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乙9期 杉本栄さん2020年06月21日 12時02分31秒

静岡出身、操縦、中攻。

杉本さんは予科練入隊前の集合写真に写っていました。


入隊時の氏名入り班写真。



入隊直後の9期静岡出身者集合写真もありました。
この時期の写真って、ホントに”そこらへんの少年”感がバリバリです。
ただ座っているだけ、立っているだけでこんなにも違うなんてね(笑)
↓入隊後の写真と見比べてもらったらわかります。





7期生卒業に際して。
静岡県出身乙飛生(7~9期)集合写真。横須賀。




何かの佳日でしょうか、静岡県出身乙飛生(8~10期)集合写真。横須賀。




この集合写真は池田和義さんのアルバムにあったものですが「服部教員を送る」という添え書きがありました。
服部教員の転出日はわかっています。
島田清守さんの日記「14年5月20日」に、
十二教班長海軍二等整備兵曹、服部陸平、整備練習部教員となり正午に転勤した。
という記述がありました。
たぶん12班員ともお別れの記念集合写真を撮っていると思いますが、それ以外にも出身県の練習生とも集合写真を撮ったんですね。




同じ霞ヶ浦の第三兵舎前で、こちらは4班員。






これは操偵別れてからの操縦の2学年班員で。




静岡県出身者集合写真。
9期生と10期生が1空の階級章をつけていることから撮影期間は15年10月限定。あまり精度がよくなくちゃんと照合していませんが9~13期までいるのかな?


同じころか、予科練卒業直前ぐらいの操縦専修生の集合写真から。



これ、時期はちょっとわかりませんが階級章が1空なので15年後半。
静岡県出身者は仲が良かったのかな、左から池田さん、伊藤誠一さん(前)、大石芳男さん、杉本さん、志村実さん。




卒業式当日と思います。
3学年操縦班、雄飛の松をバックに。




同じ時、同じ場所で、静岡県出身操縦専修生で。
左から大石さん、亀山一郎さん、木下光三さん、杉本さん、池田さん。
雄飛の松の前で撮ったこの手の写真、全県分あるのか、それとも静岡出身者だけ「撮ろう、撮ろう」と寄って撮ったのか。
同県出身者で撮っているのはこれしか見たことがありません。



中練の飛練は筑波。

実用機飛練は大分。








池田さんのアルバムに時期場所不明のスナップ写真がありました。

メンツは左から木下さん、杉本さん、亀山さんの静岡トリオ。
写っている円柱は神社の鳥居っぽいですね。
この3人は予科練、飛練・筑波まで一緒なのです。
亀山さんは実用機の飛練が宇佐で、木下・杉本両人とは離れてしまうので、それ以前の可能性が大かな。
ただ、木下・杉本両人も実用機飛練は大分なので、会おうと思えば会えない場所ではないかな。

しっかし、静岡、仲良しですなー(*´▽`*)






そして木更津で大型機の仕上げ。
飛練終業時の集合写真より。


この写真は池田さんのアルバムに貼ってあった写真です。
何も添え書きはありませんでしたが、木更津飛練時代、任官記念かな、と思っています。









木更津で飛練を終えた後は、鹿屋空、木更津空、705空、381空。

20年5月飛曹長進級、終戦時無事。



戦後改姓。
40年に『九期生名簿』が編まれたときにはすでに亡くなられていました。

49年4月1日付の九期会の会報(田中茂雄さんが手書きで発行されていた)に杉本さんのご家族のことが触れられていました。
ご本人が亡くなられた後も九期会とお付き合いがあったみたいです。




「おもいで」
小柄な中に秘めたファイト、生きて帰りながら一度も会う機会を得ないまま幽明境を異にするとは。戦後の社会がうらめしい。せめて武勇談でも聞いておきたかったのに。

高島巌さんへの「おもいで」
大阪人らしい風格といおうかそのナマリがまた格別だったね、鈴鹿時代、奥様が来られて君の安否をことさら気遣っていたが、散華しようとは。横空時代の四班には君、大石、島田、北村、杉本など優秀なメンバーが揃っていたね。


※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供

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