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乙9期 山下栄松さん2021年03月23日 10時32分26秒

熊本出身、戦闘機。
生存者の方です。


入隊時、7班班写真。

山下さんは氏名入り班写真以外に、少人数の写真がかなりあります。



たぶん地元紙掲載用に撮られた記念写真。
熊本県出身9期生たち。




7期生卒業時の乙飛熊本出身者集合写真(7~9期)。





辻堂演習。



霞ヶ浦時代。土浦旅館(裏書)。
8期生卒業に際して熊本出身者で集まってお別れ会をしているみたいです。




こちらは隊内での8期卒業記念写真(熊本県出身者、8~11期)。




熊本出身9期生。



3学年時の班解散会(たぶん)。


卒業アルバムの寄せ書き。

熊本出身操縦分隊で寄せ書きにお名前の記載がないのが山下さんと上田誠さん。
なので、どちらかが山下さんで、もう片方が上田さんだと思います。






飛練谷田部。

飛練谷田部修業記念。



中練の後は、宇佐で艦爆の実用機訓練。
飛練卒業後、戦闘機に転科。佐世保空(出水、大村)。

この頃のことは、戦没者への「おもいで」にちょこちょこ書いています。
遠藤桝秋さんへ)「色男だった。宇佐空で下宿の娘さんが惚れとったらしいが、後は知らぬ、阿部健ちゃんどうだろう」
話を振られた阿部健ちゃんが完全スルーしてしまったので、真相はわからずじまいです(´・ω・`)

西山昇さんへ)「飛練延長教育は一緒であった。宇佐空の休日、駅館川へ冬の寒さに負けず素っ裸、褌一つに大きなザルを持って川魚を取りに行った。小エビが少しとれた。町の道行く人は、「気狂いなあの人達は」とよく言った」

紺野高司さんへ)「大村空飛練で一緒だった。たまの外出に遠藤・大石らもよく一緒に歩いた。「色は黒いが俺ぐらい女にもてる男はないぞ。どうだそう思わんか」飲みに行っても飲まんでもいつもそう言ってみんなを笑わせた」
※遠藤桝秋さん、大石芳男さん

中村さんは「大村飛練」と書いていますが、宇佐空卒業時点で特技章をもらっているはずなので、正確には「飛練」ではないです。一人前の搭乗員扱いされているのでお酒も好き勝手飲んでいます。



このあとのことがよくわかりません。
Kさんからいろいろ聞いてはいるのですが、行動調書などで山下さんのお名前を見たことがないんですよね・・・・。
怪我か病気がされて一時戦線離脱されていたみたいです。


唯一、山下さんの足跡がわかるのが乙16期の惣門秀男さんの日記。
出身地の福岡県飯塚市のデジタルミュージアムで公開されてます(知人のMさんご教示)。

惣門さんは飛練32期・戦闘機専修生として大分空に入隊するのですが、そのときの分隊の先任教員が山下さんだったのです。
ざっと読みましたが(^^;)
もう、なんとも形容しがたい飛練生活でして(^^;)
いまの価値観ではかってはいけないとわかっていても微妙な気分になります。
罰直がひどかったみたいで。
あ、山下さんがそういうことをやっていたという記述はありません。他の教員たちです。が、その中の一人が知っている人(?)で、うーん、戦没者の方ですが、K上飛曹からもいろいろと話を聞いていた人なので、あー、その、何と言いますか。
公開されている日記、伏せてもしょうがないので書きますが、10期の門田さんなんですけどね(^^;)
相当恐ろしかったみたいです。
先任は山下さんです。止めてあげればいいのにと思わないでもないんですが、まあ、そこら辺の機微はよくわからんです。

ただ、一か所、気になった記述がありました。
それまで他分隊だった門田さんが受け持ち練習生の卒業をきっかけに惣門さんたちの分隊に配置換えされて来たそうなんです。
「そして皮肉にも俺達の班に入って来た」
それまでにも散々やられているんですが、とうとう直属になっちゃったと。
「彼が来た始めての夕食で一口、二口飯を食ふなり、ベッベッと吐き出して「野郎俺に皮飯を食わしやがった」とポンと箸を投げ出して出て行ってしまった。食卓は一時に白け渡って飯の味がない。故意にかその時の班長(彼とは予科練で一期先輩の乙九期)も彼の態度に一瞬不快な顔をしたのを俺は見逃さなかった」

予科練の倉町教官も、
「各期にはそれぞれ持ち味がある。九期はおとなしい期であったが、十一期は更に輪をかけて控え目な期である。彼らは弱いのではない。覇気がないのでもない。強いて言えば、派手を好まぬ期とでも言おうか。「風林火山」の文字にあてはめると、九期、十一期は「林」「山」であり、八期、十期はさしずめ「風」「火」にあたる印象を私は受けた」
と言われているように、9期の人たちは全体的におとなしくて、10期は「そうじゃない」みたいな印象ですよね(^^;)
そりゃ、個別にみればいろんな人がいるんですよ。
でも、惣門さんの日記を読むと山下さんは9期の「林」「山」の典型で、門田さんは10期の「風」「火」の典型だったのかなという気がします。

9期と10期は一緒に入隊試験を受けて、5ヶ月時期をずらされて入隊した、いわば双子の兄と弟みたいな期です。
予科練時代はおそらく9期は”先輩”として君臨、指導していたんだろうと思うんですが(^^;)
この教員の時期にはすでに階級も追いついています。
9期と10期の関係についてはわたしにはちょっと想像できないような微妙なものがあったのかもしれません。




終戦時飛曹長。



※画像は9期生ご遺族・ご家族ご提供

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