Google
WWWを検索 ひねもすを検索

343空戦闘301 清水俊信さん2020年09月29日 08時28分40秒

ちょびちょび書き足していたらホンマにまとまりのない文章になってしまいました。ご容赦<(_ _)>




先日、
「長野さんが写っていた!」
とブログで紹介したこの写真。


Kさんに長野さんの配属先と階級をお尋ねしたので、この写真をメールに添付して送りました。

そしたらですね・・・・。

記名のある方の詳細を送ってきてくださいました!
野々宮正義さん(乙14)
菊池多喜美さん(乙14)
石川菊一さん(乙14)
秋武大治郎さん(丙11)
清水俊信さん(丙11)
だと思います、とのこと。

石川菊一さんはのちに343空戦闘701、20年3月19日松山上空の空戦で戦死されています。




清水俊信さんのことはわたしここに何回か書いたことがあります。
やはり343空の方で、戦闘301、20年4月21日に戦死されています。


すぐに戦闘301集合写真で確認しました。たしかに清水俊信さんと書かれた方と同一人物でした。
書籍でよく紹介されている写真なのでお手元にある方はご覧になってください。前から3列目の右端です。



「何回か書いた」というのは――


K上飛曹が初めてホリブン(堀光雄さん(乙10))に会った日のことを回想してくださったときのこと。
343空が初対面ではなく、19年夏に菅野大尉に率いられて中島飛行機に零戦を取りに行ったとき、高雄空教員の堀さんが横山友一さんと清水俊信さんを連れて零戦を取りに来ていて、それが初対面だった――って話です。

のちに堀さんは高雄空から343空戦闘301(菅野さんやK上飛曹の飛行隊)に転勤してくるわけですが、そのとき一緒に転勤してきたのが横山さんと清水さんだったそうです。

Kさんにも確認しました。
清水さん、19年夏ごろは高雄空で教員勤務。



2010年夏、阿久根の折口浜の林喜重少佐の慰霊碑にお参りに行きました。
慰霊碑の碑文に一緒に戦死した清水さんのお名前がありました。

林さんの戦死之地の碑。
この慰霊碑に関してはここにも書いています。


奥に設置された石碑。







林大尉戦死の日のことは『源田の剣』(高木晃治 ヘンリー境田、双葉社)に詳しく描かれています。

4月21日、早朝からB29来襲、紫電改23機が鴛淵孝大尉(戦闘701)指揮で国分を発進。
戦闘701(鴛淵孝大尉) 10機
戦闘407(林喜重大尉) 4機
戦闘301(菅野直大尉) 9機

途中の経緯は省略。

『林大尉区隊は、鴛淵大尉直率の編隊とは離れて戦闘に入っていた。福山(国分南東)上空高度六〇〇〇で北西進するB-29の一群を発見攻撃のあと、林大尉は単機分離して追撃し、〇七四〇、戦闘三〇一菅野区隊三番機の清水俊信一飛曹(丙11)と協同した。清水一飛曹は、天草上空で主隊からはぐれて出水付近で哨戒中、戦闘四〇七隊長機がB-29の一群を反復攻撃しているのを見て協同したのである。林大尉は、清水機との協同攻撃で一機撃墜を報じたあと消息を絶った。同機はエンジンに被弾して南九州西側の阿久根折口沿岸の海上に墜落し、大尉は頭蓋骨骨折で戦死した。林機は海面に不時着水を企てたが増槽を付けていたので、機首から突っ込んだといわれる。大尉の遺体は地元有志の手により回収され、現地陸岸で荼毘に付された。清水機はエンジンを撃たれ蕨島西方海面に自爆した(志賀少佐『隊誌』記事)』


関係地(わたし作製)
志賀さんは清水さんの戦死地を「蕨島西方海面」と書かれているようですが、こちらで把握した戦死状況が「蕨島北方二〇〇〇米ノ海中突入戦死」だったので、その位置を入れました。
※清水さんは海中突入したときに機体のコントロールができる状態だったのかどうかわからないので「墜落地」にしました。林さんは不時着水を狙った(コントロールできる状態だった)と判断して「不時着地」にしました。



清水さんは3月19日の空戦以来、ずっと菅野さんの列機ですね。


前にKさんが作ってくれた343空飛行隊長の履歴資料があるんですが、
林喜重さん  18年11月5日  厚木空(203空 19年3月まで)
菅野直さん  18年9月15日  厚木空(19年1月1日まで)
おふたりとも、清水さんが厚木にいた時期(18年5月~12月初)、厚木にいらしたようなんですよね。林さんはラバウルからの転勤なので実際に厚木に着任したのがいつかわからないんですが・・・・。
まったく接点はなかったか、あるいは名前や顔を知っているような間柄だったか、それはわからないんですが・・・・。




松本さんが写真に書き込んでいる「戦闘機第一期生」というのがちょっと不明なんです。
11人写っている写真の中で松本さんが名前を書き込んでいるのは上に書いた5名です。
乙14の3人が下士官服、丙11の2人がジョンベラです。
乙14の石川さんは両袖が見えていて左袖に特技章、右袖に善行章1線と1飛曹の階級章がついています。
乙14の野々宮さんも階級章は1飛曹です。袖が見えていない菊池さんも1飛曹でしょう。
丙11のおふたりは特技章は見えませんが階級章は飛長です。清水さんは筑波で中練、大分で実用機を済ませているので特技章はついているでしょう。おふたりともついているとみなしていいでしょう。

この件に関してもKさんと少し話をしました。
「戦闘機第一期生」は飛練生ではないです。
海軍の制度としては一人前の搭乗員のはず。
厚木で戦闘機搭乗員として練成中だったのではないか。
その頃には、飛練を出ただけでは戦地で通用しないような状況になっていたようです。
わたし自身がヒトに説明できるような状況にないですが、まあ、なんとなくイメージとしてはとらえられているようなないような?(^^;)









松本さんの昭和18年11月という集合写真に写っている「清水」が清水俊信さんであるとわかってから、あらためて松本さんの写真を見返してみました。


左、清水さんだよなあ?  ※右は松本さんです。階級章は上飛曹。

清水さんらしき人、飛行手袋にお名前が書いてあるようなのですが何と書いてあるのかわかりません。
あと、左袖には特技章。

この写真、いい写真ですよね。
松本さんの貫禄(?)もよく出ていますしね。
清水さんは椅子には座っておらず、床に膝をついて松本さんの椅子のひじ掛けに腕を乗せているのではないかなと思います。
おふたりは上飛曹と飛長なので、清水さん自らこのポジションになったのではなく、松本さんか撮影者がこのポーズをとるように清水さんに指示したのかなという気もします。




これは時期も場所もわからないんですが、似ているような気がするので出してみます。

居並ぶ練習生らしき人たちの中ほど、目を伏せているのでちょっとわからないんですが・・・・。
こちらに背を向けている背が高いのが松本さんなのかな?


上と場所が違うような気もするんですが

やはり真ん中あたり。違うかな?
右手前に立っている背が高い横顔が松本さん?



松本さんと清水さんが一緒に写っているとしたら18年秋ごろの厚木じゃないの?
って最初思ったんですが、Kさんご教示によると清水さんは飛練(中練)は筑波だそうで。17年7月末から半年ほど。
ちょうどその時期、松本さんも筑波で教員をしているんですよね。

もしかしてその頃から縁があったとか? ※想像です

写っている人たちの階級章などが見えないので時期がまったく絞り込めません。

筑波の可能性もないわけではないのかな?
背後の建物も、わたしが見てもどこの航空隊かわからんのです(´・ω・`)

現時点では「筑波かなあ?」に傾いています。
わたしの印象なんですが、飛練生はマフラーをしていません。特技章をもらったら練成中でもマフラーをしているんじゃないか?
上の2枚に写っている左側の居並んでいる人たちはみなマフラーをしていないです。飛練中なんじゃないか?
右の人はマフラー(襟巻?)もしていて、腕に腕章をつけているので教員だと思います。体格から松本さんではないかと。



確実に「清水俊信さん」なのは記名がある分だけで、あとはわたしが「似ているよな?」と思っている写真です。




松本さん、実家への書簡に何か書いていないかと思って見てみたところ(『ジュンちゃんへ・・・戦争に行った兄さんより』武田信行編、風媒社)、筑波発18年1月21日付の書簡にこんなことを書いていました。
『漸く練習生を一クラスの一部を無事何の事故もなく卒業させる事が出来ました。今日が卒業式です』
清水さんが筑波の次の大分空(実用機)に辞令が出ているのが18年1月23日なので、1月21日、筑波の卒業式だった可能性は大です。やはり松本さんはかれらのクラスの担当教員だったのかも。直接清水さんを担当したかどうかはわかりませんでしたが。

厚木発18年12月31日。
『わたしも軍隊に厄介になって丸五年七ヶ月、多少なりとも軍人にならうと努力して来ました。人に笑われる様な事、恥づかしい事は一度だってした事はありません。戦友にも、下宿の人にも、分隊長、分隊士にも可愛がられて来ました。これで人間として男としての最大の幸福と思ひます。一人前に育てた後輩と共に大東亜戦完遂の為に働かうと決心しております』
すでに清水さんが松本さんの元を離れている時期の書簡ですが(清水さんの転勤先は301空なのでもしかしたら厚木にいたかも)、「一人前に育てた後輩」の中に清水さんが含まれていることはたしかでしょう。


こうして先輩が後輩を育てて・・・・という繰り返しですね。



菅野さんの列機だった清水さんが、松本さんから操縦を教わっていたというのはなんだか不思議な気分です。
菅野さんと松本さんには直接の接点はないと思うのですが(同時期に厚木にいたようですが)、清水さんを通して縁があったような気分になりました(無理矢理感)。


こういう、「じつは・・・・」って縁、たくさんあるんでしょうね。


※画像は9期生ご遺族ご提供

コメント

トラックバック