乙9期 上田伴則さん ― 2020年06月14日 11時43分07秒
富山県出身、操縦。
『九期生名簿』には「偵」と書かれていますが、操縦です。

入隊直後の氏名入り班写真、7班。

1学年時水泳競技優勝記念集合写真。

操偵検査。


なんの行事かわからないのですが、操偵別れてからの操偵入り乱れたレア写真。
みなリラックスした様子。上田さんは右端に近いところでニコニコしています。
次の2枚は霞ヶ浦時代の操縦班の集合写真。





整備実習。

卒業間際の操縦専修生集合写真。
上田さんの写真は、わたしの手元にある中ではこれが最後です。
15年10月か11月ごろ。
わたしは上田さんがこの後どうなったのか、知りませんでした。
『九期生名簿』によると、16年6月に「疾免」と書かれています。
この間のことも疾免後のことも不明。
予科練卒業後は、飛練谷田部の集合写真、2枚とも写っていないので、筑波の方だったのかな?ぐらいの感じに思っていました。
疾免になった後は田舎で療養して・・・・もしかしていまもお元気かも?とネットでお名前を検索して探したこともありました。
Kさんがご存じでした。
上田さんは予科練卒業前に病気で入院、みなと一緒に卒業できず次期編入。
16年6月に疾免になったあと、10月に亡くなられたそうです。
卒業アルバムの寄せ書きには上田さんのことばもあるんですけどね・・・・。

ひらいては制空花となる
と読むのでしょうか。
おそらくこの頃にはすでに病におかされていたのではないかと思うのですが、空への思いはあきらめていないですね・・・・。
9期の最初の戦没者は16年12月8日の吉田俊光さんですが、「戦没者」という枠をはずせば、最初に亡くなられたのは上田伴則さんです。
※予科練途中でやめた人たちのその後は把握していません
おもいで
優等生とはお前のことだ。元気を出せ、元気を出せ。
落ち着いた君主、君の穏やかな顔が目に浮かぶ。
眉が太く目玉が顔の奥の方から光っていた。視界が狭くて困るだろうと他人事ながら気にしていたが。
何と言おうが気にしない気にしない!!
落ち着いた君主、君の穏やかな顔が目に浮かぶ。
眉が太く目玉が顔の奥の方から光っていた。視界が狭くて困るだろうと他人事ながら気にしていたが。
何と言おうが気にしない気にしない!!
※画像は9期生ご遺族、ご家族ご提供