乙9期 白木令一さん ― 2020年06月25日 13時53分32秒
白木さん、わからないんですよー。
岐阜県出身、操縦。
入隊時氏名入り班写真、13班。
操偵検査集合写真より。
3学年時の班。
松本さんと同じ班です。
同班で親しくしていたのか、松本勝正さんの遺品の中に白木さんが写った写真が他にもありました。
松本さん所有の白木さん写真。
霞ヶ浦海軍航空隊。1空。
これも松本さん所有。土浦海軍航空隊。予科練卒業間際。
後列左端から白木さん、前川重美さん、本城秋生さん、松本さん、遠藤桝秋さん。
前列左から植木愛雄さん、谷口十七夫さん、小船井写真館のお嬢さん、宅間広正さん、清水巧さん。
よく見るとみな写りがよくなかったのか、あとから修正されているようです(眉とアイライン)。
松本さんがしたのか、小船井さんがしたのかは分かりません。
メンバーや軍帽のペンネントから、これも上の写真と同じ時に小船井写真館で撮られたのではないかと思っています。
飛練谷田部
呉海兵団のペンネントをつけているので谷田部の修業記念集合写真だと思います。
この写真に写っていることから、飛練・中練教程を終えて実用機教程に進んだはずなのですが、この写真以降の足取りがまったくつかめていません。
実用機の操縦専修生は、大分の戦闘機修業記念集合写真、大分の攻撃機修業記念集合写真、大村の攻撃機長崎行軍集合写真、宇佐の艦攻・艦爆専修生の手書き名簿(成績順入なので修業者名簿)が手元にありますが、どれにも写っていないしお名前もありません。
なので、実用機飛練に進んで卒業するまでの間(16年6月~10月)に病気かケガなどで離脱したのではないかと想像しています。
その後、実施部隊の行動調書でも一度もお名前を見たことがないので、飛練を卒業しないまま海軍をおやめになったのかしら?と想像していますが、真相はわかりません。
予科練卒業時の寄せ書き。
昭和40年に編まれた『九期生名簿』にはその時点の住所と職業が記載されているので、戦後もお元気にされていて、同期生とのお付き合いはあったようです。
戦後の九期会の写真に、
「これ、どちらさん? 9期生?(^^;)」
って方が写っているんですが、今回、つらつら見ていて、どうやらそれが白木さんであることに気づきました。
お顔じゃなくて、額の髪の生え際でわかりました。
※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供
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