と思って赤城と加賀についていろいろ調べていたのですが、

「赤城と加賀って、どうやって見分けるのかなー?」
↑いまさら感


で、「煙突」だと(^^;)

時事通信の記事を見つけました。まったく同じ写真だー。



これは加賀の煙突らしいです。

この煙突のせいで気流が乱れて着艦を困難にしたり、ダクトの内側の准士官の居住区が排熱で焦熱地獄になったんだとか。

一段式に改装された時に赤城と同じ煙突形式(うまく説明できないので検索してください)になったそうです。

浅川さんが加賀に着任された時はすでに改装後、焦熱地獄は解消された後だったみたいで、よかったです(まだ下士官ですが)。



浅川さんの写真、すごい精細ですよ。
20センチ連装砲と艦橋。


高角砲。

乗員が二種軍装なのもわかります。



のちに自分が勤務することになる加賀の写真を予科練アルバムに貼られていたわけです。
運命的なものを感じます。







わたしも勇み足で、6月5日ミッドウェイ海戦の日に『航空母艦 赤城』という文字を見てすぐにYさんに、
「浅川さんのアルバムに赤城の写真が貼ってありましたよ!」
って送っちゃいました。

が、返信が来る前に自分で調べて加賀だとわかったので、その旨、またメールしました。

そしたら、「正解、加賀」とのことで。

Yさんによると、煙突が一番わかりやすい相違点ではあるけれど、じつは形がまったく違っていて、見慣れてくるとぱっと見でわかるそうです(^^;)



で、ちょっと引っかかったのが、
「どうして浅川さんは加賀の写真に『赤城』って書いていたんだろう?」
ってことです。

わたしの想像。
・当時、加賀は海軍でも最高機密で(←大和みたいに)、予科練生ですらその姿を知らなかった。
予科練の教員に「赤城の写真だ」と言われて、素直に信じて「赤城」と書いて貼っていた説。

・加賀の姿を知っていたが、教員に「赤城」と言われて渡された。
予科練生にとって教員が「カラスは白い」と言ったら白である、「これは赤城である」と言ったら加賀も赤城である――。おかしいな、と思いつつ「赤城」と書いて貼っていた説。




今朝になって『航空母艦 赤城』の書き込みの謎は解決しました。

息子さんに「あれ、加賀みたいです」ってメールしたら、

「(赤城の書き込みは)私が後に追記したものです」

とのことでした。どうして赤城と書いたのか、いまとなっては思い出せないそうです。あるある。

そして「父ちゃん、ゴメン」のひとことが添えられていました。

わたしも、「教員さんたち、濡れ衣着せてゴメン」。



しかし、わたしの説も矛盾だらけです。
加賀が軍機なら、あんな細部がわかる写真を塗りつぶしなしで予科練生に渡したりしないですよね(^^;)


※画像は浅川さんご家族ご提供

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